第11話 校外学習4

 トンカツを食べ終えた後、横をチラリと見ると彼女はまだご飯を食べていた。

 このまま店を出るのも罰が悪いので、彼女に尋ねた。彼女のことをもっと知りたくなったってのもある。

「張さんは班行動どうだった? 楽しめた?」

「んっ、鎌倉は初めてだったので、大仏や寺院を観るのが新鮮で面白かったです」

 咀嚼してる最中だったので、口元を隠しながら答えてくれた。

 悪いことしたかな。食事を妨げるのは気が進まないが、構わず続ける。

「班で一緒に喋る人はいたの?」

「いえ、私あまり社交性がないので……」

 そう話す彼女はあたかも他人事のように淡々とした表情だった。

 

 やはり、彼女は俺と似ている。普段人に興味を持つことは無いのだが、彼女と接していると何か特別な感情が湧いてくる。だが、それは親近感という言葉で形容できる感情ではない。もっと薄黒い何か。


 なんだろうか。確かに俺と彼女は同じような気質を孕んでいる。だが、決定的に何かが欠けているような気がする。彼女からは澄んだ空気を感じるからか。

 

 言いようのない気持ち悪さを払拭するために、俺は踏み込んだ質問をした。

「いつも一人でいるのは他人にあまり興味が持てないから?」

「うーん。話の話題が噛み合わないんですよね。話しかけても気まずい空気になっちゃって」

暗い店内ではよく見えなかったが、彼女の顔には陰があったと直感で感じた。


 やはり、根本的に間違っている。そう確信した時、急に高揚感が消え去っていくのを感じた。

「そっか。そろそろ俺行きます」

 そう言って直後、矢継ぎ早に「じゃあ、先失礼します」と言葉をつむぎ、俺は逃げるように店を出た。


これが俺と彼女の最初の邂逅だった。


****


 現代社会では未だ大手企業に就職することが大事であるという漠然とした空気感がある。そして、社会に出る前から偏差値の高い小学校、中学校、高校。そして大学とレールが潜在的に敷かれている。

 だが、高校生になると決められたレールに疑念を抱き始める。人生を規定するかもしれないイニシエーション前最期のモラトリアム。当然進路について悩まないわけがない。


 集団の中でズバ抜けて優秀な生徒は意図的にレールから外れて起業など自分で行動を起こす者もいる。しかし、大抵はやりたいことが見つからず、あるいは諦めて無難な選択として受験をする場合がほとんどだ。

 俺もその有象無象の一人である。

そんな俺からしたら、彼女のように確固たる意志を持つ人間はある意味恐怖の対象だ。

 他人は自分の映し鏡、なんて言葉があるように彼女を観ていると、自分の空虚さがひしひしと痛感する。軽く自己嫌悪になる。自分というブレない軸がある人間は強いし、そういう人間に人は惹かれ憧れを持つのだろう。事実、夢や目標に向かって一直線に突き進む様は純粋にかっこいいなと思う。

 しかし、憧憬という感情には嫉妬という二面性が内在することに注意しないといけない。目標を志すうちは憧れの対象であるが、一度自分には叶わない目標だと実感すると忽ち憧憬は嫉妬に変質する。なぜあの人には才能があって自分にはないのか、と。


 現代はペシミスティックな精神状態を生む土壌にあると思う。ある調査によると新成人の60%は日本の未来を漠然と案じているという結果が出ている。「失われた20年」「少子高齢化」「増税」などはよく耳にするだろう。数年前、自己防衛おじさんがネットで有名になった背景にもこうした日本の将来に対する実体のない不安が現れている。

 結果、現代の子供は現実主義的な思考が見られる。自分の能力と理想との乖離を客観的に把握し、冷静に現実との折り合いをつけて妥協する。そうして、自分が勝負できる舞台での努力を目指す。要は諦めることができる、そういう淡白な精神を培ってるのだと思う。


 だが、皆が現状をありのまま受けいれることができるわけではない。

 こと、俺に関しては少し特殊な事例であるように思う。というのも俺は勉強が大嫌いであった。高校2年生にもなれば、己の進路について注視する時期である。遅い人でも2年の春からは塾に通い、受験勉強をスタートさせる。周りが塾へ行き受験勉強を勤しむ中で、俺は勉強を全くしてなかった。

 勿論、勉強しないといけないのは分かっている。だが、どうしてもやる気が起きないのだ。学友たちが受験勉強に集中する中で段々焦りも生まれてくる。

「なぜ俺は勉強をしないのか」

「逆になぜ周りは勉強できるのか」


 きっと素直になれない性格が災いして、現実との折り合いを付けることができなかったのだろう。

 我ながら子供だな、と呆れてしまう。

だけど、そうした不器用な性格の恩恵もあった。勉強に割くはずの時間を人生について考える時間に転用できたから。


 彼女と出会ったのはそういう時期だった。


 人生の目標が見つからず、迷子になってしまったような不安定な時期だった。


****


 午後からは空模様が怪しくなり、小雨が降り始めた。ビニール傘に雨が落ちて軽く弾ける音が聴こえる。

「あめ、あめ、ふれふれ、かあさんが」

「ぴっち、ぴっち、ちゃっぷ、ちゃっぷ、らん、らん、らん」

 自然と童謡の一節が声に漏れだす。


 自由行動は妙法寺という寺に行くことにした。観光客が少なく、割と穴場スポットだと思う。学生で来るやつはいないんじゃないかな。

 鎌倉駅から徒歩15分程度の閑静な住宅街の中にあり、通称苔寺と呼ばれるほど苔が美しいことで有名で、境内は辺り一面が剪定された緑に囲まれ景観が整えられている。


 昔読んだ評論で、日本人が美しいと思う自然は人工的なそれだと書いてあった。確か里山をテーマにした内容だったか。日本人は人の手が入ってない原始の自然に恐怖を感じる一方で人工的に造成された自然を好むのだそう。でも確かに、伸び放題の草木を見た時、心情としては荒れていると否定的に捉えると思う。やっぱり、人の手で整えられた自然が一番いい。


閑話休題


 妙法寺の見どころはやはり苔階段だ。石で造られた階段の表面に苔が生えていて、それはもう神秘的な美しさ。この感情は概念化出来ない。

 幸いなことに、雨が降ってることもあってか人は俺以外にいない。この神聖な空間を独り占めできるのは午前頑張ったご褒美だろう。しばらく、お堂の石段に座って一人静かに心を落ち着かせることにした。


****


 どれくらいの時間が経っただろうか。前方から階段を上がってくるコツン、コツンという音が雨音の混じって聞こえてきた。

 誰か来ちゃったよ。来んじゃねえ

 俺が意識を向けまいと首を垂れていたら、さらにコツン、コツンと音が近づいてきた。

(早く通り過ぎてってくれ)そう思っていると、あろう事か俺の目の前で足音が止まった。なんだ? と思い首を上げると、そこには見知った顔がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る