第9話 現代人は山に籠らない。意味がわからない(side虎徹)
昼休み、いつものように
「でも
スカートの制服に着替えている理佳は、デザートのシュークリームを食べながらそう言った。
「梓が男のうちに俺と試合したい、って話をか?」
「うん。男になれるうちにやっておきたいこと、男の体でしかできないことって、どうしてもあると思うから」
理佳は頰についたクリームを舌を伸ばして舐めとる。そういうはしたないことは男女問わずやめた方がいい、と思いつつ言わなかった。
「理佳も男のうちにやっておきたいことがあるのか?」
「まぁ、うん。僕の場合は女の子の方かな」
理佳は少し口ごもる。こうして理佳が言わないことに虎徹はいつも一歩踏み込むことができない。難病特有の悩みがあるかもしれない、と思うと、そこにずかずかと踏み込んでいくことはできなかった。
「だからさ、僕は梓さんの味方をしたいかな。って言っても虎徹にこんな話をすることしかできないけど」
「りっちゃん的には、こてっちゃんがケガするかもとか心配じゃないの? 相手はプロの格闘家なんでしょ?」
不安そうに信乃は虎徹の顔を上目遣いに見る。それとは対照的に理佳はなんでもないように答えた。
「虎徹なら大丈夫だよ。ケガなんてしないし、梓さんにケガもさせない。虎徹は強いんだから。ずっと見てきた僕が言うんだから間違いないよね」
理佳は自分のことのように自信満々に胸を張った。最初から虎徹が負けるなんて考えていない。理佳の信頼に応えたくなる。
「もしケガしたら、僕が病院に連れていってあげるよ。いつも虎徹にしてもらってることだから」
「理佳じゃ、俺の体を運ぶのは無理だけどな」
「しょーがない。その時は私も手伝ってあげる」
信乃が虎徹の腕を軽く叩く。数少ない友人二人に背中を押されては、虎徹も断る理由を探すことができない。
「だからさ、虎徹。梓さんの気持ち、受け止めてあげて」
寂しそうに微笑みながら、理佳は優しく言う。
なにより、この理佳の期待を裏切りたくなかった。
「わかったよ。試合する。ただ手伝ってほしい。
「私はいいけど、学校サボるの?」
「あぁ、梓とやるなら今の俺だとウェイト差がありすぎる。だから減量する。山で」
「山⁉︎」
「山はいいぞ。人間がいかに弱くて、普段いかにいろんなものに守られてるかがわかる。
生きるために必要な栄養を自分一人で手に入れることがどれだけ大変か、現代社会の人間は忘れている。いや、わかってて見ないふりをしてるんだ!」
虎徹は机を強く叩く。教室中から恐怖の視線が集まるが、虎徹は少しも気にしていない。
「何、これ? こんなに生き生きと話すこてっちゃん初めて見たんだけど」
「虎徹、
理佳と信乃がひそひそと話している声も虎徹には届いていない。
「昔、北海道で教師をしていたクラーク博士は言った。『少年よ、山に籠もれ』と」
「言ってない。絶対言ってない」
「まぁ、ある意味で大志を抱いてはいそうだけどさ」
昼休みの時間をたっぷり使って演説した虎徹は午後の授業を早退して、宣言通り山に向かっていった。
一週間で十七キロの減量を約束してしまったことを後悔するのは、もう少し後のことだった。
* * *
虎徹は一人、道なき山道を登っていた。知り合いが持っている低い山で、もう相続を重ねすぎてどこが誰のものか境界線もわからなくなってしまったという名もなき山だ。
肩にかけたリュックサックには
春休みと冬休み、虎徹は父と一緒に五日間山に籠もり、自分を見つめなおすのが一家の恒例行事だった。
「あぁ、フィトンチッドを吸い込んでると、体の中から毒素が抜けていく気がするなぁ」
思わず
山にいる間、空手の練習をするなどということはない。そんな余裕なんてない。下手をすれば命を落とす可能性がある場所で、そんなことできるはずがない。
「現代人が忘れてしまった、今日その日を生きるために一生懸命になるということを、山は教えてくれるんだ!」
誰にともなく宣言して虎徹はリュックサックから鉈を取り出した。
まずは寝床の確保。これはいつも使っている横穴があるからそれを掃除する。そして
無駄に伸びた木の枝を落として山道に伸びた雑草を処理して、安全な道を確保。ついでに獣が寄り付かないように近所の理容室でもらってきた髪の毛を袋に入れて置いておく。
そんなことをしていると日はすぐに暮れ、疲労と空腹が虎徹を襲ってくる。
「今日も、生き延びられた」
料理に感謝し、手を合わせる。山は生きることへの執着を思い出させてくれる。それが何より強さの源になるのだ。
「梓、引退試合になったとしても、俺は手を抜かねえぞ」
細く煙を上げるたき火の向こうに見えた梓の姿に、虎徹は鋭い睨みを返した。
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