第6話 知らない美女が俺にタイマンを挑んでくる。意味がわからない(side虎徹)

虎徹こてつ様!」


 雑貨店を出たところで虎徹は名前を呼ばれて、声の方へ振り返った。

 そこには知らない女性が目深まぶかにかぶったつばの広い帽子の向こうで頬を赤らめて立っていた。


 白く輝くプラチナブロンドの髪が腰近くまで伸びている。着ているのは髪とは真逆の黒いワンピースと黒い帽子。虎徹からすれば気にならないが、身長も一七〇センチ半ばほどもある。色合いを逆にすると都市伝説にある田舎の子どもを連れていく大女みたいだった。


「様!? 誰なの、虎徹?」

「こてっちゃん、いつの間にこんな美人なお姉さんと知り合ってたの!?」


 虎徹の両サイドから抗議の声が上がる。ただでさえ二股に見えていたのに、さらに次の彼女が現れて修羅場が複雑化したようにしか見えなかった。


「いや、知らない奴なんだが」

「そんなっ! わたくしのことを忘れてしまわれたのですか?」


 謎の女はそんなことを言うが、虎徹には本当に覚えがなかった。そもそも虎徹が名前を覚えるほどの女性は、信乃しの理佳ただよしくらいしかいない。

 逃げられた女の数は女児からおばあちゃんまで数十人以上にのぼるが、名前を覚えてもらうようなことをする相手には見当がつかなかった。


「あわわわわわ。虎徹に彼女ができてたよ、どうしよーう」

「なんでなんでなんで。しかも長身でおっぱい大きいお嬢様とか勝ち目ないよー」

「お前らはいったん落ち着け」


 両隣で好き放題言われてはまったく収集がつかない。俺たちのやりとりを黙って見ていた謎の女は少しためらいがちに帽子に手をかけた。


「あまりやりたくはなかったのですが、しかたありませんね」


 そう言って、俺に帽子を投げる。奥に隠れていた目は、口調から想像していたよりも鋭く、力を持っていた。


「しゅしゅしゅしゅ、しっ!」


 息を吐く音とともに謎の女が急にシャドーボクシングを始める。帽子が虎徹の手元に届く間に、五発のパンチが仮想敵の急所を的確に撃ち抜いた。


「なんで、急に!?」

「キレはあるが、重心は残してある。キックか総合のパンチだな」

「あれを見て出てくる感想がそれなの!?」


 たっぷり三十秒は素人には見えないパンチが飛ぶ。謎の女の額に汗が浮かび始めると同時に変化が起こった。

 大きかった胸は厚い胸板に。細くきれいだった指は節くれだって、ノースリーブからのぞく肩はいかつく張り出す。


「TSしてるな」

「TS病の女の人だったんだ」


 白く長い髪はあっという間に短くなり、現れた耳には大量のピアスがついていた。

 息を整えて、謎の女改め謎の男は、虎徹を睨みながら自分の顔に親指を差す。


「これでどうだ。オレの顔に覚えがあんだろ!」

「いや、ない」

「なんでだ! アンタのためにTSして損したじゃねえか!」


 口調まで変わった謎の男。そう言われてもわからないものはわからない。虎徹には変な奴に絡まれて面倒、という気持ちしか湧いてこなかった。


 そんな虎徹の代わりに、謎の男の正体に気付いたのは信乃だった。


「あぁっ! もしかして、総合格闘家の千両梓ちぎりあずさ選手じゃない?」

「誰だ?」


「女性からTSすることをプラスに考えて、男の体で戦ってる格闘家。結構有名よ。女の姿でモデルもやってて、ギャップがかわいい、って」

「かわいいとか言うなよ。て、照れるじゃねえか」


 黒のノースリーブワンピースを着たムキムキの男が顔を赤らめて頬を両手で擦っている。TS格闘家だって知らないと変質者として通報されかねない状況だ。


「TSすると口調も変わるけど、中身はあんまり変わってないってのも有名」

「ヒールレスラーみたいなもんか?」

「キャラ付けっていうよりはTS病の影響みたいだけど」


「意外と詳しいんだな。苗羽のうまって、格闘技好きだったか?」

「え、あぁ、ちょっと興味持って調べた時期があって……」


 信乃は恥ずかしそうに視線を逸らす。別に女子が格闘技好きでもいいと思うが。

 同じ病気を持っている理佳はまったく知らなかったようで、スマホで名前を検索している。


「で、その格闘家が俺に何の用だ?」

「ここまでやって本当に思い出せないのかよ。去年の十二月だ。俺とアンタでエキシビジョンマッチをやっただろ」


 そこまで言われて、ようやく虎徹は思い出した。高校生がプロの格闘家に挑戦できるというテレビの企画で、虎徹の高校が抽選で選ばれた。弱小校でプロどころか県予選も突破できないレベルじゃ相手にならないから、と空手部が虎徹に泣きついてきたのだ。


 断ろうと思ったが、虎徹の父が道場の宣伝になるから、と勝手に話を進め、しかたなく試合をした。


 結果は虎徹の圧勝だった。


 当たり前だ。弱小校の高校生と思っていたディレクターがウェイトも確認せずに当日を迎えたのだから。体重差の前になすすべもなくプロがやられる内容なんて放送できるはずもなく、企画はお蔵入り。虎徹の父の宣伝計画も水の泡と消えたのだった。


「あれはすまなかった。勝手に一〇〇キロ超級の試合だと思ってろくに減量もしなかった」


「それはこっちの不手際だからいい。だが、負けっぱなしは認められねぇ。リターンマッチだ。オレとタイマンしろ!」


「面倒だし、やらない」

「断るなよ! それでも格闘家か!」

「うちの道場は古流空手だ。争いになりそうなら逃げろ、ってのが教えなんだ。じゃ、そういうわけで」


 話は終わった、と虎徹は軽く手を挙げて、素知らぬ顔で梓の脇を通り抜けようとする。すれ違いざま、虎徹の服の裾が控えめにつかまれた。


「待てよ」

「まだ何かあるのか? 試合はしないぞ」

「こんな男の姿のままで、ワンピース着て帰れないだろ。服買うから、ちょっと付き合え」


 虎徹の服を指先でつまんで、小さく引っ張る。いかついピアスをした短髪の男が、だ。


「しょうがないなぁ。そのかわいさに免じて、僕が事情を説明してあげるよ」

「はぁ、ギャップ萌えってやつだよねぇ」


 虎徹の腕を離さないままの二人が、そんなことを言う。

 本当にこんなのがかわいいのか、という疑問を飲み込んで、虎徹は梓の服を買うためにメンズファッションのフロアへと向かった。

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