第9話 休日


 10月20日土曜日。

 奈津子は街に来ていた。


 中間試験が終わり、解放感いっぱいな顔をした亜希に誘われたのだった。

 学校からバスだと二駅。そこは亜希と玲子の住む街でもあった。


「結構賑やかだね」


 いつになくテンションの高い奈津子。

 そんな奈津子に玲子が微笑む。


「こじんまりしてるけど、この辺りでは一番賑やかね」


「でも、こういう雰囲気好きだな」


 以前住んでいたところと比べると、個人商店が軒を連ねるこの場所は、物足りないとも言えた。

 しかし奈津子は、この雰囲気が好きだった。

 転校初日に担任の坂井が言った「池田商店」を見つけ、嬉しそうに笑う。


 玲子の先導で、気になった店に入っていく。昔ながらの店構えは、奈津子に不思議な安息感を感じさせた。





 中間試験、思ったより悪くなかった、そんな手応えを感じていた。

 しかし奈津子には、試験の出来以上にほっとすることがあった。それは父に報告しなくていいことだった。


 これまで奈津子は、試験がある度に父に結果を報告していた。

 いい点数の時は問題なかった。引き続き頑張るように、そう言われて終わっていた。

 称賛も激励もない。当然とばかりの態度は寂しくもあったが、それでも悪い時のことを思えばましだった。

 成績が少しでも落ちると、父は烈火の如く怒り、奈津子を問い詰めた。

 父の機嫌が悪い時だと、深夜遅くまでそれは続いた。リビングがまるで取調室のように感じられる。

 いつ終わるとも知れない指導の時間が続く。奈津子はただひたすらに謝罪し、成績が落ちたのは自分に驕りがあったからです、油断や慢心がこの結果を生みました。これから心を入れ替えて、日々精進しますと頭を下げるのだった。

 自分を否定する言葉が延々と放たれ、次の日までに問題点と対策をレポートにするよう言いつけられる。そしてそれを壁に貼り、毎朝読むことを強要された。


 その父はもういない。祖父母も、成績のことで自分に何も言ってこない。何より今の環境では、父が望んでいた人生のレールに戻ることは不可能に近い。

 自分にその気もない。

 今の自分の実力を知る、そのことだけに専念出来た今回の試験は、奈津子にとって心地よいものだった。


 そして今日。試験を終えたご褒美とばかりに、友人と一緒に街に来ている。

 最高だった。





 この街唯一のファストフード店に入り、奈津子を真ん中に三人が並んで座った。


「亜希、今日は随分静かね」


 玲子の言葉に、奈津子も亜希の方を見る。

 確かに玲子の言う通り、今日の亜希は静かだった。予定を立てていた時とは別人のように、言葉も笑顔も少ない。


「亜希?」


「え? ああごめん、何かな」


「どうしたのよ。朝からずっとそんな感じで」


「あははっ、ごめんね」


「亜希ちゃん、どうかした?」


 亜希の様子に、奈津子も心配そうに声を掛ける。


「実は……うん、そうなんだ。そんな大袈裟なことじゃないんだけど、心配って言うか、気になることがあるって言うか」


「何かあったの? 試験駄目だったとか?」


「あははっ、玲子ってば……成績はまあ、いつも通りで問題ないよ。赤点はぎりぎり回避出来たかな、そうであってほしいなって感じで」


「全然大丈夫じゃないでしょ、それ。だから一緒に勉強しようって言ったのに」


「あははっ、そうだよね」


「亜希ちゃん、何かあったんだよね。その……聞いてもいいこと、なのかな」


「ありがとう、姫。でも、そんな大したことじゃないから。折角の休みにするような話でもないし」


「その折角の休日に、元気ない顔してるんでしょ。気にしないでって言われても無理よ」


 玲子がそう言い放ち、小さく息を吐いた。


「あなた、悩んでることとか全部しょい込んじゃうんだから。どうでもいいことは、こっちが聞きたくなくても話してくる癖に」


「あははっ、玲子ってば辛辣」


「辛辣にもなるわよ、そんな顔を見てたら。何があったの? 私たちでよかったら聞くよ?」


「私も、亜希ちゃんには元気でいて欲しい」


「ありがとう玲子、姫。こんなこと、二人に話しても仕方ないんだけど」


「それでもよ。何も出来なくても、聞くぐらいは出来るから」


「……お父さんとお母さんがね、喧嘩中なんだ」


「喧嘩って、二人が?」


「うん……昨日の夜、ちょっと修羅場っちゃって」


「おばさんはともかく、おじさんも?」


「うん……と言うかね、お父さんが喧嘩の原因なんだ」


「ええっ? おじさんが?」


「あははっ、やっぱそうなるよね、玲子からしたら」


 後で玲子から聞いたのだが、亜希の父は婿養子で、隣町から勝山家に入ったらしい。

 都会暮らしの奈津子にはピンとこないのだが、古くから続く家の多いこの辺りでは、男子がいない場合、家を存続させる為に婿養子を迎えるのが一般的な風習だった。

 しかも勝山家は、この辺りでかなりの発言力を持つ名家だった。

 亜希の父は婿養子という立場に加え、生来の温厚な性格もあり、肩身の狭い思いをしていた。

 建前上、序列は祖父に次いで二番目なのだが、家の中での決定権はほとんど母親が握っていた。

 しかしそんな環境にあっても、彼は不満を漏らすことなく、いつも妻を支えていたのだった。


 その二人が仲違いをしている。しかも原因を作ったのが父の方だと。

 何かのバランスが崩れる瞬間。

 それが今、勝山家で起きているようだった。

 亜希の告白に玲子がため息をつく。

 奈津子は複雑な顔で亜希を見つめた。



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