第30話 心の支え


 玲子が帰ると、奈津子は心配する多恵子を安心させる為、居間でしばらく話をしてから部屋に戻った。


「……」


 いつもの部屋。

 しかし昨日、ここで小太郎が死んだのだ。

 そう思うと寂しくなり、宗一が取り替えた畳の上に座り、ため息をついた。


「……駄目だ、感傷にひたってる場合じゃない」


 そう言って表情を引き締めて椅子に座ると、机の電気をつけた。





 小太郎のことは哀しい。もっともっと泣きたい、そう思う。

 でも、今することはそれじゃない。自分に降りかかっている災厄、それが何なのかを突き止めなければいけないのだ。

 そしてそれは、小太郎殺しの犯人を突き止めることにもなるんだ。


 その為にはまず、するべきことを終わらせる必要がある。

 まずは文化祭のシナリオだ。これは自分だけの問題じゃない。クラスメイトたちが、自分を信頼して任せてくれたんだ。

 自分の都合で投げ出す訳にはいかない。これをしっかり終わらせて、それからこの災厄について考えよう。


 そう思い、引き出しからボロボロになったノートを出した。


「……小太郎が私に残してくれたものって、考えてみたらこれだけなんだよね」


 このノートは出会った日の夜、小太郎の悪戯で破られたものだ。

 そのノートを愛おしそうに撫でる。


「全く……いたずらっ子だったんだから」


 考えてみたら、写真もまだ撮ってなかった。小太郎との思い出は、自分の中にしか存在しない。

 そう思うとこのノートが、自分にとって特別な物に感じられた。


 ボロボロになったページを一枚ずつめくり、パソコンに打ち込んでいく。それから残りを一気に書き上げるつもりだった。


 災厄や小太郎との別れ。宗一や玲子の言ったこと、亜希の状況。様々なことが脳裏に浮かんでは消え、パンク寸前になっていた。

 知らぬ間に涙を浮かべていた奈津子が指で拭い、最後のページをめくる。


「え……」


 手が止まる。

 最後のページ。

 見覚えのある筆跡で、こう書かれてた。




「マダマダ コレカラダ」




 その時机の上の携帯が鳴り、奈津子は体をビクリとさせた。

 慌てて見ると、「春斗」の名が表示されていた。

 安堵の表情を浮かべた奈津子が、小さく深呼吸して携帯を取った。


「もしもし、春斗くん?」


「ごめんね、こんな時間に。もう学校、終わってたかな」


「大丈夫だよ、今は家だから。春斗くんも、もう家なの?」


「明日体育祭でね、今日はその準備もあって、一般生徒は午前中までだったんだ」


「体育祭かぁ」


「なっちゃんの所は?」


「こっちは5月にあったみたい。今の時期は文化祭だけ」


「そうなんだ。学校によって色々違うんだね」


「でも春斗くん、大丈夫?」


「大丈夫って、何が?」


「ちゃんと準備出来てるのかなって。だって春斗くん、運動苦手じゃない」


「あはははっ、そういうことね。大丈夫だよ、何とかやれてるから。明日は選抜リレーのアンカーもやるし」


「春斗くんが? 冗談でしょ?」


 中学生になってからも、自分より足が遅かった春斗がリレーのアンカー。なんて無謀なクラスなんだろうと苦笑する。


「それって大丈夫なの?」


「なっちゃんからしたらそうなるよね。でもね、体育の授業でメンバーを決めたんだけど、僕が一番速かったんだ」


「嘘! それってみんな、体調崩してたとか」


「あはははっ、酷いよ、なっちゃん。これでも高校に入ってから運動、頑張ってるんだから」


「そうなんだ……」


 いくら頑張ったとはいえ、身体能力が半年程度で上がるとは思えない。それとも春斗にとっては、今が第二次成長期なんだろうか。

 そんなことが脳裏をかすめたが、それでも春斗が今、新しい環境で挑戦してることが嬉しかった。


「私も応援、行きたかったな」


「なっちゃんが来てくれたら、もっと頑張れるよ」


「ふふっ」


「それで時間が空いたから、ちょっと話でもって思ったんだ。どうかな、そっちの生活は。順調?」





 その一言に、自分の置かれている状況が次々と蘇ってきた。

 春斗くんに話したい。励ましてほしい、慰めてほしい。

 そんな思いが内から強烈に沸き上がってくる。

 しかし奈津子は、そのどれをも飲み込んだ。


 今、春斗くんは新しい環境で頑張っている。

 こんな明るい声の春斗くん、私は知らない。声だけ聞けば、楽しい日々を送っているように思える。


 でも、そんな筈がない。


 私と同じく親を失い、理不尽な運命に流されているんだ。

 たくさん泣いた筈だ。悩み、苦しんだ筈だ。

 春斗くんのお父さんは、お母さんが亡くなってから一人で、春斗くんのことを本当に大切に育ててきた。彼にとってお父さんの存在は、何物にも代えられない大切なものだった筈だ。

 それは病院での彼を見ていればよく分かった。


 よくここまで立ち直った、そう思う。そして今、彼は苦手だったことにも挑戦し、新しい一歩を踏み出そうとしている。

 本当に強くなった。信じられないくらい強くなった。

 いつも私の後ろで怯えていた彼が、まるで別人のようだ。

 そこに至るまでに、どれだけの葛藤があったことだろう。


 そんな彼に頼る訳にはいかない。

 状況を変えようともせず、流されるだけの生活を続けている自分。そんな私が助けを求めるのは、甘え以外の何物でもない、そう思った。

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