第76話 恋話を考えないときほど恋の話題が出る。意味がわからない(side信乃)
どうにかとりつけた文化祭デートの約束。ここで雰囲気を作って、もう一度虎徹にアタックをしかける。そのつもりだった。それなのに信乃は虎徹の疲れた顔を見ると、これ以上負担をかけたくないという気持ちが先に来てしまった。
いつも座っている学校の机も和風の風呂敷をテーブルクロス代わりにかけるだけで雰囲気がすっかり変わってしまう。虎徹が自然と教室の奥の席に向かっていく。その後ろを信乃は黙ってついていった。
注文したあんみつはすぐにやってきて、虎徹の顔に少し怯えた生徒がそそくさと逃げるように立ち去っていった。虎徹はそれを気にしていない振りをしながら、虎徹が持つとやたらと小さく見えるスプーンを手にとってあんこをすくっている。
「去年はこういうことになるなんて考えられなかったな」
ふいに虎徹が呟くように言った。
「そう考えるとこてっちゃんも結構丸くなったってことなんじゃない?」
「俺は最初から尖ってた訳じゃないぞ」
「見た目は全然変わってないとは思うけどねー」
虎徹は信乃に向かってムッとした顔を向けているが、気分を悪くしたようには見えなかった。少しだけ気持ちを切り替えられてきたのか、スプーンの動きが早くなったように思えてくる。
損な性格だな、と思いながら、信乃はあんみつに乗ったサクランボを口に入れる。梓のおかげでこの立ち位置に来ることができたのだから少しだけ感謝はしている。でも告白のフォローまで任されるほどじゃないはずだ。本当は自分のことで手いっぱいだったはずなのに。
「どうした? 結構うまいぞ」
「こてっちゃんは切り替えが早くていいなぁ、と思って」
「しかたないだろ。他人の気持ちは簡単に変えられないことくらいはわかってるつもりだ。お前の気持ちだってそうだろ?」
なんで今そんなことを言うんだろう。今日はもう言わないと決めていたのに、答えを聞きたくなってしまう。困っているように見えて、虎徹は本当はこの状況を楽しんでるんじゃないかと疑いたくなる。
「あれ?」
虎徹の言葉にふと気付く。梓の告白は今日すぐに断った。それなのに自分の告白はまだ答えを聞いていない。それはつまり虎徹としてはまだ迷っているということになる。一度は理佳と付き合うからと断った相手なのだから、もう一度断るのも同じことだというのに。
「なんだよ、おかしなことでもあったか?」
「ううん、なんでもないよ」
虎徹に悟られないように、信乃は安堵の笑みを漏らした。だったら今日の目標はすでに達成している。まだ虎徹の一番にはなれていないけど、まだ可能性が残っている。今はそれだけで十分だった。
「ね、この後なんだけど、せっかくだから他の学年の発表展示を見に行ってみない?」
「それは構わないが、俺に気を遣わなくてもいいぞ。人の集まるところでも」
「ううん。自分で作ってみたら他のクラスのも見てみたくなったから」
今日の目的は知らず知らずのうちに達成されていた。信乃は晴れやかな気持ちで虎徹の隣を歩く。周囲から集まる視線も気にはならなかった。
当然と言えばそうなのだが、展示を行っている一年四組は盛り上がる文化祭から取り残されたように静かだった。隣の三組は喫茶店をしているらしく盛り上がっているというのに、ほんの数メートルしか離れていないというのに別世界にいるようだった。
「なんでこっちもテーマが恋愛映画の告白シーンなのよ」
装飾のない模造紙のテーマを読んで信乃は溜息交じりに首をかしげる。先に回ってきた三年一組のテーマは『日本の歴史に見る告白の方式』だった。
「ここまで来ると、信乃の影響力もバカにならないな」
「わかってても言わないで。今日はその話はしないって言ったのにぃ」
後は文化祭を虎徹と楽しむだけと思っていたのに、自分の過去はいつも不要なときだけ顔を出してきて邪魔をしてくる。
「早く見て。次行こ、次」
「自分が回るって言ったんだろ。せっかくだから読むくらい読ませてくれ」
「へぇ、こてっちゃんは興味あるんだ。意外だった」
「おかげさまで興味が出るようなことが最近たくさんあったからな」
虎徹はそう言うと、最低枚数ピッタリにまとめられた展示発表の内容を真剣に目で追っている。体育祭の日のことを思い出しているようで、顔が熱くなるようだった。
「そうだ。次行く前にりっちゃんの様子、見に行こうよ。そろそろ元気になったと思うし」
「信乃の言う通りなら、もう一人で文化祭を回ってるんじゃないか?」
「でも、もしかしたら待ってるかもしれないじゃん。私は十分楽しませてもらったから」
その言葉に嘘はなかった。虎徹は答えに迷っている。それがわかっただけでも十分だった。
保健室に向かう。理佳を連れてきたときと同じく、カップに口をつけていた保健医が少し驚いたような表情で信乃たちを見た。
「りっちゃんの調子はどうですか?」
「んー、聞いていなかったの?
「帰った? 嘘。私、何も聞いてないのに」
自分に気を遣っているとは思っていたけど、一人で帰るほどじゃないと信乃は思っていた。もしかすると、気を遣っていると思っていたことが間違いで、本当に体調が悪かったのかもしれない。自分の勝手な考えでいろんなものを見誤ったかもしれないと気付いてももう遅かった。
隣を見ると、もう虎徹は入り口に向かって走っていくところだった。
「あ、ちょっと!」
信乃の声が聞こえていないかのように、虎徹はまっすぐ昇降口に向かっていく。虎徹が本気で走っていったら信乃に追いつけるはずもない。
「やっちゃったかなぁ」
理佳のことはわかっているつもりだったのに。虎徹に嘘をついたと思われただろうか。不安ばかりが頭に浮かんでくる。
信乃は自分も保健室のベッドでふて寝したいような気分になりながら、親友であり恋のライバルのことを考えていた。
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