#18 アシュラフが結婚?
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地質学調査チームは、ホテルで荷造りしたコリーナと出会った。彼女はこれから他の土地を回って、国に帰り、もうラフィーブには来ないだろうと言う。アシュラフが結婚を決めたためにきっぱりふられてしまったからと言うコリーナ。それを聞いたサラは、一瞬、胸がときめく。
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土曜日、研究所からホテルに戻ると、ロビーのソファーにコリーナが座っていた。横には大きなスーツケースが置いてある。
「あら、コリーナ、ラフィーブ滞在はもう終わり?」
サラと一緒にいたマイアが、目ざとく気づいて声をかける。
「ええ、あの船が港を出るので、それで他の国を回って帰ろうかと思って」
「そう。今度の滞在ではいろいろありがとう。とても他ではできない経験をさせてもらったわ」
「私のほうこそ。地質学なんて興味なかったけど、教授の話はとてもおもしろかったわ」
コリーナがにっこりと笑う。しかしその笑顔はどこかさびしげだ。
「でもまたすぐ来るのでしょう? ラフィーブは見るところがたくさんあるから」
アシュラフもいるし……という含みを持たせてマイアが訊ねる。
「さあ……もう来ないと思うわ。よほどのことがない限り……」
「え?」
「きっぱりふられちゃったのよ、アシュラフに」
マイアもサラも絶句した。
「……わかってたのよ。今までだって優しくしてくれたのは、ビジネスのためだって。でも彼も心を決めたんだと思うわ。結婚したい相手ができたのよ」
サラはどきりとした。もしかして、それは……。
「だからはっきり言ってくれたほうがよかったの。最後の彼のやさしさね」
「そうだったの……。あなたにとっては残念だけど、誠実な人なのね」
「ええ。アシュラフがあんなふうに誠意を見せてくれたのは初めてよ。きっとその人のことをとても大事に思ってるんでしょうね」
その会話を聞いているサラの鼓動が、さらに速くなった。
「それは彼にとっても、ラフィーブにとってもいいことかもしれないわね」
「ええ。ラフィーブきってのプレイボーイが落ち着けば、少しは騒がしくなくなるわ。誰もが納得する相手だし」
「え? 相手がだれか知っているの?」
「ジャネット・ラウでしょ」
「ジャネット?」
サラは冷や水を浴びせられたような気がした。
「他の人とは違っていたもの。あれくらいの家でないとサウード家とはつり合いがとれないわよね。彼女なら私もあきらめがつくわ」
「本当に……?」
「あら……噂をすれば、だわ」
そこへジャネットが階段を下りてきた。外国人はほとんどこのホテルに泊まっているから、顔を合わせるのは珍しくない。
「あら、コリーナ。ホテルを替えるの?」
コリーナは泣きそうな目でジャネットを見た。
「いいえ。そろそろ帰ろうかと思って」
「そう」
「ジャネット……」
「何かしら?」
「私……あなたたちの幸せを祈ってるわ」
「え?」
ジャネットがいぶかしげにコリーナを見る。
「アシュラフと結婚するんでしょう? それが誰にとってもいい結論だと思うわ」
ジャネットは少し体を引いてコリーナをじっと見た。そして横にいたサラをちらりと見る。そしてコリーナに向き合うと、余裕たっぷりの態度でゆっくりと応じた。
「もう、そこまで伝わっているとは思わなかったわ。油断できないわね」
ジャネットがにっこり笑って言う。
「あなたにお祝いを言ってもらえてうれしいわ。私はずっとアシュラフとの結婚を願っていたけれど、ご存知のとおり、彼はそれほど結婚にはこだわっていなかった。ここへ来てようやく決心したのよ」
堂々としたジャネットの態度にサラは圧倒された。自信に満ちたその姿は、内側から輝いているように見える。
そのあとの三人の話は、ほとんどサラの頭には入ってこなかった。ただアシュラフとジャネットが結婚すること、それが近々正式に発表されることだけが頭に残った。
サラはコリーナとマイアと別れ、ふらふらと自分の部屋に戻った。
アシュラフがジャネットと結婚。そうよね……。あれだけはっきりと拒絶したのだもの。あまりの頑なさにあきれたに決まっている。ほんの少しでも、彼が私とのために、他の女性との関係を清算してくれると思っただなんて、自意識過剰にもほどがある。
彼はジャネットと結婚して幸せになる。もちろん、国のためにも家のためにも、それが一番……。
その夜は、資源省の外郭団体のパーティーに出ることになっていたが、サラはまったく気が進まなかった。おそらくパーティーにはアシュラフも来るだろう。彼に会うのはいたたまれない。けれども彼がジャネットと結婚するという決意をしたのなら、おめでとうと言わなくては。そうすれば私もふっきることができるかもしれない。
そうは思っても、ぎゅっと胸が締めつけられた。彼とは一緒にはなれない、なるべきではないと思っていた。けれども他の女性と結婚するとわかった瞬間、どれほど彼を好きだったのか思い知らされた。ジャネットのほうが彼にふさわしいとわかってはいても、彼は自分を追いかけてくれると、どこかで甘い期待をしていたことにも気づいた。あの日、彼は私との将来を考えていると言った。それなのに私は、彼の話を聞こうともせず、自分の思い込みだけで拒絶してしまった。
「自業自得よ……」
サラはベッドに倒れ込み、天井を見ながらつぶやいた。
パーティは資源省が中心ということで、招待客はアカデミックな世界の人々が多く、初日の王室主催のパーティに比べると、ぐっと地味だった。
サラはホテルに移ってから、仕事の合間に土産物を選ぶついでに、ホテルのショッピングモールでラフィーブの服を何枚か買ったので、それを身につけていた。アラブの女性は外に出るときは黒いアバヤを着ているが、その下は鮮やかな色の服を着ていることが多いという。
ホテルのショッピングモールはとても大きく、あらゆる物が揃う。もちろん外のスーク(市場)なら、もっとラフィーブらしいものがあるのだろうが、調査に来たサラたちには、観光地をゆっくり回る時間はない。ホテルに入っている店でじゅうぶんすぎるほどだ。ラフィーブ特産の真珠や金細工、刺繍細工なども人気があり、その美しさは、さほど服に興味のないサラも夢中になったほどだ。
店で勧められた、袖や裾に光る糸で刺繍がほどこされたイエローのロングドレスは、注文の翌日には部屋に届けられていた。その明るい色のドレスに見合うような、明るい気分ではないけれど、その気分が顔に出るのを防ぐくらいの役には立つかもしれない。
「やあ、それはラフィーブでつくった服かい。とてもよく似合ってるよ」
少しお酒の入ったチャールズが、愛想よく言う。サラも笑顔を返した。できるだけ早くアシュラフを見つけて、ひとことお祝いを言ったらすぐに帰ろう。サラはそう思っていた。
しかしパーティが始まって二時間近くたってもアシュラフは現れなかった。時間がたつにつれて、サラの気持ちは沈んだ。いっそこのままアシュラフに会わずにいようか。帰国予定日まであと数日だ。アシュラフが結婚を決めたのなら、話す必要などない。彼の答えはわかったのだから。
気分はどんどん落ち込んで、頭が痛くなってきた。周囲のにぎやかな世界が遠ざかる。食べ物も飲み物もとらず、近くにあった椅子に腰を下ろした。そのときバンケットルームの入り口から、アシュラフが入ってくるのが見えた。スーツを着ているので、民族服のときよりは目立たない。けれどもサラの目には、そこだけ光り輝いているように見えた。それを正視できなくて、思わず目をそらし、立ち上がって彼の目につかないよう部屋の隅に寄った。壁にそって目立たないように歩く。
「サラ」
低い声でささやくように声をかけられ、サラは飛び上がった。いつのまにかアシュラフが目の前に来ている。それだけまわりが見えていなかったのだ。
「少し二人だけで話したい。一緒に来てくれないか」
彼のそんな言葉に、ふたたび胸がときめく。けれどもその先に何が待っているのか、今はもうわかっている。
「アシュラフ、私も話したいと思っていたわ。ただお祝いを言いたかったのよ。あなたの選択は正しいと思う。どうぞお幸せに」
「何を言っているんだ?」
サラはアシュラフと目を合わせようともせず、逃げるようにしてバンケットルームから出ていく。アシュラフは追いかけようとするが、彼がいることに気づいた資源省の役人たちが、取り囲むように寄ってきて、アシュラフはその場から動けなくなってしまった。
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