第43話 理佳を倒さなければならない。意味がわかる(side梓)

 こっちが勇気を出して踏み込んだのに、虎徹こてつははっきりとは言葉にしなかった。

 それがあずさが先ほどのファストフード店での会話で得た感想だった。


「恋愛は惚れた方が負け。勝者はいいご身分ですわね」

「どういう意味だ?」

「いえ、別に。ちょっとした恨み節ですわ」


 虎徹は梓の嫌味をわかっているのかいないのか、複雑そうな表情でついてきている。踏み込むには少し早かった、と梓は自分の戦略の甘さを悔やんでいた。


「次はカラオケに行ってみたいんです。お付き合いいただけますか?」

「別にいいが、歌唱力は期待するなよ」

「密室で二人きり、というのがお楽しみポイントですから」


 千両梓ちぎりあずさがそう言えばオチない男なんてこの世にいないよ、というのがモデル仲間のアドバイスだったが、虎徹にはあまり効果があるようには見えなかった。


 デートに誘うのも、二人で恋愛映画を見て感想を語り合うのも、梓の憧れたシチュエーションであり、そして誰もが間違いなく恋に落ちると言ったデートコースだった。


 でも虎徹の頭の中は、今も理佳ただよしのことでいっぱいになっているはず。それが梓にはわかることが悔しかった。


 女として生きることになったとき、思っていたよりも絶望感がなかったのはきっと虎徹と会っていたからだと思う。だが、彼にとっての千両梓は、おそらく気兼ねなく格闘技の話ができる仲のいい友人止まり。

 それとも少し面倒な言動で周りを引っ掻き回すトリックスターというところ。


 虎徹から見て、梓は恋愛対象に入っていない。そんなことは梓にもわかっていた。そしてどうすればその中に割り込めるかも外からずっと見てきた梓にはわかっていた。


 虎徹にとってなんでもいいから一番になること。虎徹にとっての一番はほとんどすべてが理佳で占められている。信乃がどうやってその中に割り込んだのかはわからないが、きっと勇気を出して虎徹から一番を奪い取ったに違いない。


「それにしても、私にあげられるものなんてあったでしょうか?」

「なんだ? 何か悩みか?」

「えぇ、虎徹様に差し上げるものは何がいいかと思いまして」


「朝の礼か? 別にお返しとか考えなくていいんだぞ。相談に乗ってもらったり理佳を助けてくれたりしてるからな」

「そうですか? 力になれているのならよいのですが」


 恋敵のために相談に乗っているというのもなかなか辛い話だ。今なら恋愛映画のヒロインになれるような気がする。気兼ねなく虎徹が相談できるということは恋愛対象外である何よりの証拠だった。


 通されたカラオケボックスの部屋は二人用でやや狭い。必然的に距離は近くなるが、虎徹はそれほど気にしている様子はなかった。


「いつも理佳様とくっついていらっしゃいますものね」


「あれには理由があるんだよ。

 昔は体のことが心配だったから、よく手を繋いで歩いていたんだ。そうしたら周りからからかわれてな。男同士で気持ち悪い、ってな。それでいっそもっとべったりくっついてしまえば、周りも下手なことが言えなくなるだろ、ってさ」


「理佳様は聡明ですわね」


「ただくっつくと落ち着くってだけだと思うぞ。最近は、ちょっとは遠慮してほしいんだが」

「今ならなおさらやめませんわ。私だって理佳様の立場だったらそうしますもの」


 梓が体を寄せて、虎徹の肩に頭を預ける。


「うん。とても落ち着きます。虎徹様の優しさが伝わってくるみたい」


 虎徹は少し戸惑って体を揺すって逃げようとするが、ソファとテーブルに挟まれた狭いスペースでは逃げようがない。腕を回して体をさらに寄せると、諦めたように動かなくなった。


「歌わなくていいのか?」

「私はこちらの方が楽しいですから」


 虎徹はそのまま固まったまま動かない。どうすればいいかわからないという感じだ。振り払えば今の梓なんて簡単に突き飛ばすこともできるのに。それだけは絶対にしないという確信があった。


 沈黙が流れる。手応えのなさに少しイラだちながら梓はさらに虎徹の腕をきつく抱きしめる。ここまでやって、まだこちらから動かないといけないことに、梓は慣れていなかった。


 男のときもファンはたくさんいて、町で女性から声をかけられることも多かった。モデルをしている女の梓なら、少し微笑みを浮かべれば男は勝手に寄ってくるし、ただたたずんでいるだけでもナンパされた数は数えきれない。


 その梓がここまでやってまだ動いてこない虎徹に、梓はどうすればいいのかまったく分からなくなっていた。


「恋は追いかける方が辛いですわよね」

「なんだよ、急に」


「追いかけても追いかけても、その人は別の人を目で追っている。その間に入るのは簡単なことではありません」

「さっきの映画の話か?」


 虎徹はよくわからない、と梓の顔を見る。いや、本当はわかっているが、わからない振りをしているのだ。この気持ちを壊さなければ、梓の入る余地はない。


「その気持ち、理佳様に話してみてはいかがですか?」


 危険な賭けだった。虎徹が理佳を気にしているのは、真尋が告白未遂を起こしたときからだ。ずっと一緒だった幼馴染が誰かに盗られるという可能性を意識したのかもしれない。それとも理佳が虎徹と一緒にいると急にTSする理由に気付いたのかもしれない。


 虎徹が告白したら、理佳は何と答えるだろう。素直にOKしてしまうかもしれない。


 ただ、TS病だった梓には理佳の気持ちもわかる。ここまで梓が虎徹にまっすぐに気持ちを言えない理由。元々男だったという後ろめたさが少しだけある。ましてや今もまだ将来男として生きるかもしれない理佳が虎徹の告白を受け入れない可能性はある。


 そして、虎徹がフラれたときこそが、梓にとって虎徹の恋愛対象へと飛び込むチャンスになるはずだった。


 虎徹は何も言わない。梓も答えを待ってじっと黙って虎徹の顔を見つめていた。

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