#11 豪華客船での休息

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ギリシャの船舶会社令嬢コリーナが招待してくれた豪華客船で、ひとときの休息を楽しむ調査チームの面々。外国人観光客も多く、中には厳しい習慣に従わなければならないストレスを発散しようとするガラの悪い人々もいた。そんなビジネスマン・グループにからまれていたところを、アシュラフが助けてくれる。


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「うーん、さすがに“豪華客船”をうたうだけのことはあるなあ」

 チャールズが心から驚いたように言った。サラもこれほど大きな客船を、じかに見たのは初めてだ。威風堂々とした大型船だが、白を基調とした優雅な姿は海の貴婦人という言葉がよく似合う。

 外観もすばらしいが、内装も息をのむほど豪華だった。高級ホテルそのままのロビー。大理石の床にシャンデリア、深いこげ茶色のマホガニーが映える。案内板を見ると、映画用シアターやプールもあった。

「夢みたいな場所ね。一生、入ることはないと思っていたけれど、人生何があるかわからないわね」

 マイアがうっとりとした口調で言う。チャールズとトニーは、無言のままあたりをきょろきょろと見ている。

「こちらがお部屋の鍵です。ドリンク、お食事、プール、シアター、すべてフリーですので、どうぞお楽しみください」

「プールで泳ぎたいけど……でも水着がないわ」

「レンタルをしております。プールの受付でお申し出ください」

 そのひとことで、四人の行動は決まった。砂漠で一日を過ごすと、本能的に水のそばに行きたくなるものかもしれない。

 部屋に荷物を置くと、じっくり中の豪華さを味わう間も惜しんで飛び出し、プールへと向かう。ボーイの言ったとおり、水着はすぐにレンタルできた。ごくシンプルなものばかりだが、ファッションなどかまっていられない。グリーンのワンピース型の水着に着替え、サラはプールに飛び込んだ。

 水泳はあまり得意ではないが、海や川で泳ぐのは好きだった。実家は雨の少ない土地だったが、夏休みになるとガールスカウトやキャンプで海によく行っていた。兄が五人なので、遊びも容赦がない。もちろん手加減はしてくれていたが、命を守るための泳ぎはたたき込まれた。

 ゆったりと水を切って、顔をあげたままプールを端から端まで泳ぐ。豪華客船のお客はデッキでのリラックスのほうが目的らしく、プールに入っても端で少し泳ぐだけなので、真ん中あたりは余裕があり、体を伸ばして泳ぐことができた。

 しばらく泳ぐと喉の渇きを感じ、ジュースが飲みたくなった。プールサイドに手をついて、思い切り跳びあがると、体から水が勢いよく流れ落ちる。勢いのままプールサイドに上がったが、一瞬、バランスを崩して体がふらついた。あっと思った直後、腕をつかまれて、フロアの側に引き戻された。まわりにいた人は、サラがバランスを崩したことには気づかなかっただろう。ひと目を引くようなことにならなくてよかったと思ったのもつかのま、引き戻してくれた人の顔を見て、息が止まりかけた。

「アシュラフ……」

「大丈夫か?」

「……ええ、ありがとう」

 彼は腕をもったまま、プールサイドに置いてあるテーブルの一つへと導く。

「飲み物でも飲むか」

「ええ、喉が渇いてしまって」

 アシュラフがデッキチェアに腰掛けて、ボーイを呼んで飲み物を頼む。サラはぼうっとして、ただ機械的にうながされるがまま、オレンジジュースを注文した。

 正直に言うと、心臓は跳びはねていた。おとといの晩、キスしたことがずっと頭から離れなかった。また彼と会ったら、きっといたたまれず逃げ出してしまうかと思っていたのに、こんな会い方をするなんて。水に落ちそうになったところを助けられ、当たり前のように今、一緒にテーブルに座っている。

 彼の態度は前とまったく変わらない。

 すでに彼の中では、なかったことになっているのかしら。兄が心配するほどのプレイボーイ。西欧の女性には、キスが挨拶ていどだと思っているのかも。彼にキスされて、嫌がる女性はあまりいないだろうし……。

「コリーナがブライトン教授のチームを招待したと言っていた。調査のほうは順調か?」

 サラははっとした。いつのまにかぼんやり考えこんでしまっていたらしい。

「ええ、おかげさまで。あなたの別荘に泊めていただいているから、何の不自由もないわ」

「それはよかった」

「それに……こんな豪華な客船に招待してもらえるのも、他の国では考えられないわ」

「これからのエネルギー開発を考えると、詳しい資源調査がどうしても必要なんだ。それだけラフィーブにとって大事なことだ。その指導をしてくれる人たちを大事に扱うのは当然だ」

「それほど評価してもらえることは少ないわ」

 サラがそう言うと、アシュラフがやさしげにほほえんだ。ぱっと花が咲くような華やかさに、サラの胸は高鳴る。ふだんと少し違うように見えたのは、体をおおう民族服ではなく、白い半そでシャツにゆったりとした長いパンツだったからだ。いままで見たことないカジュアルな服装に、胸の鼓動がさらに速くなる。

 自分が水着で彼の前に座っていることに気づき、急に恥ずかしさがこみあげてきた。しかしここで動揺を見せたら、ひどい挙動不審になってしまうと気づき、なんとかさりげなさを装うとした。

 しかしいったん意識すると、ひどく人目が気になり始める。ここには外国人が多いが、ラフィーブや他のアラブ圏の人とおぼしき男性の視線をちらちらと感じる。女性の素肌を見慣れていないのだろう。アシュラフも厳格な宗教のもとで育ったはずだが、外国人女性と話すのにも慣れているし、目の前で話していても、視線も仕草もごく自然だ。ただ自分だけが彼の目を意識してしまっているというだけなのだ。

「馬に乗れるのは知っていたが、水泳も得意そうだな」

 アシュラフがさりげなく答えやすいことを聞いてくれる。

「すごく得意というわけではないけれど、小さいころからたたき込まれたわ。水泳は身を護るためのものだからって」

「それはすばらしい。たしか君は末っ子だったな。それで甘やかされていたわけではないということだ」

「甘やかされてはいなかったけど……」

おそらくそれほど期待されてもいなかっただろう。


 そのとき、少し離れたテーブルから、酔っている男の大きな声が聞こえた。数人のグループの外国人のようだ。黒い服の年配のボーイがとんできて、すぐに声はおさまった。

「外国人のビジネスマンかしら」

「そのようだ。外では宗教とラフィーブの習慣で、酒も自由に飲めないし、家族や恋人とも会えない。外国人向けの施設でしかストレスが発散できないから、羽目をはずす者が出てくる」

「そう。多少は同情の余地があるわね」

「そうかもしれない。ラフィーブはビジネスのしやすい国でありたいが、文化や習慣はそう簡単には変わらないし、変えるのがいいとも思えない。そこはお互い、納得できるところですり合わせるしかない」

「もちろん、文化を尊重することは大事だわ」

 サラは当たり障りのない答えをした。本当は、そんなことを話したいわけじゃないのに。

私がいま聞きたいのは、いったいあのキスはどういう意味だったのか……。

「アシュラフ……あの……」

 自分でも何を言おうとしているのかわからない。ただ言葉が体の底からわきあがってくる。

「アシュラフ! ここにいたのね」

 しかしサラの言葉は発せられることはなかった。

 高い声がしたほうを見ると、純白のビキニの水着のコリーナが立っていた。彫りの深い顔立ちに、満面の笑みを浮かべている。長いブロンドのウェーブした髪を下ろし、ビーナスのように見える。

「そこで調査チームの人たちと会って、一緒にさがしてもらったの」

 コリーナのうしろに、トニー、チャールズ、マイアがいた。手にはカクテルを持っている。

「このプールは船上にしては大きすぎる。待ち合わせの場所としてはよくないな」

「そうかもしれないわね。でも会えてよかった。今、ここに席をつくらせるわ。みんなで座れるように」

 コリーナは近くを通りかかったボーイに椅子を四つ運んでくるよう命じた。

 大胆すぎる水着は、コリーナによく似合っていた。だが、ちょっと露出が多すぎるようにも思えた。おそらくそこにいた全員が思っていただろうが、口に出す者はいない。

 これも外ではできない不満の反動だろうか。いや、彼女の場合は、アシュラフがいるからだろう。

 ボーイが椅子を運んでくるのと同時に、美しく盛りつけられたフルーツの皿も届けられた。コリーナはアシュラフのとなりで、椅子をくっつけんばかりにして寄り添っている。アシュラフもごく自然にそれを受け止めている。やはり彼は女性にやさしい。

 どこまでが礼儀なのかわからないけれど。

 サラは心の中でため息をついた。

「そうだ、コリーナさん、まだお礼を言っていなかった。今日はご招待、ありがとう。地質学の調査に来て、これほど豪華なところで夜を過ごせるとは思わなかった」

 チームのリーダーのトニーが、きまじめに言う。

「あら、いいのよ。停泊している間はホテル代わりですもの。楽しんでもらえたらうれしいわ。ラフィーブのためにもなってほしいし」

 ラフィーブというよりは、アシュラフに喜んでもらえればいいと聞こえる。サラはなぜかコリーナに対して嫉妬心はわいてこなかった。むしろこれだけ感情を素直に伝えられるのは、素直でけなげなのだと思う。彼女は本当にアシュラフが好きなのだ。

「これはみなさん、お揃いだね」

 全員がぱっと顔を上げて声がしたほうを向く。サングラスをかけて上半身裸の男性が立っていた。その特徴的な髪の色で、誰かはすぐにわかった。

「やあ、マイケル」

 トニーが立ち上がって、近くのテーブルにあった、空いている椅子を彼にすすめた。

「ありがとう」

 サングラス越しでもうれしそうなマイケルを見て、サラは少々、複雑な気分になる。マイケルは座る前に、コリーナのほうを向いて招待の礼を言った。

「それにしても、この船はすごいね。アメリカの超豪華ホテル並みだ」

 コリーナはうれしそうな笑顔を見せた。

「遊技場もあるみたいだけど、カジノはやらないの? ラフィーブでは賭博禁止だから、船の上でやったら人気でるんじゃない?」

「ラフィーブの港に停泊中は、こちらの法律に従ってもらう。外国人だけではなくラフィーブ国民も入れる場所だ。こういうことは一つ例外をつくると、あっという間に崩れる」

 アシュラフの言葉に、マイケルは肩をすくめた。

「まあ、そうだよね。ビジネス界のリーダーが、そういう信念を持ってるっていいね」

 マイケルの軽い調子が不快だったのか、アシュラフは少し眉をひそめた。

「カジノ以外は、僕にとっても何の不足もないな。このプールもすばらしい。水着もそろってたしね。マイアとサラのもここのレンタルだろう? 趣味がいいよ。二人ともとってもよく似合ってる」

「あら、ありがとう」

 マイアが明るい声で笑った。マイケルは相手に威圧感を与えず、いやみなく人を褒めることができる。


 アシュラフはなぜマイケルに対してこんな不快感をおぼえるのか、よくわからなかった。自分とは性格的に相容れなくても、仕事さえうまくいけば、たいていのことは受け入れられた。マイケルはテレビマンとしては優秀だ。リリアナ妃の信頼も厚い。さきほどのカジノ発言など、すでにいろいろな人から聞かされている。だが、サラがまったく警戒心なく、にこやかに笑って彼の軽口に応対しているのを見ると、なぜか不快な感情がこみあげるのだ。


 そのとき、彼の背後でひときわ大きな笑い声があがった。さっきから騒いでいた外国人のグループだ。アシュラフはうしろを振り返って見た。男が数人、こちらに向かって歩いてくる。女性たちが眉をひそめる。

「おやおや、これはみなさん、楽しそうだな。おれたちも仲間にいれてくれよ」

 酒で顔を赤くした小柄な男が、倒れるようにテーブルに手をついて、マイアの顔をのぞきこんだ。マイアが小さな悲鳴をあげた。

「やめろ、ここには君たちのための席はない」

 トニーが酔っぱらいの腕をつかんでどかそうとするが、男の力は意外に強いらしく、押しのけることができない。

「おおい、本当に美人ぞろいじゃないか。なあ、レディたち、カクテルを一緒に飲もうじゃないか」

 絡んでくるのは一人だけで、あとの何人かはうしろから大声であおっている。

「いいだろ。外じゃ酒も自由に飲めない。こういうところでパーッとやらないと」

 男はさらに調子に乗って、サラに顔をぐいっと近づけて、腕をつかもうとする。それを見て、アシュラフの中の何かが切れた。

「やめろと言っている!」

 あたりを静まらせる重々しい声に、男は一瞬ひるんだ顔を見せた。しかしアシュラフを見ると、落ち着きを取り戻し、今度は彼に突っかかっていく。

「おい、若造。おれたちに指図しようっていうのか?」

 そしていきなり片手を振り上げると、アシュラフにとびかかった。しかしアシュラフはそのこぶしを受け止め、逆に背中に回してひねりあげる。そして思い切り押して、プールに突き落とした。男が水面にたたきつけられ、派手な音を立てる。アシュラフはうしろにいた仲間の男たちのほうをにらみつけた。男たちはびくりと体をすくませる。

「今すぐ、部屋に戻って頭を冷やせ。そうしないと、二度とラフィーブの土を踏ませないようにすることもできるからな!」

 アシュラフの威厳をたたえた態度と口調に男たちはすっかり気圧されて、警備員にうながされるまま、エレベーターのほうへ向かって歩いていった。プールに落ちた男も、少し頭が冷えたのか、何も言わずこそこそと水から上がり、仲間を追いかけた。

 サラたちはほっと息をつき、アシュラフに礼を言おうとしたが、すかさずコリーナが彼にとりすがるように飛びついた。

「アシュラフ、ありがとう!」

「いや、これで彼らも少し頭が冷えるだろう。ちょっと向こうの人たちと話してくるから、ここは失礼する」

「わかったわ。あとでまたぜひ寄ってちょうだい」

「ああ、できたら」

 そう言い置いて、アシュラフはテーブルから離れた。サラが声をかける間もなかった。ぼんやり彼のうしろ姿を見送っていると、耳元でマイケルがささやくように言った。

「彼は怒りもストレートですてきねえ」

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