第70話 冷静になると自分が恥ずかしくなる。意味がわかる(side信乃)

 信乃しのが一人で担当することになってしまった文化祭の研究発表の準備は、虎徹こてつたちの協力もあり、一週間前には余裕を持って完成していた。


 最低三枚という暗黙の了解を遥かに超える倍の六枚の模造紙には、女装という少し縁遠そうなテーマが日本の歴史に沿って並んでいる。体育祭では最下位に沈んだクラスもこの発表のやる気なら学年金賞、学校賞も期待できるほどの出来だった。


 虎徹の一喝にビビり倒したクラスメイトが信乃の作業を一切妨害しなくなったというのも大きいかもしれない。会心の出来を体育祭から引き続き実行委員をしている六戸ろくのへに見せると、ううん、とうなっただけでそれ以上は文句のつけようがないという雰囲気だった。


「さすがの苗羽のうまさんって感じだね。これはみんな許すしかないでしょ」

「さすがの私も許してもらわなきゃ。クラス替えまでこのままじゃ困るからね」


 信乃の受け答えにも余裕があるのには理由があった。信乃を許すかなんて話はもうとっくの昔に終わっている、ということだ。虎徹が信乃の味方をして、何かあったら怒ると分かった時点で、誰もその結果をくつがえせるわけもない。すっかり沈下したクラスの反信乃の雰囲気は発表物の完成で消えてなくなるだろう。


「とりあえず、こっちは何とかなったか」


 信乃は疲れを体から漏らすように息を吐く。一人でもなんとかするつもりだったが、虎徹と内日うついがいてくれて助かったのは事実だった。


 虎徹の一喝で邪魔が入らなくなったのは決定打だったが、同じクラスにいても今まであまり仲良くなかった内日が味方をしてくれていたおかげで信乃への風当たりはかなり収まっていたと言える。


 もう一つ、片付けなければいけない仕事が目の前にあると、人は抱えた問題から離れることができる。そして、いざ元の自分に戻ってみると、冷静な頭で向き合えるようになるというものだ。


「はぁぁ……」


 そして、虎徹に告白するという問題に冷静に向き合った信乃は、体育祭から数日の自分を振り返って重々しい息を吐いた。


「絶対、私ってば浮かれてた」


 一時的なハイテンションで虎徹に積極的に迫っていた自分。思い返しているだけで机に突っ伏して頭を打ちつけたくなる。黒歴史ってこうやって増えていくんだ、と信乃は首を下げて、赤くなっていそうな顔を両手で隠すようにおおった。


 虎徹が最近の信乃を警戒しているのも、今ならありありと感じる。普段の信乃ならもっと早く虎徹の心の動きを捉えていただろう。それができなくなるほど、理佳ただよしが虎徹から離れたことは衝撃的だったのだ。


「それはそれとして、チャンスなのには変わりないし」


 展示物の作成が終わればもう文化祭でやることはない。模擬店のように店員もいらなければ演劇の演者もいらない。受付すら用意する必要がない信乃たちのクラスは部活の出し物の方にいったり好きに文化祭を見て回ったりすることができる。


 つまりこれからの信乃の目的は、虎徹を文化祭デートに誘うことにある。


「大丈夫。ちゃんと理由もあるんだから」


 まずは理佳の演劇を一緒に見に行く提案をする。虎徹が見に行かないはずもないし、信乃だって行ってもまったくおかしくない。自然と二人が同じ場所に来ることになる。そこで約束を取りつけて、だったらその前に校内を回ろうと提案する。


 展示の手伝いをしてもらったお礼もある、と念押しすれば虎徹ならたぶんついてきてくれるはずだった。


「でも、なんか顔合わせづらいなぁ」

「誰の話だ?」


 急に降ってきた声に、信乃は突っ伏していた顔を上げる。まさに今、頭の中で思い描いていた顔がそこにある。虎徹が不思議そうな顔で信乃のことを見下ろしている。今考えていることが見透かされているんじゃないかと焦りながらも、信乃は勢いのままに立ち上がった。


「あのさ、文化祭は一緒にりっちゃんの劇見に行こうよ」

「あぁ、それは構わないが」


「それでさ、劇が始まる前に一緒にどこか回ろ。今回のクラス研究手伝ってもらったお礼もあるし」


 言えた。勢いに任せていってしまう方がうまく言える。それは今までの経験でなんとなくわかっていた。後は虎徹の答えを聞くだけ。


「悪い。先約を入れちまった」


 虎徹は少し申し訳なさそうに頭をかく。絶望で開いた口が塞がらなくなるのを両手で押し上げながら、信乃は平静を保っている振りをした。


「あ、そっか。やっぱりりっちゃん?」

「いや、あずさだ。さっき急に電話がかかってきてな。なんかやけに息が荒かったし、試合申し込んでくるぐらいの気迫でついOKしちまった」


「梓さんが、文化祭来るんだ」

「あぁ、うちのクラスの発表は信乃が作ったからちゃんと見ろよ、って言っておいた」

「ある意味、向こうの方がプロのような気がするけど」


 無難な答えを返しながら、信乃は口の中でもやもやする気持ちを必死に飲み込んだ。どうしてこう自分はタイミングが悪いのか。梓はいったい何を考えて文化祭に来るつもりなのか。


「じゃあ、劇の後! 後で何かオゴるから、約束ね!」

「あ、あぁ。わかったが、別に礼なんて気にしなくていいぞ」


 そういうのはいいから素直に一緒に回ってよ。その言葉は結局口に出せないまま、信乃は梓と理佳のことが気にかかったまま、文化祭当日を迎えることになったのだった。

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