報告-03.85.38042

南沼

報告書本文

 ここにひとつの絵画がある。油絵だ。


 地塗り、下塗り、素描、荒描き、細部の描写。手順自体は通常の油絵作品と何ら変わりはないが、この絵画の特筆すべきユニークさは一つの絵画の上にまた別の作品を描いているという点にある。それもひとつふたつではなく数百に及んでおり、その為縦横比約5:4という一般的なキャンバスサイズにも関わらず同程度の厚みをもつ作品となった。

 ひとつひとつの絵は、どれも19世紀のアメリカで好まれたような写実的で繊細な筆遣いをもって背景の細部まで丁寧に描かれていて、すべての絵には特定の人物が登場する。

 一人目はアレクサンドラ・グレンコ。愛称はサーシャ。そしてもう一人はコイタバシ・ユキオ。こちらは決まった愛称はなく、そのままユキオと呼ばれる事が多かったようだ。共に女性で、それぞれ同時代に同じ国に生まれた。

 この作品は、二人の生涯を追ったものである。

 サーシャは、ユキオよりも4年ほど先に生まれた。

 一番最初の、つまり一番下の絵には、赤い顔を歪め力の限り泣く生まれ落ちたばかりのサーシャの姿がキャンバスの左側に描かれており、もう片側には何もない。空白のキャンバスだけだ。

 次の絵には、ほんの少しだけ成長した、しかしまだ首も座らず柔らかなブランケットに横たわり寝るサーシャの姿がある。

 柔らかな金色の巻き毛が、ほんの少し豊かになったように見える。右側にはやはり何もない。

 サーシャが立ち上がってあちこちを駆けまわり、恐らくは画面のこちら側にいるのであろう両親に屈託のない笑顔を向ける幼児に成長する頃、ようやくキャンバスの右側にユキオの姿が描かれるようになる。

 やはり、生まれたばかりの姿だ。サーシャに比べて肌は少しオレンジがかった色だが、髪は同じような癖毛。

 キャンバスの中央に見えない区切りがあり、左がサーシャ、右がユキオという構図が、32枚目までは遵守されている。それぞれの構図はキャンバスのきっちり中央で分かたれていて、極めて狭い幅の境界でのみ両者の色は混じり合っている。

 33枚目からは、全て二人ともに同じ構図の中に描かれている。歳にしてサーシャは12歳、ユキオが8歳の頃だ。

 ここまでで明らかになった事であるが、一枚いちまいの絵はそれぞれ必ずしも同じ時間を隔てている訳ではない。数か月を経ることもあれば、一瞬を区切ることもある。

 後者の顕著な例は自身の名前を呼ぶ時で、それは特にそれぞれの幼少期に見られる。すなわち、ある一枚の絵では、サーシャは彼女の口を唇の幅を縦に狭め、しかし上下の歯は隙間を開けずに無声歯茎摩擦音『s』を成す際の形にとっている。その次の絵では『a:』、最後は『ʃa』。

 これは、特に彼女の幼少期に見られる発声であり、ここから『サーシャ』とは彼女の人生の一時期における自称であるとともに彼女の愛称であったという推測が成り立つ。これはユキオも同じである。

 このように、この絵には音すらが明らかな形として表現されている事も特筆すべき事項だろう。幼少期のみならず、二人の人生の特に重要な部分においてしばしばこのような表現がなされる。


 33枚目の絵に戻る。これは二人が初めて出会った瞬間を描いたものだ。

 サーシャは通学途上だろうか、紺色のブレザーにチェックのスカート姿でユキオの傍にしゃがみ込んでいる。

 ユキオは大ぶりな水玉のワンピースを着て立ち尽くし、両手を目に当ててしゃくりあげている。サーシャがユキオの横に並んでいる格好なので、二人の口の動きが丁寧に描かれている。

『どうして泣いてるの?』

『金魚しんじゃったの』

『そっか、お墓作ってあげよ』

 サーシャは困ったように笑いながら、ユキオの頭を優しい手つきで撫でている。

モルタルできめ細やかに塗り固められた通路のすぐ脇は芝生で埋め尽くされている。芝生は緑の中に時折枯れ色が混じっており、画面内の季節が春である事を覗わせる。広い庭と一面の芝生、白塗りの大きなポーチ。ここはユキオの生家だろうか。


 次の絵。

 どこかの牧場か、あるいは公園か、雑草混じりの芝生の上に色鮮やかな柄のビニールシートを敷き、サーシャは足を投げ出して座っている。

 シートの上には可愛らしいサイズの水筒と、樹脂製のコップが二つ。半ばまで注がれた赤味のかかった中身は紅茶だろう。シートの縁に乗り上げるような芝生の葉は力強く上を向き、その緑は濃い。恐らく季節は夏に近い。影は濃いが、まだ陽は高くない。

 先の絵から恐らくは一年近くが過ぎていることが、二人の成長ぶりから分かる。

 画面の端の方には白い木の柵。俯瞰するような構図。

 上から見る草葉は風に嬲られて所々に陰影の縞をなし、座って下を向くサーシャの滑らかな髪が風に靡いている。

 ユキオは彼女の腿の辺りに頭を載せて、顔の上で舞うサーシャの艶やかな金髪を指に絡めようとしているように見える。

『お姉ちゃん、髪きれい』


 またその次の絵では、二人ともが後ろ姿だ。

 夕刻。学校からの帰り道だろうか。

 陽は沈み、山の稜線が黒々と画面奥に横たわっていて、その上には橙から菫色、そして濃紺へと色を移す空。薄くたなびく雲は西に向かう側だけを茜色に染めている。2匹の蝙蝠が番うように舞っている。

 辺りは住宅地で家々の窓には明かりがぽつりぽつりと灯っており、相反するようにそれらの外観は迫る夕闇に暗く沈んでいる。

 夕映えに微かに照らされる路面を、シルエット姿の二人は手を繋ぎながら歩いている。


 それから数年分、何枚もの絵で彼女たちの親交が描かれている。

 クリスマスのパーティや、自室でのお茶会。二人揃って顔が見えていることもあり、そうで無いこともあるが、どれも笑顔だ。

 ここまでは。


 ある年、恐らくユキオは十代の半ばごろ。

 場所はユキオの家の前、いつかサーシャと初めて会った時と同じ構図。

 いつかサーシャが着ていたのと似たようなブレザー姿だが、彼女の髪はまだ幼少期の癖毛のままだ。芝は枯れ色が目立ち、奥にあるポーチの塗装は所々剥げて、経年が目立つ。

 珍しくスカート姿のサーシャは、伸びた髪を耳に掛けている。

 その後ろ、見切れるように走り去る大ぶりな車体のSUV。

『今の男の人、サーシャさんの彼氏?』

 視線を伏せたまま、ユキオが問う。

 そこに笑顔は無く、サーシャがそれにどう答えたのかも定かではない。


 それからしばらく間が空く。

 恐らくは数年後。

 雨降りしきる都会の喧騒。雲は厚く空は暗いが、滲むように描かれる街灯や色とりどりのネオンが灯っている事から夕刻であることが覗える。

 横断歩道の信号は青。人々はめいめいに傘を差し歩いている。

 足を止めているのは一人、猫背を一層丸めて画面に背を向ける女性。

 パンツスーツに身を包み、小振りの傘を差しているが、雨足が強いのかそれとも 気もそぞろなのか、肩が雨に塗れてグレーの布地の色を違えている。

『もしかして、ユキオ?』

 問い質すのはサーシャだ。

 こちらはもう少しカジュアルな格好で、荒い質感の線の細いパンツに、明るい色のブラウスを身に着けている。

 その顔からは、久々の再会という以上の驚きがあるように見える。

 こちらからは覗えないユキオの表情に、何かを感じ取ったのだろうか。


 恐らく同日。

 恐らく、サーシャの部屋。

 暖色の間接照明が柔らかく壁紙のエンボスを照らし、葉の厚い観葉植物の鉢が淡い影を床に投げかけている。ダイニングに着き、湯気の立つペアのマグカップを挟んで向き合う二人。

 画面の手前にはサーシャがいて、その肩越しにユキオの顔を覗く構図だ。ユキオはサイズの合わない部屋着に着替えている。入浴後だろうか、髪は濡れて艶がかり、肌も上気している。

 マグカップに両の掌を当てて、色濃い隈に縁どられた眼は伏し目がち。それでも、どこか安堵したような笑みを口元に浮かべている。

 次のシーンでは、構図は同じながらダイニングに二人はいない。

 開け放たれたドアを潜った後の、ルームシューズを履いたユキオの素足が、脛の辺りから覗くばかりだ。その手をサーシャが引いているのだろう、足元は幾分おぼつかなく見える。

 別の部屋に向かっているのかもしれない。


 珍しく、二人が画面の方を向いて並んでいる。二人の顔を、少し下から見上げるような構図。

 二人とも私服で、サーシャは紙のカップに挿したプラスチックのストローを咥えている。二人の周囲は他の絵と同様描き込みこそされているもののべったりと暗色で塗られ、それと対比するように二人の顔は青みがかった明るい塗料で丁寧に、暗がりに浮かび上がる様に描かれている。

 場所は、映画館か。ユキオは口を少し開け、画面上方にあるであろうスクリーンに見入っている。


 別日。

 つばの広い帽子とワンピースを着たユキオと、それを車内から眺めるサーシャの姿がある。

 日陰に停めた車内はやや暗く、しかしユキオが立つ車外には陽が強く照っていて、服装や足元に疎らながら力強く葉を伸ばす短草は季節が夏である事を示唆している。

 柵のすぐ向こうは砂地になっており、緩い下り坂と濃い青色の、海。サーシャはまだ運転席にいて、窓枠に肘をついてユキオを見ている。

 何か声を掛けているのかもしれない。

 軽い質感のワンピースの裾を舞わせて振り返るユキオは、眼を細めて笑っている。

 この頃には、もう目の下の隈は消えている。


 二人の後ろ姿が描かれている。

 人の多い、恐らくは休日のショッピングモールだ。

 チェックのパンツに落ち着いた色のジャケットを羽織るのはサーシャ。金色の髪を、今は耳の後ろで括っている。

 その右側を歩くユキオは、裾のゆったりとした明るい色のパンツに、深みのある緑色のニットシャツを合わせている。髪は癖毛のままだが少し伸ばして、うなじの辺りで緩く波打っている。

 歩調を合わせる二人の手は時折指先同士が触れ、またある時は指先をつまむ様に手を握っている。

 モールの天窓から差し込む陽光が、二人の歩く道行きを照らしている。


 灰色の画面。

 そして赤。

 灰色はアスファルトで、つまりこれは俯瞰の構図だ。

 画面の半ば辺りを、中央線らしき白線が斜めに横切っている。

 手前の方で、サーシャが膝をついてへたり込んでいる。両の腕は頭を掻き毟る様。

 半ば見切れているのは、掌を上に向けるユキオの白い腕だ。ユキオは、その向こうで仰向けに横たわってる。

 見切れているのは赤い血もそうで、投げ出された腕の、肘の辺りまで流れてきている。血潮の縁どりの光沢が、多量の血が今も流れ広がっている事を示唆している。


 これ以降数年にわたり、画風は大きく変わる。

 色鮮やかな色彩で描かれていた画面は彩度を落とし、基色にはすべて灰色が強く混ざっている。描かれるのは、一人きりのサーシャの生活だけだ。

 眼鏡を掛け、モニタとキーボードに向かう姿。大ぶりのコーヒーポットが脇に置かれている。

 スーパーマーケットで缶詰を吟味する姿。化粧気はまるでなく、寝間着そのままのような服装。手に取った缶のパッケージには、茹でたほうれん草のイラスト。

 そして、自室のデスクに突っ伏して寝る姿。

 だがここで、灰色に彩られた彼女の生活に一つの変化が見られる。

 机に覆いかぶさるように寝るサーシャの尖った肩が、次の絵ではカーディガンを羽織っている。

 太い毛糸で編んだ厚手のカーディガンだ。誰かが掛けたのだが、その誰かは画面に姿を見せない。サーシャが突っ伏したまま自身の肩に手を掛ける。

 その手に添えられる、誰かの手。

 手だけで、姿は見えない。

 だが、その手はユキオのそれに見える。


 ユキオは、彼女の手は、それからしばしばサーシャの生活に現れる。

 あくまで腕と、手だけ。それも、サーシャが一人でいる時だけだ。

 サーシャも、それを受け入れているように見える。その介入には積極的な意思が感じられ、例えばサーシャがデスクで仕事に打ち込む時など、コーヒーを注ぐユキオの手が描かれることすらある。次のシーンではその手は消え、空になったはずのカップが満たされている事に気付いたサーシャは、少しだけ驚いて眉を上げている。

 別のシーンでは、サーシャがソファに座ってテレビ画面を見ている。余程感動的なシーンなのか、目尻に溢れる涙を左手で拭っている。

 肘掛けに置いた右手に、ユキオの手が添えられている。甲の上から掌を重ね、指の間を握り込むように。サーシャも拒むことなく、涙を拭いながら握り返している。

 また別の絵では、サーシャがロックグラスに延ばす手に添えている。過度の飲酒を注意してのものかもしれない。サーシャは少し笑って、添えられた手を撫でている。


 その関係は長く続くが、しかしそれ以上に長い時間を掛けてサーシャの生活は 徐々に変化していく。

 サーシャ、恐らく40歳前後。

 住居はまた変わっていて、随分と室内は荒れている。

 空になった酒と錠剤の瓶がいくつも机や床の上に並び、着ているのは草臥れた洗いざらしのシャツ。酒疲れのせいか顔には皺が目立ち、随分老け込んで見える。髪の艶も失われて、漂白されたように色落ちしている。

 部屋の中は薄暗いが、照明は点いていない。

 机の上には拳銃。安価に買える、樹脂外装の小型オートマチックだ。

 机に肘をつき、顎を腕に載せるようにしてぼんやりとそれを見つめるサーシャ。やおらそれを掴みあげ、銃身を咥える。

 指は引き金に掛かっているが、引かれる事は無い。

 ユキオの腕が、サーシャの手に添えられている。

 サーシャが銃を放り出して泣く。泣き喚く。大きな声で。

『もうやめて』

『あんたは呪いだ』

『もう私は死にたい』

 サーシャは両手で顔を覆い、それから何を喋っているかは定かではない。

 後ろからサーシャを抱き締める、ユキオの細い腕だけが画面に描かれる。


 それから、また少し作風が、画面の色合いが変わってくる。彩度が戻る。だが完全ではない。

 モニタに向かうサーシャが眼鏡を外し目頭を揉んでいる、その後ろにささやかに控えるような多肉植物の肉厚の葉。

 車から降りるサーシャの足元、水溜りに写る雨上がりの青空に靴の縁から広がる波紋の、その最辺縁。

 あるいはキッチンの上、買い物帰りにそのまま放ったらかしで横倒しになっている紙袋から転がり出る、パック入りの色づいたラズベリー。

 色鮮やかなはずのそれらはどこかくすんだ色使いで塗られている。かつてサーシャの過ごしていた世界に溢れていた鮮やかな色彩は、もう失わてしまっている。

 それでも、サーシャはそんな生活の中に楽しみを再び見出している様に見える。ユキオの腕が、生活の中に現れる事をも。

 自宅でコーヒーを飲むときは時は必ず二人分を淹れて、向かいの席に置く。ユキオが、湯気の立つマグカップの把手を指先で撫でている。

 それを飲む場面は勿論描かれないが、サーシャは満足げに微笑んでいる。


 緩やかとも言えるサーシャの生活は続く。変化や起伏に乏しく、穏やかな日々。徐々に、絵ごとの間隔が長くなっていくのがはっきりと分かる。


 最晩年。

 サーシャは老境を迎えたが、遂に結婚はしなかったようだ。

 少なくとも、他の家族と生活を共にする場面は描かれていない。

 自室のベッドに横たわり、目を閉じ胸を緩やかに上下させる場面がしばらく続く。頬はだらしなく弛み、目は落ち窪んでいる。その顔に現れているのは紛れもなく死相だ。

『ユキオ、いる?』

 吐息のように問うサーシャ。目を開けると、ベッドサイドの誰も座っていなかったはずの椅子に、ユキオの姿がある。画面には背を向けているが、少し猫背気味の後ろ姿と癖のある髪から、若い頃のままの姿である事が覗える。

 ユキオが何かを話しかけているのかは分からない。

 ただ、シーツからはみ出すサーシャの右腕に両手を添えているだけの様にも見える。

『おやすみ』

 そう言って、サーシャは目を閉じる。

 少しして、胸の上下が止まる。

 しばらくはそのまま、しかしユキオの姿も不意に消える。

 後には、生命の火の消えた老婆の姿だけが残る。


 これが、この作品の一番表面に描かれた絵である。アレクサンドラ・グレンコとコイタバシ・ユキオ、彼女らの生涯を追った本作品は、これで終わる。

 最表面のそれを含む全てに題となるものは描かれておらず、また銘もない。それらに繋がるどんな情報も、手に入れる事は出来なかった。ただ、保存状態は極めて良い。

 とある星系の、生命の痕跡だけを表面に僅かに残す惑星の地下、恐らくは何らかのシェルターと思われる空間からこれは発見された。

 それぞれの階層に描かれた場面の解釈は当該星系に残された僅かな文明資料に基づきAIが補完した。一部瑕疵のある可能性は否定できないものの、概ね正しかろうと考える。

 しかしそもそも、この作品は誰が描いたのだろうか。これをいたのは、間違いなくその星に生きていた生命体だろうとAIは結論している。絵画の形式、これが保管されていた場所、地表に残された文明の痕跡、それらは確かにこの結論に矛盾しない。

 しかしながら、疑義も存在する。

 それはこの特異とも言える絵画の描写法に他ならない。数百枚に及ぶ厚さ方向への絵画の連なりの、表面以外のすべての絵は、4次元解析により非破壊的に観察されたものだ。

 製作はともかくとして、3次元生命体にこれを観賞できたとは考え難い。

 あるいは製作者は、これを誰にも見せるつもりが無かったのかもしれない。これを完成させるに必要とした時間は想像するほかないが、乏しい文化・文明資料から推察するに彼らにとっては決して短いものではなかっただろう。


 ただ、

 私は、この作品を美しいと思った。彼女らを、彼女らの辿った人生を、そしてその結末を。

 この報告書の趣旨には反するが、これだけは記しておきたい。




 先の報告書を上げてから3単位時間の後、保管庫から当該作品が消失しているという報告を受けた。

 すぐさまあらゆる記録を、3次元映像から異種多相体構造遷移までを確認したが、確かにある時点を境に消失したとしか言い様がない。まるであの絵画において、ひとつひとつの不連続な場面が連なる様に。

 あるいは我々よりも高次元に生きる存在があれを持ち去ったというのは、突飛な想像に過ぎるだろうか。

 もしかしたら、あれを手慰みに描いたのも。

 今となっては、全てが闇の中だが。


 たしかにそこに、ひとつの絵画があったのだ。とても美しい絵が。

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