第53話 目立たない子が演劇のメインキャストになった。意味がわからない(side信乃)

 仮面夫婦とはいえ、理佳ただよしの妻の役を信乃しのが演じる。


 脚本の一版が出た翌日、配役決めのホームルームで、信乃は理佳、虎徹こてつと並んで教壇に立ち、六戸ろくのへがメインの配役が決まったことの説明をしているのを聞いていた。


 それを聞いたクラスは荒れに荒れた。


「いや、九石さざらしくんのたっての希望でさー」


 実行委員の六戸がなんとかなだめようとするが、事態は簡単には収まりそうもない。


「それでも、やっぱり、ちゃんと立候補者から選ぶべきだろ!」

「そうだ、そうだー! 実行委員の権利の濫用を許すな!」

 今にも平安時代から鎌倉時代へと移る侍の反乱が再現されてしまいそうな勢いだ。


「どうしようか? やっぱりちゃんと多数決で選んでもらう? 私も立候補はするけど、選ばれるかはわからないよ」

「うーん。さすがにみんなに悪いしね」


 そんなことを理佳と小声で話していると、面倒そうに首筋を右手で撫でていた虎徹が一歩前に出た。


「立候補して配役を選ぶのは構わない。ただし宰相中将さいしょうのちゅうじょうの役は俺がやる。これは理佳が主演をやるために最初に決めた条件だったな。これは守ってもらうぞ」

「あ、うん。それは誰も文句言ってないよ」


 六戸の言葉にクラス全員が首を縦に振る。少しは虎徹もクラスになじめてきたかと思っていたけど、まだ恐怖の対象からは抜け出せていないみたいだ。


「四の君は宰相中将とも恋愛関係にある。つまり俺と二人で演じることもあるだろ。その時、練習も含めて逃げない、気絶しない奴だけ立候補しろ。決まった後でやっぱり、っていうのはナシだ」


「あー、確かにね。準備時間はそれなりにあるけど途中で交代しちゃうと困るからね」


「と、というわけで立候補したい人ー!」


 さっきまで文句であふれていた教室は水を打ったように静かになった。虎徹と二人。考えただけで頭がくらくらしてくる生徒もいるだろう。


 虎徹が理佳の気持ちを守ろうとして自分から憎まれ役を買って出た。たぶん自分のためじゃない。そこまで思われている理佳が信乃には羨ましかった。それと同時に虎徹と二人きりで練習することもある、と少しだけ期待もしていた。


「んー、やっぱり誰もいないかな? それじゃ四の君役は苗羽のうまさんで」


 六戸がまとめようとしたとき、壇上にいた理佳があっ、と声を上げた。


「手、挙げてる?」


 理佳が指差した方を見る。教室の最後方の隅。ちょうど虎徹の隣の席に座った女子生徒が顔の横に小さく手を挙げていた。


 つやつやとしたからす濡羽ぬれば色の艶やかな髪を目が隠れるほどに長く伸ばしていて、その表情は見えない。確か図書委員をしていて、昼休みも放課後も図書室にこもっているイメージがある。おかげでいつも虎徹の隣の席は空いていて、一緒にお昼を食べたり雑談したりといったときに使わせてもらっていた。


「誰だっけ?」

「隣の席の子くらい覚えてあげなさいよ」


「いや、ああいうタイプはマジ泣きされるから、怖くて近づけないんだよ」

「確か、内日うついひなたさん、だったっけ?」


 答える信乃も少し記憶が曖昧あいまいだ。どちらにしても虎徹にビビらないとは思えない。自信なさげに怯えて震える内日の手を見ると、信乃が相手でも思いきり怒れば倒れてしまいそうなほどだった。


「えっ、と。他に立候補がいないなら投票しちゃおっか」

「大丈夫? 内日さん、誰かにやらされてるとかじゃ」

「大丈、夫、です。やります。私、やりたいです」


 耳をすませばなんとか聞こえるほどの小さな声。それでも本人がやると言った以上は信乃ももう否定することはできない。


「じゃあ、紙を回すから、名前書いて箱に入れていってねー」


 いらないプリントの裏紙と文房具の空き箱を使った文化的な秘密選挙の結果、内日ひなたが四の君役として選ばれることとなった。


「ま、そりゃそうだよね。勝手に決められた私よりはそっちを選ぶか」

「ごめんね、僕が先に決めちゃったから」

「ううん、いいの。裏方として頑張りながら、ちゃんとりっちゃんの練習には付き合うからさ」


 いまさら信乃は他の役に入るつもりもなかった。昨夜は一晩中、理佳を裏切って虎徹の恋人になる役に自分の立場を重ねて、一睡もできなかった。


 だから、役を下ろされたとき、悔しいようなほっとしたような複雑な気持ちで、壇上に上がってくる内日のことを見ていた。


 信乃は自分の席に戻って腰を下ろす。そして、壇上で少しうつむきながら両手を前で結んでいる内日を見た。


 とても体育祭や文化祭ではしゃぐようなタイプには見えない。中学の頃の自分によく似たタイプだ、と信乃は思う。まさか虎徹に惚れていて、このタイミングで何かしようとしているんじゃ、と考えるが、虎徹の隣に立ってはいるもののそんな気配は感じなかった。


「何もなさそうなのに、なんか気になるんだよね」


 長く垂れ下がった髪の奥にどんな考えがあるのか。信乃はぼんやりと脇役が決まっていくのを見ながら、理佳のためにできることを探していた。

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