第31話 約束
「順調だよ、勿論」
わざと明るくそう言った。
「……」
「……春斗くん?」
「何かあるんだね、なっちゃん」
「ううん、何もないよ。友達だって出来たし、おじいちゃんもおばあちゃんも優しいし」
「なっちゃん。僕はなっちゃんと違って、人より優れたものを何も持っていない」
「何言ってるのよ春斗くん、そんなこと」
「ありがとう。でも本当のことなんだ。成績だって普通だし、運動だってからっきしだ。友達を作るのだって苦手だし、ずっとなっちゃんに面倒かけてきた」
「春斗くん……」
「でもね、そんな僕でも、なっちゃんのことだけは分かるつもりだよ。元気な顔をしてても、それが嘘か本当かぐらいは分かる。なっちゃんは、その……弱さを見せない人だから。
今のなっちゃん、電話越しだけど、そんな感じがするんだ」
春斗の言葉に奈津子は口を抑え、身を震わせた。
「何かあるんだったら言って欲しい。僕にとって、なっちゃんは特別なんだから」
気を抜けば泣いてしまいそうだった。今すぐ来て欲しい、助けて欲しい。そんな思いが強烈に生まれてきた。
しかし必死に抑え込む。
「……ほんと、大丈夫だから」
「ほんとに?」
「うん……確かにね、色々あるのは本当だよ。でも……大丈夫だから」
「一度そっちに行こうか?」
その言葉に、奈津子は強烈に春斗を欲している自分を感じた。
「ふふっ、駄目だってば。こっちに来るってことは、泊りがけってことでしょ? 体育祭が終わったら文化祭、その後は期末試験。学校、休めないじゃない」
「そう、だね……でも……そうだ、来月三連休があるよね。その時に」
「三連休……」
奈津子が壁に掛けてあるカレンダーを見る。
11月の23日から25日まで、確かに三連休だ。
「どうかな?」
「でも春斗くん、その後期末試験だよ。大丈夫なの?」
「ははっ、まあそれなりにね。それこそそっちに行った時に、またなっちゃんに教えてもらうよ」
「ふふっ、しょうがないなあ、春斗くんは。いいよ、文化祭も終わってるし、特に用事もないと思うし」
「じゃあ決まり。おじさんたちにも言っておくよ」
「私も言っておくね」
「まだ一か月あるけど、それまで大丈夫?」
「大丈夫。春斗くんが来る、そう思ったら頑張れるから」
「それならよかった。なっちゃん、頑張ってね」
「春斗くんも明日のリレー、頑張ってね」
「勿論。何着になったか、また報告するよ」
「楽しみに待ってる」
「ははっ、なっちゃんを元気づけたいと思ってたのに、いつの間にか僕が励まされてるよ。やっぱりなっちゃんはすごいね」
「そんなこと……電話、嬉しかったよ」
「またしてもいいかな」
「勿論。待ってる」
「うん。それじゃあまた」
「うん……またね、春斗くん」
電話を切って鏡を見ると、口元が緩んでいた。
もうすぐ会える。そう思うと、高揚感でいっぱいになった。
子供の頃、よく父の明弘が言っていた。
春斗くんはお前に依存してると。
このままだと彼の成長の妨げになってしまう。彼とは少し距離を取った方がいい。それが彼の為だと。
そう言われ、表面上では距離を取っているよう装った。しかし従う気はなかった。
父の言っていることが間違っていたからだ。
依存してるのは私の方なんですよ、お父さん。
そう思い、春斗との絆を大切に育ててきた。
今改めて思う。
どれだけ離れていても、自分には春斗が必要だと。
この大変な状況で、もし救いがあるとしたら。
それは宗一でも玲子でもない、きっと春斗なんだ。
彼と話しただけで、自分はこんなにも前向きな気持ちになっている。
春斗の存在に感謝し、カレンダーに赤丸を付けて微笑んだ。
「……」
ノートへと視線を移す。
そこには今の高揚感を踏みにじる、冷徹な現実が記されていた。
「マダマダ コレカラダ」
この筆跡、あの時の物と同じだ。
またしても犯人はこの場所にいた。
あの時机に飛び乗った小太郎を見て、犯人だと疑いもしなかった。
しかし今考えてみると、おかしなことがあった。
あの朝、小太郎は怯えていた。
あの時は、まだ慣れていないからだと思っていた。しかしそうではなかった。
あの夜、何者かが部屋に侵入し、寝ている自分に気付かれることなくノートを切り裂き、メッセージを残したのだ。
そう思うと身震いがした。
そして同時に、後悔の念が沸き上がってきた。
奈津子は部屋を出ると、サンダルを履いて小太郎の墓の前に立った。
「……」
その場にゆっくり膝をつく。
「ごめんね、勝手に犯人にしちゃって……」
そう言って手を合わせた。
「でも……小太郎、あなたは犯人を見たのよね……ねえ小太郎。あの日私の部屋に、誰がいたの?」
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