第7話 幼馴染が男になるのと女になるのはどっちがいいかと聞いてくる。意味がわからない(side虎徹)

 あずさからの試合の申し込みを断って数日後、一人で登校した虎徹こてつは校門の周りに人が集まっていることに気がついた。

 あいさつ強化週間だとか持ち物服装検査だとかで人が並んでいることはあったが、数があまりにも多すぎるし、誰もが遠巻きに校門のあたりを見ているのだ。


「誰? あんな美人、うちの学校いた?」

「あの人確かモデルだよ。誰を待ってるんだろう?」


 近付くにつれ、そんな話し声が聞こえてくる。嫌な予感を覚えながらも逃げ出すわけにもいかず、校門の前に立つ私服の女性に向かっていった。


「虎徹様。おはようございます」


 女に戻っている梓が微笑みを浮かべながら軽く頭を下げる。面倒だ、と思った虎徹と対照的に周囲の熱は膨張する。


「虎徹様だってよ。伊達崎だんざきのなんなんだ?」

「朝から堂々密会とかネットで拡散しなきゃ!」


 シャッター音が鳴る。しかし梓は慣れているのか動揺した様子もなく虎徹に歩み寄ってくる。


「熱愛発覚、ってデマが流されるぞ」

「別に構いません。マスコミに時々エサを与えるのも私の仕事ですもの」


「俺は十分迷惑なんだが」

「私のお誘いを断っているのですもの。仕方ありません。私、結構しつこい女なんですよ?」


 大人びた梓は妖艶ようえんに微笑む。


「制服って意外と似ている学校が多いんですね。見つけるのに苦労しました」

「試合の話なら断ったはずだ」

「でも私も諦める、と言った覚えはありませんよ」


 話はまた平行線を辿たどる。女の状態の梓を力で排除するのは簡単だ。だがそれをしたところで何にもならない。虎徹の信条と周囲の評価を傷つけるだけだ。


「なんで俺にこだわる? 俺より強い奴なんてプロの世界にはたくさんいるだろ」

「戦ってない相手には負けようがありませんわ。私はあなたに負けた。だからもう一度戦って汚名をそそぎたい。それだけです。私にはもう時間がありませんから」


 梓は少しうつむいて自分の拳を見つめた。今の梓の手は傷ひとつない綺麗な細い指で、爪には服と同じ漆黒のマニキュアが塗られている。


「十八歳なんだろ。格闘家としてはまだまだ若手じゃねえか」


十八歳ですよ。私のTS病はもうすぐ治る。明日にでもTSしなくなるかもしれないんです。その時、男となるか女となるかはわかりません。男だったら虎徹様の気が変わるまで待てますが、女だったらもう一度リングに上がることすら許してもらえるかどうか……」


 梓は歯を食いしばりながら顔を歪める。モデルをしているというその顔は、悔しさに歪んでなお美しく、遠巻きに見ている男子生徒からため息が漏れた。


「今日は帰ります。私の気持ちだけでもお伝えできてよかった。また来ます」


 梓はそう言うと、虎徹の横をわざとらしく歩いていく。すれ違いざまに虎徹の制服のポケットに何かが入れられた。


「電話番号か。試合するなら一秒でも早くって感じだな」


 虎徹は捨てる気にはなれず、そのままポケットの中に戻して教室に向かった。


「おはよー」


 教室でもう一度メモを見ていると、理佳ただよしが元気に入ってくる。今日は男で制服もスラックスだった。


「朝、校門の前に梓さんがいたんだってね」

「あぁ、話したよ」


「そっかー。この前のお礼かな。僕も会いたかったなー。虎徹と一緒に登校すればよかったかも」


 理佳はスマホで梓のSNSを見せる。そこには男の梓が先日買った服を着た写真をアップしていた。


「友達に選んでもらった、だって。僕、有名人と友達なんだよ」

「あー、そりゃよかったな」


 虎徹にとって今の梓はやっかいなストーカーに近い。理佳と仲良くなられたら大変だな、と考えていると、ふと梓の言っていたことが気になった。


「TS病って治るときに男と女どっちにもなる可能性があるって本当か?」

「ふぇっ⁉︎ 誰に聞いたの?」


「梓がそう言ってた。だからもうすぐ俺と試合できなくなるかもしれないって」

「僕も最近知ったけど、そうみたい。どうなるかわからないって」


 理佳は少し声を小さくして言った。


「だから、最近女になってもいろいろやってるのか?」

「うーん、そうだけど、そうじゃないかも」


 理佳ははっきりとしない答えを返して、続きを言うかわりに虎徹の肩をポカポカと叩いた。


「虎徹は、僕が男になるのと女になるのって、どっちがいい?」


 理佳は叩いていた手を開いて虎徹の肩のあたりを引っ張る。


「どっちがいいって言われてもなぁ」


 理佳は不安そうな顔で虎徹の答えを待っている。男の理佳と女の理佳の姿を重ねて、虎徹は口を開いた。


「どっちでもいいんじゃないか?」

「そういう答えはノーカウント!」


「いや、適当に言ってるんじゃないぞ。男でも女でも理佳は理佳だろ? だったら俺にとってそんなに大きな問題じゃない、と思う」


 少なくとも梓のように格闘技かモデルのどちらかを奪われるようなことはない。虎徹にとって理佳は理佳で、今までもこれからもずっと一緒にいるんだろう、と漫然まんぜんと思っている。理佳が何も失わないなら、虎徹は何も心配することはない。


「それって、男でも女でも一生、一緒にいてくれるってこと?」

「あぁ。今までだってそうだっただろ? ずっと変わらないさ」


 理佳は答える代わりに後ろを向く。その髪が虎徹の前でぐんぐん伸びてくる。


「おはよっ。あれ、りっちゃん女の子になってるじゃん。もしかして遅刻だと思って走ってきた?」


 からかうように信乃しのが近づいてくる。髪の隙間から見える理佳の耳は真っ赤になっていた。


「虎徹が悪いのっ! もう! 僕、着替えてくるから先生に言っといて!」


 理佳は虎徹の方を見ることもなく、自分のカバンを乱暴につかむと、教室を走って出ていった。


「え、俺が悪いのか!?」


 なぜか全責任を押しつけられた虎徹は、にやにやと笑いを向けてくる信乃の顔を見る。


「さぁ、私はよくわかりませーん」


 信乃にもはぐらかされて、まったく理由がわからない虎徹は天を仰いで、背もたれに身体を預けた。

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