第20話 大変じゃないアルバイトなんてない。意味がわかる(side理佳)
「意外と、お金がない」
せっかく将来女の子になれるかもしれないことがわかったのだ。最近はTSしても強引に病院に駆け込まれることもなくなった。今まで
「なーんか、しーちゃんも怪しい感じがするし」
理佳は
「三人一緒もいいけど、虎徹と二人でもどこかに行きたいし」
今まで我慢してきたことはたくさんある。
たとえば激辛料理の店巡り。これは虎徹に却下されてしまったが、それ以外にも理佳は普通のお出かけを我慢し続けてきた。
カフェで苦いエスプレッソを飲んでみたい。遊園地で絶叫マシンやお化け屋敷に行ってみたい。公園でキャッチボールしながら他愛のない話がしたい。
ちょっとその気になれば誰でもできそうなことも、理佳はずっと我慢して、それだけ憧れ続けてきた。
だから、この高校二年生ではやりたくてもできなかったことを全部やるつもりだった。
「そのためには、お金がいるんだよね」
アルバイトをしていない理佳のお小遣いは毎月親からもらっている月三千円。買い食いやマンガなんかに使ってそれほど貯まってはいない。仮に我慢していたとしても、理佳のやりたいことを全部やるにはまったく足りていない。
「でも、アルバイトしたいなんて言ったら、虎徹とパパとママは全力で止めるんだろうなぁ」
何かあったときに大変だから、と過保護な三人が延々と説得する姿が簡単に想像できる。
TSしても迷惑がかからなくて、体もたくさん動かさなくてよくて、早く稼げるアルバイト。
そんなものがあったら理佳以外の応募者がたくさん集まっていそうだ。
「うーん、隠れてやろうにもパパかママのOKがないとバイトできないし」
首をひねって
『こんばんは。夜分に失礼いたします』
「こんばんは、
虎徹のお疲れ様会以来の声を聞く。梓は今、モデルの仕事に専念している。TS病の完治はまだなのだが、試合を組んで当日までに男になれなくなった場合、違約金をとられるということでしばらく格闘技の方はお休みしていると聞いていた。
「どうしたの? 僕に電話なんて。虎徹と間違えたんじゃないの?」
少し嫌味を込めて言う。一歳しか違わないはずの梓はまるで気にしていないかのように、大人な対応で応える。
『いえ、私は虎徹様と同じくらい理佳様のことが好きですから。今日は理佳様にお願いがあってご連絡しました』
「むぅ。お願いですか? またネット配信しながら虎徹と試合したいとか?」
『それも魅力的ですわね。ですが違います。一言で言いますと、理佳様はアルバイトにご興味はありませんか?』
「あります!」
思わず立ち上がって元気よく答える。電話口の向こうで梓が笑う声が聞こえた。
『それはとてもよかったですわ。では明日の放課後、学校にお迎えにあがります。できれば明日はTSしないように気を付けてくださいね。虎徹様に会わないのは難しいかもしれませんが』
少し笑みを含んだ声で梓は言うと、理佳の反論を聞く前に通話を切った。
「僕ってそんなにバレバレなのかな」
理佳は恋心を周囲に隠すつもりはないが、虎徹にだけは知ってほしくないとも思っている。
もしもTS病が完治したときに男になってしまったら、虎徹を無意味に縛りつけるだけになってしまうからだ。
女の子になったら告白する。そう決めているし、それまでに虎徹には自分のことを恋愛対象として見てもらいたい。でも、今はまだ好きだと知られてはいけない。両方の性別を持つ理佳の乙女心はより複雑に絡まっている。
翌日の放課後学校を出ると、サングラスをかけた梓が車の後部座席の窓から小さく手を振っているのが見えた。理佳が気付いて手を振りかえすと、すぐに窓を閉めてしまう。
不思議に思いながら車に近づくと、まるで誘拐のように車の中に引き込まれた。
「びっくりした。梓さん久しぶり」
「すみません。以前虎徹様を待っていたら騒ぎになったので」
謝る梓の顔を見て、当たり前だよ、と理佳は思う。モデルをやっているのは梓がTS病だからではない。それだけ美人でさらに美しさに磨きをかけているからだ。
理佳も周囲からかわいいとかきれいだと言われることは多いが、梓と比べると少し違うと思う。プロとして作り上げてきたものが顔立ち以外にも雰囲気や立ち居振る舞いから見えてくる。
「それでアルバイトって何するの?」
無邪気に聞く理佳を梓がじっと見る。
「何をするかも聞かず、車に乗り込むなんて無謀ですわね。虎徹様があんなに過保護になるのも
「え⁉︎ 本当に誘拐しにきたの?」
「ものの例えですわ。まぁ正直に話すと断られそう、と思っていたのも事実ですが」
車が静かに走り出す。大きな道路からバイパスを越えて数十分も走ると、郊外の大きなホテルのような場所まで連れてこられた。
「ここに泊まってるの?」
「いえ、お借りしていますが宿泊目的ではありませんよ」
エントランスに入ってもドラマで見るような高級ホテルにしか見えない。理佳はキョロキョロと周囲の珍しい飾りを見ながら梓についていく。
いくつも並んだドアの一つに入ると、一気に景色が変わった。
「何これ、妖精の国みたい」
どこかにワープしたような感覚だった。
ホテルの部屋の中なのに森のような木々が生い茂っていて、上からは木漏れ日のような光が差し込んでいる。ウッドデッキに木のテーブルセット。その上に並ぶ食器もすべて木製で森の中にできた文明に迷い込んだような気分だった。
「ここが私のもう一つの戦場、撮影スタジオですの」
帽子とサングラスをとった梓が微笑む。一瞬、エルフの女王に
「今日のアルバイトって撮影のお手伝いですか?」
「はい。理佳様には私と一緒にモデルをやっていただきたいのです」
「へぇ、モデルなんて僕初めてだよ。って、モデル⁉︎ 僕が⁉︎」
正直に話すと断られそう、と言った梓の言葉の意味がわかる。昨日聞いていたら絶対に無理だと断っていた。
理佳は後ずさりをして逃げ出そうと振り返る。入ってきたドアはスタッフらしき人がすでに塞いでいた。
「ほら、落ち着いてください。TSされると撮影が二日がかりになってしまいますから」
「モデルなんて絶対無理だよー!」
拒絶する理佳をひょいと抱えて、梓はメイク室へと理佳を運んでいった。
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