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早いもので、俺が転職してから一ヶ月が経とうとしていた。この一ヶ月の間で、例の「パソコン四天王」のスキルはぐんぐん上がっていった。それと共に、自然にそれぞれの得意分野が定まり、役割分担が行われるようになった。
立川先生……改め「マイちゃん」(本人がそう呼べと
中島先生……改め「アヤノさん」(これも本人が以下略)は、文書作成を専門に担当するようになった。もともと前の職場では事務員として雇われていた、とのことで、ビジネス文書はもとより、チラシや POP、ポスターの作成もデザインから自分で行っている。さらに、差し込み印刷で保護者宛の行事案内はがきを一気に作成する、などという高度な技もこなせるようになっていた。
マコトは Web 関連のスペシャリストとなった。主任と俺に次いでシステムの管理者となり、メンテナンスもある程度できるようになった。そして、園のホームページの更新も、今まではいちいち業者に頼んでやってもらっていたのだが、彼女が自分でできるようになり、ほぼリアルタイムに情報を発信できるようになった。 これは大きな進歩だった。このおかげで保護者の満足度がかなり向上したのだ。
さらに彼女は学会で発表した経験もあり、それなりにプレゼンテーションソフトも使えていたのだが、ほぼ文字だけのスライドを作ってそれを表示する、程度のことしかできず、俺がアニメーションやトランジッションを教えてやると、すさまじいショックを受けていたようだった。今後の国際会議での発表に向けて、少しでも印象的なスライドを作ろうと、彼女はプレゼンソフトの本を買って自分で勉強し始めていた。
俺はもう、自分で業務をこなすより、彼女たちに教えている時間の方が長いくらいだった。引っ張りダコとはこのことだ。三人が入れ代わり立ち代わり質問に来て、それに応えていると、それで業務時間のかなりの部分が費やされてしまう。まあでも、それも俺の仕事の範疇だ。俺は三人の著しい成長が素直に嬉しかった。
しかし……この三人とも、教わるときは俺の後ろに立って画面を覗き込んでいるんだが……みな一様に距離がえらく近い。しかも……アヤノさんかマコトの場合は、俺の肩や背中に胸の先端が……ムニュっと当たるんだが……アレ、やっぱ分かってやってんだろうか……
それはともかく。
問題は「四天王」以外のスタッフだった。一応人数分タブレットは用意されているのだが、苦手意識があるのか、なかなか使ってくれない。システムやITを使って、情報を共有したり業務を効率化したりすることで便利になる、ということがどうしても理解してもらえないのだ。そもそも、「パソコン四天王」という言葉があること自体、その四人は特別な人間で、自分たちとは違う、関係ない、という意識の表れではないか。そんな感じで、一度システムの講習会をやってみたものの、どうにも反応がイマイチだった。
ところが。
そんな状況を一変させる一大事が、起きてしまったのだった。
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その日は朝から雨が降っていた。水曜日。比較的スタッフが揃っている日だった。
午後になってから、やたらパトカーや救急車のサイレンが鳴り響いていた。
「また救急車……何が起きてるのかしら……」
PC01(古い方のPC)に向かって文書を作っていたアヤノさんがぽつりと言うと、
「火事ですかねぇ」
と、向かいの PC02 (新しい方のPC)で運動会のポスター、パンフ用イラストを作成していたマイちゃんがのんきに応える。
「いやぁ、それだったら消防の鐘が鳴るだろ?」
冷静な指摘は、マコトだった。
「そうだな。
そう言って篠原主任が職員室のテレビをつける。彼女はチャンネルを次々に変えてみるが、それっぽい情報は得られそうになかった。
俺はすっかり俺専用の端末となってしまった NAS + VPN クライアント用のノートPCのデスクトップ環境で、ブラウザを開いて SNS にアクセスする。
「……分かりましたよ。国道のバイパスで十数台が絡む大規模玉突き衝突事故ですって。けが人がかなり出ているみたいです」
「やはりそうか」と、主任。「バイパスのこの辺りは、結構霧が出ることが多いからな……しかし、ヨシユキ君、よくわかったな」
「この手の情報はネットの方が早いですからね」俺が得意そうに言うと、
「さすが、パソコンオタクは言うことが違うな」と言って、主任が皮肉めいた笑みを顔に浮かべる。最近、彼女はこの手のイジリを俺に対してするようになった。
「いやいや、拙者オタクではござらんので」
俺が口をとがらせてそう言うと、主任だけが声を上げて大笑いする。どうやら彼女は元ネタのコピペを知っているようだ。
その時だった。
「何か、止血できるものありますか? アスカくんがケガしたみたいなんだけど……なぜか血が止まらなくて……」
職員室の戸が開いて、川西シヅコ先生が四歳児くらいの男の子を抱きかかえて入ってきた。川西先生は五十代半ばの、ベテラン中のベテランだ。もう既に孫がいるらしい。
男の子の右手の甲にガーゼが貼ってあるが、それは既に真っ赤に染まっていた。
「!」
職員室にいたスタッフ全員に、緊張が走る。一番早く反応したのは、マコトだった。彼女は即座に自分専用のタブレットを操作し、システムの園児台帳から伊藤飛鳥のパーソナルデータを検索する。三十秒もしないうちに、彼女は宣言する。
「……やっぱり! アスカくん、
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