#16 兄の来訪

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砂漠置き去り事件を心配して、サラの兄スティーブがラフィーブまでやってきた。相変わらず子供扱いされていると感じるサラだったが、家族の心遣いを受けいられらないほうが逆に子供っぽいと、マイケルに諭される。アシュラフのことについても、自分に素直になったほうが絶対にいいと……。


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 それから数日、アシュラフは別荘に姿を見せなかった。それでサラも気持ちが少しずつ落ち着いてきた。彼との将来を考えられなかったのは本当だ。今でもそう思っている。彼が顔を見せないのは、彼なりの配慮かもしれない。そう思いたかった。

 夕方、現場調査から戻ってくると、ダイニングルームでマイケルが待っていた。

「あら、マイケル、しばらく来なかったわね」

 マイアが声をかける。

「ああ。僕だっていろいろ忙しいからね」

「あら、それは失礼しました。それで、今日はいったいどんな重大なお知らせがあるのかしら」

「現場調査は明日で終わるんだろう? そのあとはラフィーブ地質学研究所での作業になるから、ここに泊まるのは今日で最後だ。明日からはガルフ・インターナショナル・ホテルに移動するよ」

「交流会をしたホテルね」

「ああ。そのほうが何かと都合がいいだろうってことで。研究所にも近いしね」

「明日、現場から戻ってきたらすぐ出られるように、今夜のうちに荷物まとめておいたほうがいいわけね」

「そういうこと」

「ガルフ・インターナショナルも高級ホテルだし、今回の調査はすごく得した気分。毎日、熱いシャワーを浴びられるなんて、もう金輪際ないでしょうね」

「スターテレビがスポンサーについたし、ラフィーブも協力的だしね」

 トニーがそう言って、マイケルにほほえむ。

「スターテレビはラフィーブの独占取材をしてる。こっちもおもしろい番組をつくらせてもらってるんだ。持ちつ持たれつだよ。それから……またよきスポンサーになりそうな人が現れたから紹介しておこう」

 彼の言葉に、そこにいた研究員たちが興味津々の顔になった。そのとき、玄関のドアから、ダークスーツを着た背の高い男性が入ってきた。日焼けした顔にさわやかな笑みを浮かべている。

「兄さん……スティーブ!」

 三人がぱっとサラを見る。

「やあ、サラ。元気そうで安心したよ。入院騒ぎになったって聞いたから、様子を見に来たんだ」

 サラそっくりの髪と瞳。違っているのはすっかり日焼けしているたくましい体と顔。そして、にこやかなのに、なぜか周囲に威圧感を与えるほどの存在感だ。

「トランセル石油の中東担当のスティーブ・トランセル氏だ。ラフィーブ地質学調査にも興味を持たれている」

「中東の資源には各所から注目が集まっているわけですね」

 チャールズがからかいまじりに訊ねる。

「まあ、そうですね。ラフィーブはアメリカとの交流ができたので、注目もされています」

 愛想よくスティーブが答える。

「妹さんとお話ししたいでしょう。客間が空いているそうですから、そこでゆっくりお話ししてください」

「これはどうも」

 ボーイがスティーブとサラを、その“客間”へと導く。サラも入ったのは初めてだったが、こぢんまりとして、趣味のいい家具が置いてある。使用人が瓶に入ったミネラルウォーターとコップを置いて出て行った。

「スティーブ、なんでこんなところまで来たの!」

「そりゃ、心配だったからに決まっているだろう」

「砂漠でのトラブルはあったけど、もう心配ないからって連絡したでしょう? 仕事場まで来るなんて信じられないわ」

「親父やおふくろからも、お前の無事をきちんとその目で確認してこいって。それから、これはたしかによけいなお世話かもしれないけど、助けに行ってくれたのが、例のサウード家の……」

「……アシュラフね」

「そう、そのアシュラフだ」

「前のメールの言葉は胸に刻んでいるわ。彼がどんな人か、直接見てわかったわよ」

「ええ! まさかお前……」

「……私とは違う世界の人だってことがね」

 アシュラフに言ったことを、そのまま兄に言う。そう、一緒に生きられる人ではない。

「そうなのか、お前が元気ならそれでいいんだ」

 もの問いたげに片眉をあげたものの、いったん言葉を飲み込んでから兄は言った。

 サラはソファに座ったまま、がっくり頭を落とした。

「本当に、家族のみんなにとっては、私はいつまでも子供なのね。信用できないから、兄さんがこんなところまで来て……」

 そのときドアのところから声がした。

「それはちょっと意固地になりすぎてるんじゃないかなあ」

 サラがぱっと顔をあげると、そこにマイケルが立っていた。

「家族がきみを心配するのは当たりまえだろう? 特にトランセル家の人間なら、砂漠の怖さは知ってるはずだ」

「それは……」

「家族の心配を素直に受け入れられないのは、逆に子供っぽいと思うよ」

「ああ、援護射撃をありがとう」

 スティーブが少し戸惑ったように、いきなり現れた白いスーツに赤毛の男性を見た。

「君はサラの同僚……ではなさそうだが」

「スターテレビでリリアナの同僚だった人で、今回の調査のコーディネーターのマイケル・ウルマン氏よ」

「そうか、それはたいへんな仕事ですね」

「いや、僕自身ラフィーブが大好きなんでね。むしろ楽しませてもらってますよ」

 そう言って手を差し出す。スティーブはほんの少しのためらったのち、彼と握手をした。

 手を放してからもうさんくさげな目で彼を見て、また少し心配そうにちらりとサラを見た。サラは苦笑して、兄の耳にささやく。

「彼はゲイだから、そっち方面の心配は無用よ」

 スティーブはなるほどというようにうなずき、ようやく笑顔を見せた。

「さて、妹の無事も確認したし、自分の縄張りに帰るとするかな。驚かせて悪かったな、サラ」

「……いいのよ。こっちこそ心配かけて、ごめんなさい」

「またな」

 スティーブはそう言ってサラの肩をぽんと叩くと、客間から出て行った。

 サラは兄のうしろ姿を見ながら、小さくため息をついた。

「すてきなお兄さんじゃない。あんなのが五人もいるの?」

 隣に立っていたマイケルも、ほうっと息をはき、スティーブを見ながら言う。

「ええ。マッチョなテキサス男が五人よ」

「NYやロスに比べたら、保守的よね」

「そうね。お堅いかしらね」

「……サラ、あまり意地は張らないほうがいいわよ」

「意地?」

「あなた自身もお堅いんでしょうけど、もっと素直になったほうが、自分もまわりも幸せになるってこと。家族のことも、アシュラフのこともね」

「アシュラフって! 私は別に何も……」

「何もなかったわけないでしょ。見てればわかるわよ」

 サラは黙るしかなかった。マイケルは鋭い人だけど、そんなにすぐわかるほど、態度に出てしまっていたのだろうか。

「あたしに言わせれば、何を悩むことがあるのかと思うわ。もう一度、言うわよ。素直になったほうがいいって」

「マイケル」

「あとはあなたしだいだと思うけどね」

 そう言うと、サラを残してマイケルも部屋から出て行った。


 同じころ、アシュラフは優雅な客間で黒髪の美女と話し合っていた。

「つまり交渉は決裂ということ?」冷ややかな声だった。

 彼女のこの言葉は、いま話していることとまったくそぐわないとアシュラフは思った。

「君の表現だとそうなるわけだ」

「要するに私とは縁を切るということだわ」

「結婚しないというだけだ。ビジネスの話は他の者に担当させる」

「アシュラフ、完全なビジネスライクというのは、当てにならないわ。最終的に頼りになるのは血縁よ。正式に結婚することで、国も家も信頼される。今のラフィーブとアメリカの関係をごらんなさい。今回の地質学調査だって、アメリカ人のリリアナがキファーフ殿下と結婚したから実現したんだわ」

「それは否定しない。これまでは僕も君と同じ考えだった。しかし気持ちが変わったんだよ」

「……このあいだ、嵐の夜にあの研究員を助けに行ったことと関係あるのかしら」

 めずらしく、ジャネットの声に苛立ちが含まれている。

「僕はこれ以上、何を聞かれても答えない。ただ君とは結婚しないと言いたいだけだ。結論を出すのが遅くなってしまったことだけは悪かった」

 ジャネットはしばらく黙っていたが、アシュラフの目をまっすぐ見て言った。

「……その決断をいずれ後悔するかもしれないわよ。結婚による縛りがないということは、ラウ家が他の誰とどんなビジネスをしようと自由ということになるわ」

「ビジネスにだってモラルはある。しかし僕たちの会社に義理立てする必要はない」

「ええ、そうね。そうなると、私はもうラフィーブにはいる理由もなくなったから、近々に帰国するわ。この先もお互いいいビジネスができるといいけれど」

 氷のような固いまなざしを向ける。

「ああ、君にも幸運を祈ってるよ」

 アシュラフは表情を変えずに答えた。

 ジャネットはそれ以上何も言わず、静かに立ち去った。

 

 彼女にはしばらく気をつけたほうがいいかもしれない――アシュラフはそう思っていた。

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