第44話 言いたくてもなかなか言えないことがある。意味がわかる(side虎徹)
「その気持ち、
理佳のことを見るたびに心臓が跳ねるのをごまかしながら過ごしていると、気付けば一ヶ月が経っていた。
もうすぐ夏休みがやってくる。
いつもなら楽しみな山籠もりができて虎徹の心は弾んでいるはずなのに、今年はまったくそんな気分には慣れなかった。
何を言うべきなのかなんてわかっているのに、それを口に出すとすべてが変わってしまいそうで恐ろしい。
いつもの帰り道。腕に絡みついた理佳を意識しながら、虎徹の頭の中はぐるぐると梓の言葉が巡っているばかり。
「もうすぐ夏休みだね」
「そうだな」
「今年はいっぱいいろんなところに遊びに行こうね!」
「そうだな」
「ちょっと、虎徹! 僕の話ちゃんと聞いてる?」
「そうだな。って、急に乗りかかってくるなよ」
理佳は虎徹の肩をつかんで飛びつくようにして顔を寄せてくる。木登りしてくる子犬みたいだった。
「だって、虎徹がさっきからぼーっとしてるんだもん。何考えてるの?」
お前になんて告白しようか、なんて理佳本人に言えるはずもない。虎徹は冷静な表情を取り繕いながら、視線を逸らす。
「何、って夏休みのこととか」
「何しようか、って話してるのに。全然聞いてくれてないじゃん」
理佳はさらに顔を近づける。今日は男のままで放課後を迎えた。だから今の理佳は男。別に何も意識することなんてないはずなのに。大きな瞳に困惑を力でねじ伏せた自分の顔が映っていると、何と言えばいいのかわからなくなる。
理佳はまっすぐ自分を見ていることに納得したのか、またいつものポジションに戻って頬を虎徹の腕に擦りつける。
「今年はさ、僕も山に行っていい?」
「それはダメだ。体を限界まで追い込むために行くんだぞ。普段から稽古してない理佳が行っても危ないだけだ」
「うーん、ケチ。じゃあさ、キャンプだったら? キャンプなら危なくないよね?」
「まぁ、それなら。ギアを貸してくれる山仲間がいるから道具も借りてこれるぞ。
黙って理佳は首を振る。そして、少しためらいがちに考えた後、虎徹にだけ聞こえる小さな声でささやいた。
「二人で行こ。泊まりで」
「マジか?」
「うん。昔は二人でいろんなところに行ってたじゃん。別に変なことないでしょ?」
理佳の両親は共働きで忙しいし、虎徹の父親は空手バカで遊びはあまり積極的じゃなかった。そういうわけで子供の頃は虎徹が理佳を連れて二人で遊びに行っていた。
虎徹はその頃から大人顔負けの体格と顔つきで、周囲から不審がられることもなかったし、理佳が突然TSしてしまっても落ち着いて家まで連れ帰っていたから、誰も文句はつけなかった。
それが今、虎徹ははじめて理佳と二人きりで出かけるということに動揺している。雑貨屋に行ったのももう一ヶ月以上前の話。そのときよりも頭の中は混乱している。
「ね、いいでしょ?」
「そう、だな。道具借りられるか聞いておくよ」
「やったー! じゃあテストで赤点とらないように頑張るね!」
虎徹は動揺すると同時に、チャンスでもあると感じていた。学校や家ではいつ誰が来るかわかったものじゃない。父親はもちろん、梓、真尋が入ってくるとややこしくなる。信乃にだって、伝えるならきちんと向き合って伝えなきゃならない。
それが日常とは遠く離れたキャンプなら。誰かに邪魔されることもない。まっすぐに理佳と向き合える。
決行の日は、夏休みに入ってすぐ、七月二十四日。
約束をした日から、虎徹は毎日の黙祷と空手の型の時間を倍に増やした。
* * *
約束の日までの時間は溶けて消えるようにあっという間になくなっていった。
以前と同じく、テスト期間中の理佳は信乃にべったりで虎徹には近づいてくれなかった。それが逆に虎徹にキャンプの日が特別だという意識を植え付けてくる。
そして迎えた当日、約束の時間より早く虎徹の家に来た理佳は、男のままだった。
「珍しいな。楽しみで興奮してTSしたって言ってくると思ってた」
「僕だっていつまでも子供じゃないよ! さ、早く行こ」
両腕にキャンプ道具を抱えて虎徹はゆっくりと立ち上がる。その目は戦地に
普段乗っている最寄駅から終点まで行くのは虎徹も理佳も初めてだった。ましてや二人きり、電車の中でも二人とも口数は少なかった。
いつもなら理佳がはしゃいであれこれと言ってくるはずなのに、今日はなぜか黙ったまま、ときどき虎徹の顔を見ては視線を逸らす。
「もしかしてやっぱり行きたくなくなったとか、ないよな?」
楽しみでドキドキしてTSしていてもおかしくないのに、今日は男のままで変わる気配もない。
今日しかない、と決めていたのに。
虎徹は揺らぎそうになる心を隠して電車の天井で回る扇風機を見つめていた。
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