2
「やっぱ、上手だね。さすが、響」
弾き終えた響に、先輩は柔らかな口調で言った。自分が奏でたどんな音よりも鮮烈で、それでいて美しい音色。
先輩の声の譜面には、きっと「
「……あ……ありがとうございます」
響は小さく会釈をして、先輩の方を向く。けれど、曇りのない微笑みを真っ直ぐに向けられているのに気が付いて、響は思わず目を逸らしてしまった。
先輩の瞳は本当にズルい。ともすれば、見るもの全てを
そんな
「きょ……今日も、聴きに来てくださって、ありがとうございます。その……えっと……お疲れなのに」
「そんなことはないよ。むしろ、響のピアノは癒しだからね」
放課後。
二人だけのコンサート。
その始まりは、本当にひょんなこと。部活終わりに何の気なしに弾いていたピアノを、先輩が聴きに来てくれたのだ。「すごくいい音色だったから、気になってね」と。初めは、自分のような地味な存在を気にかけるなんてと困惑した。それに、先輩とのこの関係が知られれば、周りから嫉妬や反感を買うのではないかとも警戒した。
けれども、予想に反して、周りからは仲のいい二人と思われているようだった。そしてそのうち、響の方が、次第に先輩なしの生活を考えられなくなってしまっていた。
目を
「いいんですか? ……いつも、いつも」
「? 嫌だった?」
「そ、そんな!! ――じゃなくて……」
……自分なんかのために。と言いかけて、先輩に制止させられた。先輩が浮かべたのは、少しだけ意地悪な表情。逢魔時の残光が作り出す顔の陰影に、ふと悪魔を感じた。それで、それまで早かった心臓が、瞬時に拍動を止める。
「確かに、響の音楽は、僕だけに……ってのは勿体なかったね」
僕。
それが、先輩の使う一人称だった。
「今度は、友達も連れて来るよ。そうすれば――」
「嫌ですッ!!」
気が付けば、響は声を荒げてしまっていた。すぐに、ハッとして「いや……そうじゃなくて……」と言い訳を探しながら委縮するが、もう遅い。先輩はそんな殻に閉じこもりたそうな響を見て、ふき出した。
「ごめん、ごめん。ちょっと意地悪だったね」
「なッ!? あ、遊ばないでください!! r――」
先輩の名前を呼び掛けて、口をつぐむ。
響は先輩の事を名前で呼ばない。初めの頃こそ呼んでいたが、そのたびに先輩が嫌な顔をするのを感じ取っていた。先輩曰く、キラキラネームだから嫌なのだそうだ。ならば苗字で……とも思ったが、何か事情があるのか、いい顔はしてもらえなかった。
響は先輩の唯一になりたかった。いまや響は、心の底で思っていたそれを、はっきりと自覚してしまった。だからこそ、自分が嫌になる。天に浮かぶ月のような仰ぐべき存在を、自分の唯一にしたいなどと
けれど……それでも響は、なりたいと思ってしまったのだ。――先輩を、下の名前で呼べる唯一の存在に。
「――好きですよ。先輩の名前」
これが、響が言える唯一の言葉だった。先輩の名前を知った時、確かに珍しい名前だと思ったが、響はキラキラネームだとは思わなかった。むしろカッコいい名前だとさえ思った。
「先輩の名前の由来は、きっと光なんです。だから――」
素直にそう思った。先輩の友人は、先輩のことを
「光かぁ……。響は物知りだね」
それでも、先輩は自嘲気味に笑うだけ。そうやって、一笑に伏すだけで、名前を呼ぶことを許してはくれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます