第60話 抗い
「すぐにでも戻りたいんじゃが、雪のせいで身動きが取れん。恐らくこの雪は、あと何時間かは続く筈じゃ。何とか車を動かそうとしたんじゃが、村のやつらに止められてな……じゃから奈津子、わしが戻るまで、気を確かに持っとるんじゃぞ」
「うん……私は大丈夫だから、心配しないで」
はらはらとこぼれる涙を拭おうともせず、奈津子が穏やかに答える。
口元には笑みさえ浮かんでいた。
「まだ熱も下がっておらんようじゃな。しっかり戸締りして、暖かくしてるんじゃぞ」
「……おじいちゃんも、気を付けてね」
「また連絡するからな」
「うん……ありがとう……」
携帯を切ると、モニターが光っていた。
春斗からのメッセージだった。
何とか薬局で薬を手に入れたが、雪が酷くて動けなくなっているらしい。
店の人に宮崎家の客だと伝えると、しばらくここにいるといいと言われた。雪が治まったらすぐに戻るとのことだった。
この家には今、自分しかいない。
いつも電気のついた明るい家。温かい家。
それが今、どうしようもなく広く、そして暗く感じる。
また一人になってしまった。
こんなことなら、初めから一人でよかった。
何も失いたくない。これ以上泣きたくない。
こんな思いをするくらいなら、このままぬばたまに壊されてもいい。そんな思いさえよぎった。
「……」
鏡を見ると、自分の姿が映っていた。
先ほどまでいた、鏡の奈津子はいない。
また自分の中に戻り、眠っているのだろうか。
とすれば、今この家にいるのは本当に私一人だ。
そう思うと怖くなった。
今は一人になりたくない。
誰でもいい、私に何をしてもいい。
お願い、出てきて。そう強く思った。
「本当にそうなの?」
無意識に出た言葉。
慌てて鏡を見直す。鏡の奈津子じゃない。
今のは自分の言葉だった。
奈津子は涙を拭き、鏡を見つめた。
「そうだ……例え壊されるとしても、このままじゃ嫌だ。宮崎家の末裔、たったそれだけの理由でこんな目にあってる。たくさんの人を犠牲にしてる。こんな理不尽、あっていい訳がない。
私は抗うよ、最後まで。
何も出来なくてもいい。でもぬばたま、せめてあなたのことを理解してやる。この災厄を解明してから死んでやる。それまで私は負けない」
拭っても拭っても涙が溢れて来る。多恵子を失った喪失感に、心が潰れそうだった。
このままなら、宗一や春斗にも、ぬばたまの手が忍び寄るかもしれない。ひょっとしたらこの大雪自体、ぬばたまによるものかもしれない。
それなら、彼らが家にいないこともまた、彼のシナリオ通りなのかもしれない。
今、私に出来ることはひとつ。ぬばたまの正体を暴くことだ。
その先に僅かでも希望があるのなら、向かうべきだ。
それが私の戦いなんだ。
奈津子は立ち上がり、机に向かった。
ノートを開く。
大きく息を吐いた奈津子はペンを取り、数々の災厄と再び向き合った。
二時間ほど経った頃、玄関のチャイムが鳴った。
まだ外は吹雪いている。
こんな天気の中、一体誰が来たんだろう。
ひょっとしたら、宗一から連絡を受けた近所の人が、様子を伺いに来たのかもしれない。
奈津子は弱々しく立ち上がり、玄関に向かった。
「……どちら様でしょう」
「奈津子、私よ、玲子」
「玲子ちゃん?」
意外な訪問者に驚き、奈津子が慌てて玄関を開けた。
「玲子ちゃん」
「奈津子、大丈夫だった?」
中に入った玲子が、そう言って雪を払う。
「どうして玲子ちゃんが」
「宮崎のおじさんから連絡をもらったの。電話しようかとも思ったんだけど、何だか居ても立ってもいられなくなって」
「こんな雪の中を、玲子ちゃん一人で来たの?」
「まあね。この程度の吹雪、慣れてるから」
そう言って玲子が笑顔を向けた。
「とにかく中に入って。私の部屋なら暖まってるから」
「うん、ありがとう」
玲子を部屋に通すと、奈津子は熱いお茶を差し出した。
「これ飲んで暖まって」
「ありがとう、奈津子」
湯飲みを口にして、玲子がほっとした表情を見せた。
「それで奈津子……大丈夫?」
「う、うん……おばあちゃんのこと、だよね……」
「私もおばさんには、小さい頃からお世話になってたし……ショックだった」
「うん……」
「どうして奈津子の周りでだけ、こんな辛いことが起こるの……しかも今度はおばさんだなんて……どう声をかけたらいいのか分からなくて……でも、じっとしてられなくて……」
大粒の涙がテーブルに落ちる。
本当に優しい子だな。おばあちゃんのことで泣いてくれる。そして危険を顧みることなく、ここまで来てくれた。
ありがとう、玲子ちゃん。
そして……さようなら。
小さく息を吐き、玲子を見つめる。
「玲子ちゃん、もういいよ」
「いいって、なんのこと? と言うか奈津子、大丈夫? 何だか雰囲気が」
「いいって言ったの。もうお芝居の時間は終わりよ」
「どういうこと? 何を言って」
「あなた……ぬばたまね」
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