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18:00。
笑民には、園長も含め常勤のスタッフのほとんどが集まっていた。しかし、主任がいなかったのが俺としては非常に残念だった。まあでも、家庭がある人の休日は、やはり家族のために費やすのが妥当というものだろう。
歓迎会の場では、早速マコトさん……じゃなかった、マコトが今日の出来事を、かなり脚色を入れた武勇伝として披露しており、みんなはもう何かヒーローかアイドルを見るかのような目で俺を注視していた。
「……というわけで、正義のスーパーハッカーがうちの園にやってきました! みなさん拍手をお願いします!」
マコトの話が終わった瞬間、場内に割れんばかりの拍手が轟いた。今日はこの店は貸し切りなのでどんなに騒いでもかまわない、ってことだが……それにしたってちょっと大げさすぎるんじゃないか……?
なんつーか、俺はただ、以前から日常的にやってることを普通にこなしているだけのつもりなのだが、この園ではまるで魔法使いか何かのように扱われてしまうのだ。
俺は思う。この園は間違いなく異世界だ。そして俺は、前世のスキルを持ったまま異世界に転生した人間……小説投稿サイトによくあるテンプレ作品の主人公そのもの……になったようだ。
宴席で俺は、やはりというかなんというか、フラグを立てた女性たちに囲まれていた。どう考えても三人とも結構モテそうなのに、フリーなのだという。どうもこの職業は同年代の男性との出会いがほとんど無いらしい。そんな中に俺がいきなり入ってきたわけだ。うーむ……三人から、ロックオンされてるらしき視線をビシバシ感じる……
いや、もちろんそれが嫌なわけでは決してない。むしろ普通に考えれば、ハーレムとも言うべき、男にとっては非常に喜ばしい状況だろう。だが……過去の経験から、どうしても俺は恋愛には積極的になれない。それでも酒が入ったら俺も羽目を外してしまうかもしれないが、幸か不幸か俺はまだ胃が本調子じゃないので、飲酒は医者から禁じられている。とりあえず俺は無難な話題を選んで、三人としばらく取り留めのない話を続けていた。が、
「そもそも主任が全部やってくれれば、今回の件でヨシユキに迷惑かけることもなかったんだよな!」
というマコトの言葉を皮切りに、主任の欠席裁判が始まってしまった。みな、主任についてはいろいろ思うところがあるらしい。ただ、彼女の能力の高さについては誰しもが認めるところであり、彼女に対しては、みな煙たく思ってはいてもそれなりに尊敬の念もあるようだった。
その話の中で、俺はさりげなく主任についての情報を聞き出した。彼女の最終学歴は学芸大の大学院修士課程で、専攻は音楽教育。ピアノの腕はショパンの練習曲ハ短調作品10-12――いわゆる「革命」――を軽々弾きこなすほどだという。そして、幼教はおろか小中高すべての教員免許を持っているらしい。修士研究のテーマは、センサーなどのIT機器を使ってピアノ演奏の自習を支援するシステムの開発、だったという。かなり優秀な院生で、在学中に国際学会で英語で発表したりもしていたらしい。
……。
主任、どんだけすごい人なんですか……
実は、これらの情報のかなりの部分は、中島先生によるところが大きかった。彼女は主任と年齢が近く、専攻も同じピアノなので、意外に主任と話が合うらしい。性格的には正反対だと思うんだが……
まあでも、この話で俺はこれまでの色々なことに納得がいった。主任がそれなりにICTに詳しいことも、英語ができる、ということも……
正直、最近の俺は、過去の恋愛による呪縛を吹き飛ばすほどの魅力を篠原主任に感じていた。彼女はそれだけ俺の理想のタイプそのものだったのだ。しかし……どうにも高根の花過ぎる……ま、大学教員の旦那がお似合い、ってところだよな……
と、俺が少々がっくりしていた時だった。
「ひひょぉ~! ヨシュウキひひょぉ~!」
いきなり立川先生が目の前に飛び込んできた。彼女の顔は真っ赤で、完全に目が座っている。どこからどう見ても立派なヨッパライだ。
「ひひょぉはぁ、かんりょるんすかぁ~?」
立川先生のセリフは、いつもの彼女の舌足らずにアルコールによるブーストが加わり、もはや日本語の
「すみません。もう一度言ってください」
俺が冷静に応えると、なぜか彼女は深呼吸をして、今度はゆっくり、はっきりとした発音で、だけど相変わらずよく通るアニメ声で繰り返す。
「師匠は、彼女、いるんですか?」
その瞬間。
のべつざわついていた会場が、一気に静かになる。皆の視線がこちらに集中しているようだった。
「え……いや、いないっすけど……」
「ってことは、フリーっすかぁ?」
「ええ」
おお……というどよめきに、会場が包まれる。
な……なにこれ……俺、なんかやっちゃいました……?
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