第62話 まだまだ恋のライバルがいる。意味がわからない(side信乃)
何度も食べておいしいと知っているはずのクレープなのに、今日は砂が混じったような味に感じられた。
「なんで二人が付き合ってると思ったの?」
「別に根拠なんてないんです。ただ、
「憧れ?」
「はい、恋する女の子ってこうなんだって。私には、そんな相手もいないですけど」
少し首をうなだれて、内日はためらいがちに笑った。クリームのついた頬は、少し赤みを帯びているように見える。
「りっちゃんはTS病だから男も女もないんだけどね」
信乃は自分に言い聞かせるように答えた。言った口がザラザラと乾く。
「TS病って大変な病気なんですね。私も少し調べたんですが、まだいろんなことがわかっていないって」
「この辺りは有名なお医者さんがいるからTS病の患者さんは多いし、りっちゃんは明るい性格だからいいけど。結構二つの性別に苦しんでる人は多いらしいね」
理佳も去年までは女の子になると、部屋に引きこもって男に戻るまで出てこなくなっていた。それだけ自分の性別が変わるというのは重く、苦しいことなのだ。
それでも理佳には虎徹がいた。理佳が女の子になったとき、両親がいなければ虎徹が病院に連れていく。部屋に引きこもった理佳に付き添っていたのも虎徹だった。女の子の理佳にとってはずっと一緒にいた唯一の人間ということになる。
「九石さんは不幸なんでしょうか?」
「たぶん、今はね」
理佳が自分の恋心に気付く前に、せめて女の子になる可能性を知る前に。それまでに信乃が行動できていれば、何か変わっていたのかもしれない。虎徹はどう言うかわからないが、昔の理佳なら信乃のことを応援していただろう。それを見せていれば、理佳の気持ちも今とは違っていたのかもしれない。
何もかも遅すぎる。誰かに背中を押されなければ一歩が踏み出せない自分が嫌になる。ぐっと唇を結んで、信乃はそれ以上何も言えなかった。
その後、内日と何を話したかよく覚えていない。ただ、理佳も信乃も今は虎徹と付き合っていないという話だけはしたような気がする。嘘はついていないが、はぐらかしたようで少し後ろめたかった。
「はぁ、なんか勢い
今日のお昼くらいはもう何も怖くないと思っていたのに。虎徹にまっすぐ向き合えると思っていたのに。まだ理佳の呪縛は消えない。いや、理佳の呪縛ではなく、信乃自身が生み出している呪縛だ。
「あらあら。ずいぶんと浮かない顔ですわね。ようやく対等な舞台に立てたと言うのに」
いつもとは違う帰宅ルートだというのに、微笑みを浮かべて
顔見知りでなかったらお化けでも現れたかと逃げ出しそうな服装。人間離れした容姿を持ちながら、信乃と同じく虎徹なんかに恋してしまったどうしようもない敵であり仲間だった。お化けと同じくらい今の信乃には会いたくない相手でもあった。
「なんであなたがここにいるのよ」
不満そうな顔で信乃が尋ねる。それとは対照的に梓は笑みを浮かべていた。
「もちろん私の賭けに貢献してくれた信乃様にお礼を、と思いまして。今日は虎徹様はご一緒ではないのですね」
「こてっちゃんなら、りっちゃんの具合を見るためにすぐ帰ったわよ」
「あら、そうでしたか。虎徹様は心もお強い方ですわね」
梓はそう言って、微笑みを見せた。すでに勝ち誇ったような顔をして、まるで理佳が別れを切り出したなら虎徹と付き合えるとでも言いたげだった。
信乃は梓の姿をじっと見る。すらりと伸びた長身に日本人離れした大きな目と目を引くプラチナブロンドの髪。トップモデルをやっているのだから当たり前だが、顔だって超がつく美人。たぶんお金もたくさん持っていて、格闘技という虎徹との共通点もある。
梓に告白されれば、百人の男がいたら百人首を縦に振る。そのくらいの魅力があることは女の信乃でもすぐにわかるほどだった。
「私の策に協力いただいたことには感謝します。でも、だからと言って虎徹様はお譲りしません。今日はそれだけ伝えに参りましたの。理佳様のいなくなった今、私のライバルと言える存在は信乃様だけなのですから」
梓はそう言いながら、微笑みを浮かべながら舌なめずりをする。梓はTS病が治って女の子になったから忘れていた。梓はあの無敗の
戦うということをこれほどまでに楽しめる人間はそういない。それはリングの上でも恋愛でも同じということ。
「私だって、こてっちゃんのことが好きなんだから」
「そうですわね。それでこそ私が恋敵だと認めた人ですわ」
すれ違うように去っていく梓の後姿を見つめながら、信乃は気持ちを確かめるように自分の胸に触れた。
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