第2話 新学期
*校外学習から本格的にストリートに入って行きます
学生時代において、人を測る最も重要な指標は「陽キャor陰キャ」である。
この世には色んな評価の基準があるにも関わらず、学校という狭い共同体に於いてはそれらは意味をなさない。なぜなら学校とは社会的に生きる術を学ぶ機関であるからだ。言い換えるなら、学校生活は人間関係を育むロールプレイングゲームだ。
つまり、人間関係を良好に保てる人物こそがこのゲームの勝者となり、ヒエラルキーのトップに位置する。
スポーツや勉強が得意なことは一つの要素に過ぎない。人間関係がうまくいかなければ、集団から除け者にされるだけだ。
その意味で学校は村社会と言える。ヒエラルキートップの陽キャラがクラスを仕切り、先導する。
文化祭の出し物は誰が最終的に決める?
後夜祭の企画は誰がする?
全ては陽キャラであり、陰キャラはその付属物ですらない。ぼっちなんてもっての外、蚊帳の外である。いわば 旅人だ。
では、陰キャラやぼっちは学校生活を肩身狭く過ごすしかないのだろうか?
いや、俺はそうは思わない。
そもそも論、まずは「なぜぼっちが嫌なのか」という点について考える。
ぼっちが嫌なのは、人にぼっちだと思われるのが恥ずかしいからだ。一人で居ること自体に問題は無い。人に見られて恥ずかしいと思うことが問題なのだ。
ここでコペルニクス的視点で物事を捉えよう。
見られて恥ずかしいなら、そもそも他人を気にしなければ万事解決だろう?
相手がどう思ってようが無視すれば関係ない。
人に見られ恥ずかしいから、友達を作るというのは健全な思考とは言えない。それは本質的な解決には繋がらないからだ。学年や所属が変われば、また同じ悩みを抱える。
友達を作りたいなら、作ればいい。
だが、そうでないなら無理に友達を作る必要はないと思う。
****
とまあ、そんなどうでも良いことを考えながら今日も今日とて満員電車に吸い込まれる。まるで現代の奴隷船のごとく。サラリーマンや学生でぎゅうぎゅう詰めの電車は揺れるたびに波のように人が俺を押してくる。外はまだ肌寒いのに、車内は蒸し風呂状態。体調不良で駅のホームで吐いたり、ぶっ倒れる人を見るのは珍しくない。
どうしてこの高校を選んでしまったのか。心底うんざりする。就活の時は路線も考慮しなければ。
家から高校へ行くには南下線を使わなければいけないのだが、南下線はオフィス街へと通じてる為、利用客はとても多い。平日では乗車率が200%近くあり、スマホなんていじってられない、息を吸うのがやっとのくらいで、高校に着く前からもう疲れる。面倒くさいからって志望校を親に一任した中学時代の自分を恨みたい。
10分ほど電車に揺られ最寄駅に到着。駅から高校までは歩いて5分かからないくらい。
高校は私立高校なので、校門のそばに警備員が立ってるのだが、50代のおっちゃんで、あまり強くは見えない。不審者が容易に突破できそうで心配に思いながら校門をくぐると、綺麗な桜並木が続く。地面には一面桜の絨毯が広がっていた。
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