第64話 格闘家の攻撃は読める。意味がわかる(side虎徹)

 昨日は理佳ただよしの家に行ったが、門前払いされてしまった。今日も行くと伝えたが、理佳には来なくていいと言われてしまった。そういうわけで虎徹こてつは思い悩みながら学校を出たところであずさに呼び止められた。


 いつもより落ち着きがないように見える。たった一歳しか違わないのに仕事で大人の世界に入っているからか自分よりも大人びて見えていた梓が、今日は年相応の同世代に感じられた。


「理佳がもう家に来ないでくれって言うんだよ」


 虎徹は友達が少ない。困っているときに相談できるのは理佳と信乃くらいだ。その理佳が悩みの原因で、信乃は最近様子がおかしいとなると、必然的に虎徹の悩みは打ち明ける先がなくなってしまう。


 そんなところに格闘技仲間でいつもより親しみやすい梓がちょうど現れた。虎徹はついつい率直に悩みを打ち明けてしまった。


「そ、そうですのね。あの、立ち話もなんですから、場所を変えませんか?」


 虎徹はそう言われて自分の言葉が想像以上に重くなっていたことに気がついた。焦っている梓は少し珍しく見える。その姿を見ると、逆に冷静さが取り戻せてくる。


「今日の予定もなくなったしな。少し付き合ってくれるか?」

「はい。どんなお話でもお聞きいたしますわ」


「あんまり他人に聞かれたくない話だからな。梓ならプライベートな話ができる店とか知らないか?」

「それでしたらよい場所がありますわ」


 ふいにいつもの梓が戻ってきたような気がした。モデル業をやっているからそういう個室の店を知っているだろうと思って聞いたのだが、どうやら当たりだったらしい。迷いなく歩き始めた梓についていくと、市街地とは逆方向に進み、虎徹には縁のない住宅地に進んでいった。


「ここです。どうぞお入りになってください」

「ここ、店には見えないんだが」


「はい。私のお家ですから。一人暮らしですので、誰にも話を聞かれることもありませんわ。ご心配なく」

「いや、そういう意味じゃなくてだな」


 梓が手招きしている玄関から上を見上げる。梓の髪のように白い壁の一戸建て。高さからして二階もある。虎徹の家より小さいことは間違いないが、それにしても一人で暮らすには大きすぎるだろう。


「男なんか連れ込んで変な噂が立ったりしないか?」

「私、一度虎徹様のお家に行きましたときも何にもなかったんですよ? それに噂なら好きにしていただいて構いませんわ」

「そうやって堂々としてるから噂のしようもないのかもな」


 秘密があるから暴きたくなるもので、隠していなければ噂なんて出てくる余地もない。こういう人間だからこそ、人を恐れる虎徹も梓とは話しやすいと感じているのかもしれない。


 家の中もモデルの梓のイメージそのままだった。

 玄関には造花が飾られ、そのまま写真を撮っても絵になりそうだ。


 二階の一室に通されると、白いテーブルセットが中央に置かれていた。足の先が丸まったようなデザインで虎徹の目にも高級なものだと直感する。戸棚には花柄をあしらったカップや金縁の皿が並び、どれも観賞用かと思えるほどに輝くほどにきれいに磨かれていた。


「どうぞ。私は紅茶派なのですが、お嫌いではないですか?」

「大丈夫だ」


 勧められるままにカップに口をつける。最初は渋みがあるが後口に控えめな甘さが残る。虎徹はあまり好んで紅茶を飲む方ではなかったが、これは好きになれそうだった。


「それで、どうして理佳様のお部屋の掃除なのでしょう?」

「あー、俺と理佳が付き合っていた話って聞いてるんだっけ?」


「耳には入っていますわ。お二人とも教えてくれませんでしたが」

「お前は仕事だなんだでいないことも多いからな」


 虎徹の方から電話をかけるなんて緊急事態でもなければありえない。梓は不満そうに行儀悪くクッキーを音を立ててかじる。だが、理佳で見慣れている虎徹にはそれで気持ちが伝わることもない。


「それでこの間、フラれたわけなんだが」

「見ていましたわ。私、体育祭をこっそり見に来ていましたの。そこで、信乃様と」

「お前もかよ。不意打ちだったんだよ。もっと速い突きだって避けられるはずなのにな」


 空手の試合なら絶対にあんなに油断していることなんてなかった。信乃は虎徹の心の隙間に何度もするりと入ってくる。信乃にキスされるという事実を無意識に受け入れている自分がいるような気がして、虎徹は無理やり話題を変えた。


「それで、フラれたはずの俺よりフった理佳の方が落ち込んでるんだ。それで部屋は荒れ放題。今はケガもしてるし、理佳は元から片付けなんて好きじゃないしな。不衛生な部屋じゃケガの治りも遅くなる」


「思っていたよりも、虎徹様は強いのですわね」

「俺は理佳の幼馴染だからな。フラれてもそれは変わらないだろ」


 虎徹の何気ない言葉に梓は少し顔を曇らせた。その理由が虎徹にはわからない。虎徹が理佳と幼馴染であることはほとんど生まれたときから変わらない。


 それは梓にも伝わっているものだと思っていたのに。なんでそんな顔をするのか。虎徹には少しも理解できなかった。


「やはり、私もやらなければならないのですね」


 ぼそりと一言声を漏らした梓が立ち上がる。テーブルを叩くように両手をついたせいで、カップから紅茶がこぼれた。


 制服の襟をつかまれる。バーベルでも持ち上げるような勢いで首を引っ張り上げられる。


 勢いよく近づいてきた梓の顔を、虎徹は片手で防いだ。


「何をするんですの!」


 梓は虎徹の硬い掌に打ちつけられた高い鼻を擦っている。思わず手を出してガードしてしまったが、いったい何だったのか。


「いや、なんか殺気があったし。気合入れるために頭突きでもしようと思ったのか?」

「知りません! それを飲んだらもうお帰りになってくださいな!」

「なんでそんなに怒ってるんだよ。お前が連れてきたくせに」


 梓はそれ以上何も言わないまま、紅茶のこぼれてしまったカップを片付け始める。虎徹は何が何だかわからないまま、追い出されるように梓の家から帰ることになったのだった。

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