第65話 人は山に籠もりたくなる。意味がわからない(side梓)
「まさか、防がれるとは思いませんでしたわ」
誰も来るはずのない自分の家に連れ込んで、想いを伝えるはずだったのに。気付いたら
「これは、きっと慢心ですわ」
自分の家に引き込んだところで安心してしまった。強引に迫ればなんとかなると考えていたのに、いざ虎徹の顔を見ると何もできなくなってしまった。
「自分を追い込まなければ。そうすればきっと私も虎徹様に」
相手のフィールドに入っていって周囲の視線にさらされながらそれでも虎徹の目を見て、自分の気持ちを伝えられなければ、
相手のフィールド。とはいえ、梓は虎徹の家にも行ったことがある。その時も二人きりだったのに何もできなかった。プールに行って水着も見せた。カラオケにも行った。
「もしかして私、全然ダメなのでは?」
ようやく気付く。これまで何度のチャンスをふいにしてきたのか。虎徹には理佳がいるからと言い訳してきたが、その実、自分のヘタレ具合の方が問題だったのではないか。
「そういえばもうすぐ虎徹様の学校も文化祭の時期ですわね」
相手の学校。中に入ったことのない場所。そこには理佳も信乃もいる。そのくらいの逆境で自分の気持ちくらい言えなければあの二人には並べてもらえない。
その前に自分に自信が欲しい。負けない精神をつけなければ。今まで自信がないなんて思ったことがなかったというのに。一度自分の弱さに気付いてしまうと、なにもかもに臆病になってしまう。こういうとき、虎徹ならこういうときどうするだろうか。
「山籠もりですわ」
思いついた言葉がそのまま口から出る。虎徹ならきっとそうやって限界まで自分を追い込み、目的を達成するだろう。短期間でウェイトを落として、梓と試合をした時のように。
梓は早速スマホを取り出して、入れそうな山を探す。完全に迷走を始めているが、止めてくれる仲間はここにはいなかった。
* * *
整備されたハイキングコースに向かう道から外れ、獣道から流れる沢に沿って中腹へと登っていく。周囲は静かで、鳥のさえずりもはっきりと聞こえた。
山籠もりの場所は意外にも簡単に見つかった。なぜか梓の街の近辺にある山籠もりスポットのブログが見つかったのだ。体験談を含めたオススメ順まで書かれた詳細な内容で、注意点や簡単な寝床の作り方もあった。旅行ガイドブック以上の内容だ。
梓がやってきたのは初心者向けのポイント。ハイキングコースがあることからもわかる通り、危険な生物もおらず、自生している植物も食べられるものが多い。
自分を追い込むという部分では少し足りないかもしれないが、梓にとって山籠もりなんて初めてだ。普通のキャンプさえもやったことがない。それなのに一人きりでろくな道具も食べ物も持たずに山に入るのだから、落ち着いた森の中とは対照的に梓の心はすでに不安でいっぱいだった。
「ここで自分を見つめなおし、きっと想いを伝えてみせますとも」
沢を川上へと登っていくと、大きな木が見えてくる。拠点として目印にちょうどよく、秋には木の実が実っていて食べ物にも困らないらしい。まさに初心者向けだった。
「さて、まずは寝床の確保。それから初日のうちに周囲の探索でしたわね。あれ?」
ブログに書かれていた木と沢を結んだ直線上にある少し拓けた場所が寝床の候補として挙げられていた。そこには本来あるはずのない木で組み上げられた簡易な屋根がすでに作られていた。ブロガーによると使い終わったら最終日に崩して焚き火にしているはずだから、あるはずがないのに。近づいていくと、今しがた作業を終えたらしい女の子がこちらを振り返った。
「あなたはぁ、梓さん、でしたっけぇ?」
屋根を組み立てて、寝床の準備をしていたのは、以前にカフェで会った
真尋も今日から来たのだろう。寝床の準備で働いた結果、すっかりTS病で女体化している。女の姿になるのを恥ずかしがっていた真尋も、誰もいない山の中なら問題ないようだ。
「どうしてここに?」
「真尋様こそ。私は、少し自分を見つめ直したくて」
「俺も似たようなものですぅ。あの日、緊張し過ぎで倒れてから緊張と不安に立ち向かうために、虎徹先輩を見習って山に籠もってみることにしたんですぅ」
やはり精神を鍛えるなら山籠もり。これはこれからブームになる。これが終わったらファッション雑誌のインタビューでそう答えてもいいかもしれない。
「まさか先客がいるとは思いませんでしたが、いまさら予定を変えるわけにもいきませんの。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「はい。俺は全然構わないですぅ。こちらこそよろしくお願いします!」
深々と頭を下げると、真尋の胸が波打つように揺れる。虎徹はこれを見ても少しも動じていなかった。誰もが羨むスタイルを持つ梓の体も虎徹には通用しない。
「やはり必要なのは、ハートの強さ。ここで必ず手に入れますわ」
「そうですよぉ! 一緒に頑張りましょう!」
迷走している二人が揃ったところで行き先が修正されることもなく、さらに迷宮の奥深くへと迷い込んでいくのを止める人はいなかった。
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