第47話 虎徹と理佳が付き合うことになった。意味がわからない(side信乃)

 虎徹こてつ理佳ただよしが付き合うことになった。

 その話を聞いて、信乃しのに湧き上がった感情は、悔しさでも悲しさでもなく、怒りだった。


 理佳のTS病が治るまでは答えを待つ。そう約束したのはそれが自分にとっても虎徹にとっても一番いいと思ったからだ。それなのに、その約束を反故ほごにしてしまうなんて。


 店から離れて、理佳が追ってきていないことを確認すると、信乃はスマホから電話番号を探す。コール音が止まり、相手が出たことを確認すると、一方的に言い放った。


「二人きりで話したいことがあるの」


 電話の相手は手短に場所を指定すると、すぐに向かうと約束して電話を切った。

 絶対に許さない。どうしてそんなことをしたのか、何があっても聞きだす。

 信乃は、怒りに震える手をぐっと握って、指定された待ち合わせ場所へと歩き始めた。


 向かったのは駅前のカラオケだった。夏休みでお客さんがごった返す中、どうやって予約したのか部屋はすでに押さえられていた。言われた通り二階の二人用の部屋に入る。薄暗い部屋に明かりをつけて後から入ってくる顔を見上げる。


 いつものように妖しく微笑みをたたえたまま、あずさが信乃に続いて部屋に入ってきた。


「カラオケってずっと憧れていたんですの。また来られるなんて嬉しいですわ」

「そうよね。涼しいし、密室な上に周りは大声で歌ってるもん。秘密の話をするにはもってこいだよね」


「そうですわね。二人きりでお話ししたいとおっしゃるので選ばせていただきましたわ」

「そっか。じゃあ聞くけど、前はと秘密の話をしたの?」


 答える代わりに梓は不敵な笑みを浮かべてソファに座った。かぶったままの帽子の下で赤い唇が歪んで見える。


 信乃はいらだったまま向かいのソファに座ると、大音量で流行りの曲を流すカラオケのモニターをミュートにした。


「なるほど。虎徹様と理佳様はお付き合いすることになったのですね。しかし、それを知って私のところに来るとは思いませんでした。信乃様をあなどっていたようですわね。認識を改めさせていただきますわ」


「私は嫌われ者だから。こてっちゃんやりっちゃんみたいにお人好ひとよしじゃないの。あなたほどひどい人間のつもりもないけど」


「傷付きますわ。まずは落ち着いて。ドリンクバーでも向かいませんこと? ここは私のおごりですから、遠慮はいりませんわ」


 話を逸らす梓に信乃はいらだちを募らせる。怒りで喉は乾いていたが、梓のペースに飲まれるわけにはいかなかった。


「あの二人はギリギリのバランスで関係を保ってた。TS病っていう重荷を抱えて、でもうまく友達としてやってきた。あと数年我慢すればりっちゃんのTS病も治って、それから二人も私も歩き出せるはずだったの!

 それを、あなたが壊した!」


 テーブルを強く叩く。しかし、目の前の梓は少しも驚くことなく冷たい目で信乃を見つめ返した。


「あなたたちはそうでしょうね。でも私は違います。私は虎徹様の一番ではない。むしろあなたはどうやって虎徹様の一番を奪い取ったのか気になりますわね」


「そ、それは。不意打ちで、ファーストキスを」


「なるほど。そんな大胆な方法は私には思いつきませんでしたわ。信乃様はずいぶんとずるい方のようですわ」


 怒りをぶつけてもこうしてかわされる。エネルギーを使ってもいいことはない。信乃は前のめりになっていた体をソファの背もたれに預ける。叫んだせいでイガイガする喉を潤したくなる。さっき梓の誘いに乗って、ドリンクバーに行っておけばよかった。


「二人が付き合ったら、半分は男同士で付き合うことになる。周囲がどう思うかなんてどうでもいい。でもりっちゃんは絶対にそうは思わない。もしそれに耐えられなくなったら」


「理佳様はご自分から身を引くでしょうね。そして虎徹様はフラれる。虎徹様の一番は空席になるでしょうね。そうなれば、私にも虎徹様の一番になる可能性が生まれる」


 少し言い淀んだ信乃の言葉を継いで、梓は淡々と続けた。自分の目的のために犠牲をいとわない。それだけの決意が梓の表情から感じられた。


「別に私だって理佳様を嫌っているわけではありません。このままTS病が治るまでお二人が恋人のままでいられるのなら、それを祝福するだけの覚悟はありますわ。

 真尋まひろ様の一件で、お二人の心が固まり始めているのは見てとれましたわ。でもまだ私自身が諦めきれないから、お二人の間にまだ不安が残っている状態で背中を押して差し上げた。

 それが、私が理佳様に勝つために選んだ危険な賭け。これから先を決めるのは、私ではなくお二人です」


「勝ったらりっちゃんが、負けたらあなたが傷つくことがわかっていても、やらなきゃいけないことなの?」


「えぇ。勝利とは挑み傷ついた者に与えられる勲章です。観客は祝福と共感はできても勝利そのものは決して手に入らない。だから信乃様もわざわざ私を問い詰めに来たのでしょう? 同じリングに上がらなければ、勝者たりえないから」


 鋭く信乃を射抜く視線は、格闘家の千両梓ちぎりあずさのそれだった。


 信乃はもう理佳に負けたのだと思っていた。TS病が治って、女の理佳と自分を比べてどちらを選ぶのか、と虎徹に聞きたかった。その前に虎徹が理佳を選んだ。だから、ここに来たのも義憤ぎふんのつもりだった。


 しかし、梓に心の裏を見透かされ、何も言えなくなってしまった。理佳は男の自分が虎徹と付き合っていることに耐えられなくなる。先にそれを言ったのは他でもない信乃の方だ。


「私が、りっちゃんに別れてほしいって思ってるって言いたいの?」


「いえ、そこまでひどい方だなんて思ってはいませんわ。ただ少なくとも今の私たちは部外者ですわ。お二人の行く末を見守る観客。その時が来るまで一時休戦といきましょう」


 たった一歳しか違わないのに、この経験と思考の差はなんなんだろうか。二つの世界でトップを走り続けてきた梓にだけ見えているものがある。それが何なのかまでは今の信乃には理解できなかった。


「私は、こてっちゃんとりっちゃんの友達だから。二人がずっと一緒にいられるように応援するから」

「ご自由に」


 それだけ伝えると、信乃は逃げるようにカラオケルームを後にした。

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