第39話 自分の性別がわからない。意味がわかる(side理佳)

 お手洗いから戻ってきてからも真尋まひろの口数は少なかった。

 意味がわからないままの理佳は、下手なことが言えないままエスプレッソを飲むばかりだ。


「えっと、次に行くのは」


 あずさのメモを見る。Ironアイアンでのショッピング。続きを見る。上階のゲームセンターでプリントシールを撮る。


「どうしましたか?」

「えっとね、その」


 悩む理佳ただよしを見て、真尋がメモを覗き込む。

「あ、あそこにかわいい雑貨屋さんがあるって話をクラスで聞きましたよ。行ってみますか?」

「ダメ!」


 食い気味に理佳が否定する。急な大声を聞いて、真尋がびっくりして後ろに飛び退いた。


「ごめん。でもあそこはちょっと」

「いえ、俺も勝手なこと言っちゃいました」


 また真尋を委縮させてしまった、と理佳は後悔する。でも、あの雑貨屋は真尋とは行けない。


 以前に虎徹こてつと一緒に行ったときに見た髪留め。虎徹とまた一緒に来ると約束した。虎徹は覚えていないかもしれないが、きっと理佳が言えば思い出してくれる。そして約束なら必ず虎徹は守ってくれる。


 だから、また一緒に行く、という約束を叶えないまま、他の誰かとあの店に行くわけにはいかないのだ。


 プリントシールも同じだ。以前に虎徹にねだって撮ってもらったプリントシールを理佳は部屋の引き出しの中のクリアファイルに入れて大切にしまってある。他の人と一緒に撮ったらきっと虎徹はもう撮ってくれなくなってしまう。


「お買い物に行くのはいいんだ。あの雑貨屋さんはまた今度ね」

「あ、はい」


 話を切って理佳は立ち上がる。今の状態が続くと、デートは大失敗だ。

 このデート風特訓には理佳にとっても意味がある。男の子と二人で出かける。虎徹と一緒だとどうしてもただの幼馴染になってしまうから、雰囲気を変える方法を知りたかった。


 そのために女の子らしく、かわいくと意識してここまで来た。結果は失敗だったみたいだ。


 その後は会話も続かなくて、隣を歩いているのに、ひとりぼっちのような気分でショッピングモールに向かった。


 土曜日ということもあって、家族連れや友人と遊びに来ているグループを見かける。ぼんやりとお店の看板を見ているのだが、全然話題が上がってこない。二人とも一言も話せないまま、気がつくと屋上の小さなゲームコーナーに辿りついていた。


 動物の乗り物が軽快な音楽を鳴らしながらゆっくりと走っている音が聞こえてくる。ビニールの屋根の下には日焼けしたゲーム筐体が遊んでほしそうに和音の少ないメロディーを奏でている。


「昔は、よくこんなところで遊んだなぁ」

理佳りかさんってこういうところ、好きなんですか?」

「うーん。好きというか、ここしかなかったって感じかな」


 激しい運動、驚き、過剰な味付け。


 いろいろなものが制限された子供の頃の理佳には走ってはいけないこのくらいの空間がちょうどよかった。百円で動く動物に乗ってはしゃぐのが、理佳に許された遊びの最大限だった。


 あの頃からきちんと親の言いつけを守って、男として育っていれば、今の自分みたいに中途半端にならずに済んだのかもしれない。


「真尋ちゃんはすごいね。ちゃんと自分が何者なのか考えてて。僕は男なのか女なのか、今でもわからないよ」

「俺は、生まれたときは男だった、って聞いたからずっとそう思って生きてきただけで、別にすごくなんてないです」


「ううん。僕はね、中途半端だったから、男にも女にも成り切れなかったんだ。今日の特訓は本物の女の子のしーちゃんに頼めばよかったね」


 寂しそうに理佳が微笑む。だらりと所在なさげに垂れた両手を真尋がしっかりとつかんだ。


「そんなことないです。少なくとも俺は理佳さんが女の子でいてくれて嬉しいです!」

「えとそれってどういう?」


 理佳の言葉が止まる。真尋の髪が伸びて、くるりとうちに巻いたボブカットになる。きつめのティーシャツが今にもはちきれそうに胸元が膨れている。


「だから、オレは理佳さんのことが」


 その続きはシャツが破れる嫌な音に遮られた。

 真尋がしゃがみこむ。それと同時に大きな影が真尋の上から下りてきて、大きな黒いシャツが真尋の体ごと包み込んだ。


「虎徹? なんで?」

「ちょっと、こてっちゃん! いきなり飛び出したらダメじゃん!」


「しーちゃんに、梓さんまで! もしかしてついてきてたの?」

「こんなおもしろいものを見ていないわけがないじゃないですか」

「人を見世物みたいに言わないでよ!」


 理佳が大声をあげると、虎徹の大きなシャツで体を隠して、ようやく真尋が立ち上がった。


「ずっと見てた、ってことはさっきオレが何を言おうとしたかも聞いてたんですかぁ?」

「まぁ、だいたい」

「うぅ。もうギブアップです。帰りますぅ」


「あらあら、まぁ思っていた以上の経験で、きっとこれからはこの経験を活かして緊張に耐えられるようになりますわ」

「どっちかって言うとトラウマでしょ、これ」


 信乃しのは呆れたように首を振る。梓はちゃっかり用意していた真尋の女の子用の服をバッグから取り出す。恨めしそうに梓をじっと見つめる真尋は、虎徹のシャツで身を隠しながら女子トイレに向かい、すぐに着替えて戻ってきた。


「なんか疲れたし、今日は遊ばずに帰ろっかなぁ」

「あら、そうですの? お詫びに何かごちそうしてもいいですのに」

「じゃあ、レストラン街に激辛ピザを出してくれるお店があって」


 ついていこうとした理佳の手を虎徹がつかんだ。


「俺と理佳は別行動だ。悪いな」

「え、何か用事あったっけ?」


「あぁ、約束していたのを思い出した」

「ふーん。まぁ、しょうがないか。じゃあ梓ちゃんとまーちゃんは一緒にどこか寄っていこ」


 理由がわかっている信乃が真尋と梓の手をそれぞれつかんで引っ張るように連れていく。


「ねぇ、何か今日約束してた?」

「今日じゃないが、あの雑貨屋で髪留め買うんだったろ」


「覚えてたの?」

「俺は、理佳との約束は破ったことないはずだ」


 そうだね、と理佳が虎徹の腕にまとわりつくように絡みつく。今日は半日、真尋と一緒にいたのにしっくりこなかった。やっぱりここが僕の居場所だと思う。だからこそ中途半端じゃダメなんだ。


 体がどちらになるか決まるのはもう少しだけ先だけど、心は決めなきゃいけない。その瞬間はもうすぐそこまできている。理佳はぼんやりとそんな気がしていた。

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