第22話 僕の好きな人はどんなときでも迷わず助けてくれる。意味がわかる(side理佳)

 シャワーで汗を流して戻ってきた理佳ただよしはすっかり女の子になっていた。戻ってきた理佳をカメラマンの女性が物珍しそうに見つめている。


「驚きました? でもあずささんでも見てるんですよね」

「ほら、梓ちゃんは性別が変わると人間も変わるから。あなたはあんまり変わらないのね」

「どっちかって言うと、梓さんの方が珍しいですよ」


 TS病で性格が変わるというのは、あまり聞かない事例だ。TS病はそもそも症例が少ないのでわからないことが多いということもあるが、同じ病気の理佳も初めて聞いたほどだ。


 理佳は男でも女でもあまり精神的に変わることはない。体だけが変わっているから虎徹こてつ信乃しのがもっと気にしてほしいと怒るくらいだ。


「それじゃメイクに入ってー」

「はーい」


 だんだんとスタッフとも仲良くなってきた。梓の案内がなくともこうして雑談をしたり指示をもらえたりする。メイク用の大きな鏡の前に戻ってくると、シャワーを浴びてすっかりメイクが落ちて、いつもの理佳の顔に戻っていた。


 なんとなく魔法が解けたみたいで少し残念に感じる。同時にこれからまた新しい魔法メイクをかけてもらえる楽しみがあった。


「すごいね。一日で男から女になって撮影なんて」


 メイクさんから話しかけられる。すっかり仲良くなった理佳は目を閉じたまま答えた。


「僕にとってはいつものことだから」

「急に体が変わるのって大変じゃない?」


「んー、でも幼馴染や友達がいろいろとやってくれるから」

「あー、噂の虎徹くん?」


 噂の、と言われて、理佳はピクリと体を弾ませる。


「虎徹って噂になってるんですか?」

「だって梓と試合してくれた男の子でしょ。梓って格闘技じゃ負けなしの最強チャンピオンなのに」

「虎徹だってプロじゃないけど試合じゃ負けたことないもんっ!」


 理佳はムキになって反論する。自分でもどうしてそんなことを言うのかわからないが、誰かと比べられたら虎徹の味方をしないといけない気分になる。


「このメイクで男の子の自慢をしてると、本当に恋する女の子みたい」

「そんなこと、ないよ?」


 メイクさんにくすくすと笑われる。恥ずかしさに口を閉ざしてもメイクはどんどんと進んでいった。


「今度は女の子みたいだ」

「いやいや、今の理佳りかちゃんは本物の女の子でしょ」


 いつの間にかメイクさんにリカちゃんと呼ばれ始めている。母親以外にそう呼ばれるのは少し恥ずかしかった。


 元々ぱっちりと大きな瞳が強調されるようにアイラインが引かれ、唇には潤いでキラキラと光るピンクのリップ。いつもは寝癖が治り切っていないように見える癖っ毛もきれいに整えられてまっすぐに伸びている。


「そういえば、梓さんはTSしないけど、僕は今度はどうすればいいの?」

「やることは同じです。私のことを虎徹様と思って見ていてください」

「でも、梓さんはTSしないから女の子のままなんだよね?」


 話をしながら、理佳は今度はさっきの執事風とは逆。メイド風の服に着替える。フリルが袖や裾についているのが触れると少しくすぐったい。制服でスカートも着るようになったとはいえ、今でも私服はゆったりとしたフォルムのパンツスタイルばかりで、フリルのついた厚手のスカートにはまだ違和感がある。


「別におかしいことではないでしょう? 男でも女でも一人の人間が一人の人間に恋をしているのですから」


 そうまっすぐに言われると、理佳は言葉に詰まった。一歳しか違わない梓なのに何倍も先を行っているようで自分が子どもっぽく感じてしまう。


 男のときと対比するようにメイド服からスーツや浴衣、制服。いろんな服でポーズをとりながら、梓の姿を目で追う。普段の自分は虎徹をどんな風に見ているのだろう。周りにはどう見えているのだろう。気になってくる。


 しかし、思考はだんだん鈍ってくる。初めて会う人がたくさんいるスタジオで初めてのアルバイト。無理な姿勢をキープする時間も長い。時刻も遅くなっている。しかも授業にテスト勉強にと頑張った後。慣れない要素がいくつも重なった。


 庭園のシーンの撮影後、理佳の体が傾く。倒れていることは理解できても体を起こすことができない。


「きゃあっ!」


 普段は出さないかわいい悲鳴とともに、理佳は噴水の中に倒れ込んだ。


「大丈夫ですか?」


 梓が手を伸ばして理佳を引き上げる。


「ごめんなさい。服濡らしちゃった」

「そんなことはどうでもいいんです。理佳様は仕事に慣れていないのに、つい私のペースのまま続けてしまって。プロ失格ですね」


 申し訳ありません、と梓が頭を下げる。理佳は立ち上がって、ふとカメラマンに視線を向けた。


「あの、ちょっと撮ってもらってもいいですか?」

「ん? いいよ!」


 カメラマンがファインダーを覗き込むのを確認して、理佳は全身を使って梓の体を噴水の中に引っ張りこんだ。


「きゃあっ!」


 今度は梓が悲鳴を上げる。理佳が尻もちをついてその上に梓が覆いかぶさる形になる。梓が慌てて立ち上がると、理佳は右手をそっと差し出した。

 フラッシュが走る。驚きながらも梓が理佳の手を引く。そこにまたフラッシュがたかれた。


「ごめんね。でも今ひらめいちゃったから」

「事前に言っていただけませんと。今日の撮影はもうおしまいですからいいですが」

「僕が好きな人は、きっと何かを考える前に飛び込んできてくれると思ったから」


 梓は驚いたように目を見開いて、しかしすぐに理佳の体を引き上げてくれる。


「なるほど。私もただの演技ではなく本当に理佳様に恋していただけるような人間でなくてはならないということですわね。でも虎徹様には敵いませんわ」


「僕の好きな人って言っただけで虎徹とは言ってないよ!」

「そうでしたわね。その好きな人が心配する前に着替えてお家までお送りしますわ」


 梓がイタズラっぽく笑う。それと同時にスタジオのドアが乱暴に開かれた。


「理佳、無事か!?」


 虎徹が駆け込んでくる。ずぶ濡れの理佳に駆け寄って、梓を睨む。


「どういうことだ? 答えによっちゃ容赦しないぞ」


 虎徹がすごむ。遠目に横から見ているだけのスタッフたちが恐怖で壁際へと逃げ出す。慣れている梓は真正面から睨まれても体を引くことなく虎徹を見つめ返した。


「モデルのアルバイトをお願いしていたんですわ。とっても優秀でつい長い時間お付き合いいただいてしまいました」


「モデル?」


 虎徹が理佳の姿を見る。ずぶ濡れの理佳は楽しそうに笑った。


「ね? 虎徹はこういう人なんだよ」

「えぇ、よく理解できましたわ」


 笑いあう二人に虎徹だけは理解が追いつかないまま、二人の顔を交互に見つめていた。


 最後に撮ったずぶ濡れの写真は、梓の写真集の最後を飾った。


「一番最後の写真なのにメインになっているのが僕みたいでいいの?」

「えぇ。だってこの一枚に写っている理佳様は私でも敵わないくらい素敵に映っていますから」


 特別にプリントアウトしてもらった写真を理佳は自分の部屋の机に飾っている。

 いつかこんな表情で虎徹をまっすぐに見ることができたら。

 その時はずっと心に隠している言葉を伝えられるような気がした。

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