第50話 武器


「……」


 夕食後。

 部屋に招かれた春斗は、奈津子の話を厳しい表情で聞いていた。


 想像の遥か上を行く事件の数々。

 時折質問をかぶせながら、春斗なりに分析しているようだった。


「……大変だったんだね、なっちゃん」


 そう言って、震える肩に手をやる。

 その時になって、奈津子は自分の瞳が濡れていることに気付いた。


「ごめんね。こんな大変な時に、傍にいてあげられなくて」


 穏やかな春斗の声に、奈津子は全身の力が抜けていくような気がした。

 話をしたところで、何も変わる訳ではない。しかし春斗に告げたことで、この一連の事件が解決に向かっていくような、そんな気がした。

 それほど奈津子にとって、春斗という存在は特別だった。


「それでなっちゃんは、ぬばたまって妖怪が、事件の鍵を握ってるんじゃないかって思ってるんだね」


「うん……自分でもよく分からないんだけど、ぬばたまの存在が頭から離れなくて」


「……そうなんだ」


「春斗くんは私の話、馬鹿馬鹿しいとか思わないの?」


「そんなこと思わないよ。いきなり妖怪の話を聞かされて、混乱してるのは本当だよ。だってそんなものがこの世界にいるなんて、考えたこともなかったから」


「……だよね」


「でも、なっちゃんが嘘をついているとは思えない。おじさんにしたって、なっちゃんの不安を煽って喜ぶ人じゃないだろ?」


「うん……」


「それに僕は……玲子ちゃん、だったね、彼女の話にも興味があるんだ。聞いてる限りその人は、冷静に、客観的に考えることの出来る人だと思う。その彼女も、妖怪の存在を否定しなかった。

 なっちゃんのすぐ傍にいる二人、おじさんも玲子ちゃんも、その存在を否定しなかった。きっと二人は、僕が理解出来ない何かを感じているんだと思う」


「ありがとう、春斗くん」


「それでなっちゃんは、これからどうしようと思ってるのかな」


「どうって言ってもね、正直分からないんだ。妖怪相手に戦う自信もないし、ぬばたまがどういう存在なのかも、まるで分ってない訳だし」


「なっちゃんはぬばたまのこと、どんな妖怪だと思う?」


「玲子ちゃんにも同じことを聞かれたんだけど……名前から想像出来るのは、絶望や暗闇、虚無、死、影……ぐらいだった」


 春斗が拳を握り締める。


「でも……やっぱりよく分からない。せめて資料が残っていればよかったんだけど」


 そう言って「神代風土記」を手にする。


「ぬばたまの所だけ、何も書かれていなかった。春斗くん、これってどういうことだと思う?」


「単純に考えたら昔の書物な訳だし、例えば焼けてしまったとか、書き写していく内に失われていったとか、そういうことなんだと思う」


「うん……」


「でも」


 そう言って、もう一度拳を握った。


「考えたくないんだけど、僕の中で一つの可能性が浮かんでる」


「それは何?」


「ぬばたまの仕業ってことだよ」


「……」


「彼らは人間との戦いに敗れ、都を去ることになった。恐らく彼らは、人間の強さを思い知ったと思う。

 異能の力を持つ妖怪に比べたら、人間は本当に弱い存在だ。それなのに勝つことが出来なかった。

 彼らはここまで自分たちを追い込んだ人間に対して、畏怖の念を持ったと思う。そして考えた。どうして負けたのかと」


「何だと思うの?」


「人間は、一人一人では本当に弱い存在だ。獣一匹と相対しても、満足に戦うことも出来ない。この自然界で最も弱い種かもしれない。でも人間は、知恵を手に入れた。肉体や能力で劣っているところを、知恵で補ってきた。その結果、妖怪との大戦おおいくさにも勝つことが出来たし、自然界の頂点に君臨することも出来た」


「知恵……」


「うん。そして人間の際たる知恵は、他者にそれを伝えることだと思う。言ってみれば、情報の共有」


「それが人間を強くしたって言うの?」


「そうだね。妖怪たちの中にだって、意志を伝える手段を持つ者もいたと思う。でも人間は言葉を覚え、文字を作った。それはね、ある意味どんな能力よりも、すごい武器なんだ。

 実際なっちゃんは、言語で彼らの情報を知ることが出来た。何も分からず事に当たるより、有利だと思わないかな」


「確かに……言われてみれば、そうなのかもしれないね」


「そんな人間の強さに、彼らは怯えた。負けた原因がそこにあると確信した彼らなら、こういうことをするのも理解出来るんだ」


 余白の部分を指でなぞり、春斗が噛み締めるように言った。



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