16

 アパートに帰ってきた俺は、放心状態だった。


 俺の何が悪かったのか、いくら考えても分からなかった。


 どれくらい時間が経ったのか。気がつくと、いつしか窓から差し込んだ夕日が、部屋の中をオレンジ色に染め上げていた。


 いきなり、ドンドンと玄関のドアが叩かれる。


「ヨシユキ君! 私だ! 開けてくれ!」


 篠原主任の声だった。


「……主任!」


 俺は大急ぎで玄関に走り、ドアを開ける。


 そこには、スーツ姿の、見知らぬきれいなお姉さんが立っていた。


「すまなかった。ヤボ用が長引いてしまってな。本当はもっと早く園に行けるはずだったんだが……どうした? 私の顔に何かついてるのか?」


 俺は、目の前のお姉さんが主任である、と、ようやく認識する。


「いや……逆です」


「逆?」


「顔に……ついてないです。眼鏡が……」


 そう。主任は眼鏡をかけていなかったのだ。それで俺は最初に見たとき誰だか分からなかったのである。


「ああ……少し、イメチェンしようと思ってな。コンタクトに変えてみたんだが……やっぱ、変かな?」


「そんなことないですよ」


 そう。全くもって、変じゃない。むしろ、俺のストライクゾーンど真ん中だ。世の眼鏡属性の男性には申し訳ないが、俺は、誰が何と言おうと主任は眼鏡なしの方がいいと思う。


「ありがとう」主任は一瞬微笑むが、すぐに表情が硬くなる。「園長からは、もう結果は聞いたんだな」


「はい」


 主任は小さくため息をつき、哀しげな笑顔になる。


「飲みに行こう。二人きりサシで、な。私が奢るよ。君の胃も、もう大丈夫なんだろう?」


「え、ええ……だけど、いいんですか?」


「もちろんだ。君だって、いろいろ私に聞きたいこともあるだろうし、言いたいこともあるだろう」


「たくさんありますよ。俺、どう考えても納得できないです」


「分かってる。質問には全部応えてあげるよ。それじゃ、行こうか」


「はい」


 玄関を出て、俺は彼女が車で来ていることに気づく。


「主任……車で飲みに行くんですか?」


「もちろん帰りは代行を使うさ。さ、乗ってくれ」


「……分かりました」


 俺は左のドアを開ける。たぶん、このアバルト500のナビシートに乗るのも、これが最後なんだろうな……


―――


「確かに最終的な結論を下したのは園長と理事長だが、実質は私の判断だ。だから、私が君を不採用にした、ということになる。恨むなら、私を恨んでくれ。恨まれるのは慣れてるからな」


 赤信号で停まった車の中。ハンドルを握りながら、主任が少し口元を歪めて俺を振り返る。


「別に……俺は恨んだりはしません。ちゃんと納得できれば、ですけど」


「そうか……」


 信号が変わった。主任は正面に向き直り、シフトレバーを1速に入れる。じんわりとクラッチをつなげて発進。ゆったりした加速Gが俺の背中でシートからのやわらかな圧力に変わる。2速から3速にシフトアップしながら、彼女は続ける。


「園長の言ったことは、あながち嘘でもお世辞でもないんだ。君が、この園には勿体ないほどの人材だ、というのはな」


「どういうことですか?」


「君は間違いなく優秀だった。教育者、としてな。そして、優秀すぎて……かえって自分の存在理由を無くしてしまったんだよ。中途半端に出来るヤツなら自分で仕事を全て抱え込んでしまうところだが、君はそうじゃなかった。むしろ君は例の三人を徹底的に鍛え上げた。そして、仕事を彼女たちに積極的に割り振った。その結果……もはや君がいなくても、園のICTに関する業務は立派に回るようになっている」


「……!」


 主任の言うとおりだった。確かに……最近、俺は特に目立った仕事はしていない。時々、NAS になっているノートPCのメンテナンスをするのと、他の先生方からの質問に対応するくらいである。例の三人に俺が教えることも、ほとんど無くなっていた。


 しかし、あれだけ例の三人のスキルが向上したのは、本当に俺が教育者として優秀だったからか?

 俺にはとてもそうとは思えなかった。むしろ、例の三人こそ、もともと優秀でしかも勉強熱心だった。そっちが原因じゃないだろうか。


「うちの園に限らずとも、一般的に教育機関というものはな、人件費が最もコストとしてかかる部分なんだ。うちだって、それほど潤沢に予算があるわけじゃない。だから、いなくてもいい人間を雇っておく余裕は、ないんだよ……」


 主任が辛そうに言う。


「ちょっと待ってくださいよ……それ、ひどくないですか? 俺にさんざん社員教育させておいて、それが終わったら、さっさとお払い箱ですか? 俺、今まで園にそれなりに貢献してきた、と自分でも思ってますよ? それなのに……この仕打ちは、あんまりじゃないですか?」


 俺はここぞとばかりに主張する。


「そうだな。君の言うとおりだ」


 主任も俺にうなずいてみせるが、その表情は硬いままだった。


「率直に言って、君の園に対する貢献には、目覚ましいものがあった。システムの利用をこれだけ定着させたのも君の功績だと思うし、園の危機を救った英雄でもある。だからな……試用期間の身としては異例中の異例だが、君には退職金が出ることになった。もちろん在職期間から普通に退職金として計算すると雀の涙になってしまうので、賞与という形になるが……二百万ほどだ。足りない、と思うかもしれんが、それが君に対する、園のできる限りの感謝の気持ちだ。慰謝料と思ってもらってもいい。どうかそれで許してくれ」


「……」


 二百万……今の俺にとっては、大金だ。だが、俺はそんな金よりも、園でもっと働いていたかった。


「主任……俺、そんな退職金、要らないですよ。それよりも、俺はこれからも園で働きたいんです。確かに、俺がいなくても園は今後しばらくは回っていくでしょう。だけど、世の中どんどん新しい技術が出てきます。今のシステムだって、インフラだって、ずっとそのまま運用していけるわけじゃない。そんな時……絶対俺の力が必要になる、と思うんですが……それでも、俺は不採用なんですか?」


「……」


 主任は苦り切った表情だった。そして、観念したかのように言う。


「分かったよ。君が不採用になった、もう一つの理由を話そう。むしろ、そっちの方が決定的だったんだ。ただし……これは私も素面しらふでは話しづらい。飲みながら、にしよう。いいね?」


「……はい」

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