第33話 アルファベットが片手で数えられない。意味がわからない(side信乃)

 放課後、信乃しの理佳ただよしと一緒に真尋まひろの教室を訪ねた。虎徹こてつが様子を見に行くはずだったのに、理佳が代わりに行く、と言い出したので気になってついてきたのだ。


 一年棟の教室を覗いていく。一学年は六クラス。端から見ていくが、真尋の姿はなかなか見つからない。


 廊下をキョロキョロしながら歩いているだけで、理佳は周囲の視線を集めている。普段はいつも虎徹がそばにいるから誰も近づけないが、一年生は虎徹と理佳の関係を知らない生徒も多い。


「しーちゃんは何組か知らないの?」

「うーん、相談は又聞またぎきだったから。でも相当目立つ感じなんでしょ? 聞いてみよ」

「うん。ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、真尋ちゃんって知らない?」


 近くにいた生徒に近づく。理佳の美人ぶりに固まった一年生は、無言のまま教室を一つ指差した。


「一組ね、ありがと」


 微笑みながら理佳は手を振ると、聞いた通り一組へと向かう。


「りっちゃんってこてっちゃん以外には素直だよね」

「え、そう?」


 理佳は虎徹の前ではいろいろなこと考えて近すぎるようで少し遠くに自分を置いているように見える。虎徹の重さにならないように、と理佳が考えているのだと信乃は思っていたが、本人に自覚はないらしい。


「あ、いた」

「へー。あの子が、って女の子? しかも何あのスタイルの良さ!」


 放課後になっても真尋はまだ自分の席に座って今日の復習をしているらしい。ちゃんと授業に出るという約束をきちんと守っているようだ。


「うん。TS病の子だったんだー」

「そういうことは早く教えてよ」


 信乃が額を押さえて頭を振る。そうしていると、真尋が理佳の顔に気がついた。


「姐さん! お疲れ様です」

「姐さん!?」


 信乃が驚いて理佳の顔を見る。理佳は当然気にすることもなく手を振り返している。


「久しぶりの授業はどうだった?」

「やっぱり周りからじろじろ見られましたけど、我慢しました」

「え、なんでそんなに仲良くなってるの?」


 信乃の疑問はどんどん湧き上がってくる。しかし、理佳は少しも答えることなく話を進めていく。


「しーちゃんが来てくれてよかった。今日の放課後にね、真尋ちゃんのブラを買いに行きたいんだけど」

「だから、話が見えないんだけど! やっぱりこてっちゃんも連れてくればよかったー」


 ツッコミに疲れて信乃は肩を落とす。とはいえこれから行く先を考えれば、虎徹はついてきてくれないことは明らかだった。


「僕も真尋ちゃんもよくわかんないから。しーちゃんだけが頼りだからね」

「何も説明せずに責任だけ押しつけないでよー」


 弱音を吐く信乃の腕を理佳が引っ張って、三人は寄り道に向かった。

 理佳の下着の半分は信乃が選んだものを買っている。残りの半分は理佳の母が選んだものだ。理佳は自分のスリーサイズすら知らない。信乃にお任せで測ってもらったものをつけているだけだ。


「私がしっかりしないと。クラスと私の平和のために」


 無自覚な美貌や巨乳を持つTS娘たちがろくに下着もつけずに校内を歩き回られたら、風紀が乱れるなんてものじゃない。


 それに虎徹だって男の子なのだ。目に毒くらいで済めばいいが、もしも虎徹が巨乳好きになってしまったら、信乃には対抗できる気がしなかった。


 信乃オススメのいつもの店に向かう。甘い色とフリルやリボンが溢れる店内は可愛いという言葉を実体化したみたいで、信乃はいつも気後きおくれしてしまう。理佳や真尋なら全然違和感がないのに、と前を歩く二人を見つめていた。


「一応聞くけど、サイズとかわかんないんだよね?」

「すいません。全然わかんないです」


 両腕で胸を隠すようにおどおどしている真尋が答える。ここに来るまで通行人の視線が辛かったんだろう。理佳の顔と真尋の胸。どちらも同じくらいに注目を集めていた。一歩後ろを歩く自分がちゃんと友達に見えているのか、と不安になるほどに。


「ここのお店に合うサイズがあるのかなぁ?」

「うーん。たぶん大丈夫だと思うけど」


 少し不安そうに信乃が答える。あんなのグラビアアイドルでしか見たことがない。店内を軽く見てみたが、あのサイズとなると種類も少なくなりそうだ。


「すみませーん」

「あら、苗羽のうまさん。新しい子?」

「すみません。いつものお願いします」


 いつもの、とは理佳のことだ。自分のサイズに興味のない理佳に時々サイズの確認と新しい下着を買わせるのは信乃の仕事だと馴染みの店員ならよく知っている。


「これはまた。すごい子ね。選び甲斐がありそう」

「え? な、なんですか? オレどうなっちゃうんですかぁ?」

「大丈夫。そのうち慣れるから!」


 何の根拠もない理佳の言葉に見送られ、真尋は試着室の中に消えていった。

 真尋の叫び声を聞きながら、ようやく落ち着いて事情を聞けそうだった。


「そろそろ教えてよ。なんで不良が女の子で、私が面倒見てるの?」

「だって、あのおっぱいを虎徹に近づけたくないし」

「それはわかるけどさ」


 理佳から虎徹に頼んだ不良説得の顛末てんまつを聞く。自分が軽い気持ちで引き受けた仕事が、虎徹に新しい出会いを生んでしまっていた。信乃は自分の不運を嘆きたくなる。


「胸が大きすぎてボタンが弾けるとか現実にあるんだ」

「あんなのズルいよ。僕でも見ちゃうもん」

「まぁ、気持ちはわかるよ。私でも見るわ。あんなのチートよ、チート」


 柔らかく揺れる真尋の胸を思い出しながら、自分のそれと比べる。梓もそうだったけど、TS病患者って胸が大きくなる人が多いんだろうか。


「あのぉ。これでいいんですかぁ?」


 やや頬が上気した真尋が戻ってくる。続いて一仕事終えたように額を拭いながら店員さんが出てきた。


「いやー、久しぶりの大物だったわ」


 真尋の体がビクリと跳ねる。さっきまでとは違ってそれほど揺れない。その代わり、二回りほど大きくなったような気がする。いったい何をされたのか、信乃は聞きたいような聞きたくないような複雑な気分だった。


「うーん。このくらいになると何カップかはメーカーによるところがあるから一概には言えないけど、うちの取り扱ってるのならだいたいHかIだと思うよ」

「え、Hか、あ、I?」


 理佳と顔を見合わせ、Aから順番に指折り数えていく。片手の指じゃ足りないことに絶望が襲ってくる。


「でもオレ、頑張ります。女の子でも元気いっぱいに生きてる姐さんみたいに」


 そこまで言った真尋の両肩を信乃と理佳がそれぞれつかんだ。


「いや、この体は大変だから特訓しよ!」

「そうそう。緊張しなくなればTSしなくて済むんだから」


「でも、姐さんが男でも女でもちゃんと生きていかなきゃって」

「それはそうだけど! でも緊張しないに越したことはないからさ!」


 理佳が真尋の顔を覗き込む。その目は血走っていて、ちょっと怖かった。


「ほら、授業中にTSしちゃったら困るでしょ。だから、緊張しないように特訓しよ、ね?」

「は、はい。そうですよね。オレ、特訓します!」


 真尋が両手を体の前でぐっと握る。それだけで信乃が見たことのない波が発生した。


 これは正義の行いだ。まだ精神的に未熟な男子高校生たちを不純な感情から守るための正義の行いなんだ。


 信乃は自分にそう言い聞かせながら、絶対に虎徹と女の真尋を接触させないようにしよう、と改めて心に誓ったのだった。

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