17

 有料駐車場に車を停めて、主任と俺は繁華街から少し離れた屋敷町の中を歩いていた。既に日は沈み、細い道にまばらな街灯がところどころ光を落としている。人通りはほとんどない。


「こんなところに、お酒を飲むようなところがあるんですか?」


「あるんだよ。もうすぐそこだ。その路地を曲がった先の……ほら、あそこ。あれが私の行きつけの店だ。入り口はなんとも目立たないが、あそこのカクテルは絶品だぞ」


 そこは、間接照明の小さな看板がついた、隠れ家的な店だった。看板の文字はアルファベットのくずし字でよく分からないが、主任によればイタリア語だという。


 ドアを開けると、とたんに軽快なジャズと客たちのざわめきが流れてくる。意外に客が入っている感じだ。手前に並ぶテーブル席の向こうにカウンターがあり、その中に白人の三十代くらいの女性バーテンダーがいた。


「イラッシャイマセ」


 バーテンダーの日本語は流暢だが、どこかアクセントがネイティブの日本人とは違っていた。


「やあ、ライアン。いつものを」主任が手を上げる。


「カシコマリマシタ」バーテンダーがシェイカーを取り出す。


 主任はカウンターに陣取り、俺を左隣の席に座らせる。


「君は何にする?」


「俺……カクテルって、あんまり飲んだことないんですが……」


「そうか……ま、ビールとかも出せるが……いい機会だから、カクテルを試してみたらどうだ?」


「そうですね。何がおすすめですか?」


「そうだなぁ……やはり初心者だったら定番の、モスコミュールかな」


 主任がバーテンダーの方に向く。


「ライアン、ウィルキンソンのジンジャーエール、ある?」


「ゴザイマスヨ」バーテンダーが応える。


「じゃあ、それでモスコミュール、彼に作ってもらえる?」


「カシコマリマシタ」


 バーテンダーがシェイカーを振り始める。


「オマタセシマシタ」


 程なくして、二つのグラスが俺たちの前に並ぶ。


「さて、それじゃ……何に乾杯かな?」主任が自分のグラスを取って、俺に向ける。


「俺の不採用に……」俺もグラスを取る。


「それはさすがに哀しすぎる。ヨシユキ君の未来に……乾杯」


「乾杯」


 チン、と二つのグラスが鳴る。


 と言っても、俺の未来は……真っ暗なんですけどね……


 だが、グラスを唇に付けて中身を一口含んだ瞬間、俺のそんな惨めな気持ちは吹っ飛んだ。


 美味い!


 こんな美味しい酒は、飲んだことがない……


 柑橘系の香りとジンジャーエールが、絶妙なハーモニーを醸し出している。さらに強いアルコールの香りも相まって、なんとも言えない味わいだ。


「どうだ。美味いだろう?」主任がドヤ顔になる。


「ええ! 美味しいです!」


 そんな俺の様子を、しばらく満足そうに見つめていた主任だったが、やがて真顔に戻る。


「では、本題に入ろうか」


「……はい」


 俺のテンションも、すっ、と下がる。


 主任は自分のカクテルを一口飲んでから、遠くを見るようにして話し始める。


「君もすでに見当がついてるかもしれんが……結局、一番の原因は、例の三人だったんだよ。マコ(マコト)とマイとアヤノの……ね」


「え……あの三人ですか?」


 正直、俺には全く心当たりがなかった。


「ああ」


「でも……俺、あの三人の誰とも、別にトラブルは起こしてないですよ?」


「そうだな。君は確かにトラブルは起こしていない。君は……な。問題は、あの三人の間での話なんだ」


「……どういうことですか?」


「そうだな……『オタサーの姫』の逆バージョン……と言えば、君にもすぐ分かってもらえるかな?」


「……!」


 主任のたとえはあまりにも的確だった。俺は一瞬で状況を把握した。


「そう。彼女たちは、みな君が好きだった。そして、君の寵愛ちょうあいを得ようと互いに競い合うように君に教えを請うようになっていた。彼女たちのスキルが急激に高まったのも、それが原因だろう。そこまでは良かったんだ……だが、だんだん彼女たちは互いに牽制するようになっていった。そして、足を引っ張り合うようになり……ついに、それが業務に支障をきたすレベルにまでなってしまったんだ……」


「……」


 まさに「オタサーの姫」の逆バージョンだ。しかし……


 知らなかった。そんな状況になっていたなんて、全く気づいていなかった。


「さすがにそこまで行くと、放っておく訳にもいかないからな。そんな状況になっていたことに、君は気づいていたか?」


「……いえ、全く」


「やはりな。それなんだよ」


「え?」


「それが、君が不採用になった原因だ」

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