第57話 やる気を出しているときが一番危ない。意味がわかる(side虎徹)

 体育祭の本番は少しそよ風の吹く快晴だった。気合の入った応援がグラウンドに響き渡っていく。虎徹こてつたちの学校では紅白に分かれることはない。点数はクラス別に入っていき、各学年で優勝クラスが決まるシステムになっている。


「はぁ、そういえばクラスの応援席にいるのも初めてだなぁ」

「そういえばりっちゃんって去年も保健医の先生と一緒にテントにいたんだっけ」


「炎天下にいたら体に悪いからな」

「虎徹は心配性なんだから」


 朝からウォーミングアップをすませていた理佳ただよしは、学校に来る前にはすでに女になっていて、今日は癖っ毛を太いヘアゴムでポニーテールにまとめている。信乃しのもやる気だけはあるようでサイドテールを丸めて髪を留めている。


「今年は優勝するぞー! おー!」

「「うおー!」」


 理佳のかけ声にクラスが呼応こおうする。いつもは遠く教師たちの座ったテントの隣にいる女神が、今日は引かれた白線の枠内にいる。それだけでクラスのテンションを上げるには十分だった。


伊達崎だんざき、今日は本気出していいぞ」

「今年本気出したら、冗談抜きで来年出禁にならないか?」


「当たり前だ。来年別のクラスになったら出禁を申請する」

「同じクラスになったら競技数制限の緩和に動くぞ」

「お前らなぁ」


 そういう軽口が聞けることに虎徹は内心喜んでいる。とはいえ顔に出すにはまだ恥ずかしい。固くなる表情を隠しながら答えた。


 体育祭は順調に進んでいく。虎徹は一五〇〇メートル走で圧倒的な大差で一位を獲得。その真逆で信乃は二〇〇メートル走をぶっちぎりの最下位で戻ってきた。


「はぁ、はぁ。みんな早すぎでしょ」

「よくがんばったんじゃないか」


「こてっちゃん、なんでそんな余裕なの?」

「靴履いて平坦な地面を走るだけだぞ。何か疲れることがあるか?」

「はぁ、聞いたのが、間違いだった、わ」


 信乃が溜息をつきながら応援席に座る。その肩を理佳が叩いた。


「しーちゃんの分は僕たちがとり返してくるよ!」

「あー、うん。頑張ってね」

「全然期待してない!?」


 理佳がわざとらしくリアクションしても息切れしている信乃にはまったく響いていない。初めての体育祭でテンションの上がった理佳はちょっと面倒くさい。


九石さざらしさん。早く行かないと。もうみんな集まってますよ」

「あ、ごめん。すぐ行くね!」


 内日うついに呼ばれて理佳が慌ててスタート地点に走っていく。虎徹は少し不安だった。こういう時の理佳は、だいたい勢いに任せて失敗する。最下位で帰ってきたら慰めてやろう、と虎徹は思っていた。


「あ、りっちゃんもう走っちゃう。応援する元気ない」

「手くらいは振ってやれよ」


 理佳の左足と内日の右足がハチマキで固く結ばれる。スタート位置に着く数メートルの間さえもたどたどしい歩きだった。どうやら特訓の成果は出なかったらしい。


「位置についてー」


 スタートを告げるピストルが爆ぜる。予想通りのろのろとした歩きで動き出す。グラウンドを半周する一〇〇メートルほどのコースだが、コーナーにかかる頃にはずいぶんと他のクラスからは離されていた。


「がんばれー!」

「落ち着いてー!」


 優しい声援が飛ぶ。その声がどのくらい聞こえているのかはわからない。応援が聞こえたのか、それとも離されていくことに焦ったのか。理佳と内日がスピードを上げる。


「あ、危ない!」


 息切れしていた信乃が声を上げた。結んだ足に引っ張られるように内日が体勢を崩す。内日が前のめりに地面に倒れ込む直前に、理佳がかばうように強引に体を滑り込ませた。


 乾いた地面と擦れる音がする。誰もが呆然として残念そうなため息が漏れる。そんな中、虎徹だけはグラウンドに向かって走り出していた。


理佳ただよし!」


 周囲の視線も気にせず、理佳の元に駆け寄ると、重なるように倒れていた内日が顔を上げた。


「あの、倒れたときに変な音が」

「悪い」


 内日の話も聞かず、虎徹は理佳の体を足で結ばれたままの内日ごと抱え上げる。女の子とはいえ二人分の重さ。それでも虎徹は軽々と抱え上げて、保健医のいるテントに向かった。


「うーん、折れてはなさそうかな」


 ゆっくりと包帯を巻きながら保健医は優しくそう言った。今はシップと包帯の下に隠れているが、理佳の足は赤く腫れあがっていた。虎徹も触った感覚で骨折ではないと思ったが、かなりひどい捻挫ねんざには違いない。


「病院に行った方がいいな。俺が連れていくよ」

「えー、やだー!」


 それほど痛くないらしい理佳はベッドに腰かけたままそんなことを言いだす。


「だってさ、これからクラスの演劇があるんだよ? 主役の僕がいなきゃ困るよ」

「こんな足で出られるわけないだろ」


「じゃあ、どうするの? 中止? 僕のせいでせっかくみんなで練習してきたのが無駄になるなんて嫌だよ」


 理佳が寂しそうにこぼす。そんな顔をされたとしても演劇に出るのは許せなかった。ケガをしたことだけでももう心配でしかたがないのに、このまま我慢して何かをやらせるなんて絶対にできなかった。


「しかたないだろ。今から演者を用意するわけにもいかないし」


 代わりなんてもちろん考えていない。プロの舞台とは違う。学生の行事の一環でバックアッププランなんて用意しているはずもない。


「りっちゃん。足、大丈夫?」


 保健室のドアが開いて、信乃が入ってくる。それと同時に理佳の顔が少しだけ明るくなった。


「ねぇ、しーちゃん。お願いがあるんだけど」


 虎徹も信乃もその一言でこれから理佳のお願いすることをすべて理解した。

 だがそれは、かなり無謀な提案のように思えてしかたがなかった。

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