#08 気になるアジアン・ビューティー
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調査が始まって初めての週末、サウード家の別荘でパーティーがあった。今度は本当に気楽な集まりだったが、そこにジャネット・ラウという香港の財閥令嬢がいた。彼女は互いの家のビジネスのため、アシュラフとの結婚を強く望んでいて、それを隠そうともしない。その美しさと自信に満ちた態度に圧倒されながらも、ビジネスのためだけの結婚なんて寂しいと、サラは思うのだった。
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ラフィーブに来て初めての週末、夜が明けるまで眠れるというぜいたくを味わった。これまではまだ暗いうちに目を覚まし、車で砂漠に向かう間に夜が明けるという繰り返しだった。昼間の気温が高いため、できるだけ午前中に作業を集中させようとするためだ。時差ぼけも完全には解消していなかったのでつらいが、砂漠に日が昇ったときの美しさ、さわやかさは、他にたとえようがなく、それだけで早起きの甲斐はあったと思う。
久しぶりにたっぷりと睡眠をとり、シャワーを浴びてから持参したノートパソコンを開くと、すぐ上の兄のスティーブからメールが入っていた。アシュラフ・サウードからアラブ支社に連絡があったことの報告だが、そのあとは要領を得ない文が続いている。どうやらアシュラフという人物に相当な警戒心を持っているらしい。ビジネス上のことではなく、中東社交界きってのプレイボーイとして……。
もうサラも立派な大人なのだから心配はいらないと思うが、宗教や文化の違う土地での男性とのつきあいはくれぐれも慎重に、云々。
サラはメールを見ながらがっくりと頭を垂れる。まったく相変わらずなんだから。アシュラフが危険なことくらい、直接見た私のほうがよくわかってるわよ! 国を支える一族の跡取りで、私とは違う世界の人。それはわかっている。
……それなのに彼を見るといつも胸が苦しくなるのだ。
パソコンをパソコンを閉じる。もう今日はこれを開くのはやめよう。ラフィーブに来てほんの数日だが、疲れはたまっている。暑さには強いが、やはり外国での調査は違う。ゆっくりとバスにつかり、涼しい部屋で本を読んですごしていたい。砂漠の国では、昼間、用もないのに外に出る人はいない。しかし今夜はこの屋敷で“気楽な集まり”とやらがある。いっそそれも行かずにすませたいくらい。けれどもアシュラフが仕事のためにさまざまな人脈を求めているように、研究者にも人脈は必要なのだ。それは理解しているのだけれど……。
サラはクローゼットからワンピースを選んで取り出した。選んだと言っても、他にパーティーに着る服はない。ハイヒールを履くのも久しぶりだ。ベッドの上にドレスを広げてじっと見つめる。そして小さく息をつくと、バスルームへと入っていった。
「本当に“気楽な集まり”でよかったな」
トニー・ライトが笑顔で言った。たしかにこのあいだのパーティーよりはカジュアルで、男性はジャケット、女性もセミフォーマルだ。自分の服でも浮いていないことに、サラはほっとした。
「それにしても、教授は相変わらずのマイペースだね。自分に周囲が合わせるべきだっていうあの姿勢が許されるのは、地質学者としての実績のおかげだよね。僕らにはまだまだ無理だけど。うらやましいなあ」
教授は一人だけ、地質学者のトレードマークともいうべき服装……サファリスーツといえばいいのだろうか。カーキ色の上下で体を傷つけないように長袖長ズボン。ポケットがいくつもついているのが実用的に見える。
「でもあれ、実はデザイナーズブランドって知ってた?」
「えっ!」
マイアの発言に男性二人が驚きの声をあげる。
「イタリア人デザイナーでガリレイっていう若手がいてね、苗字があのガリレイと一緒だから、天文学とか地質学が好きだったんですって。それでブライトン教授のファンになったらしいわ」
「それでサファリ風の服までつくっちゃったと」
「そうみたい」
「でもふだん見慣れてる作業着と、それほど違うようには見えないんだけどなあ」
ファッションにはうとい男性二人が、教授をまじまじと見つめる。
「ガリレイのカジュアルは、なかなかの人気ですよ。アウトドアにも着られるしね」
四人が振り返ると、赤毛のマイケルが立っていた。彼もカジュアルとはいかないまでも、ネクタイなしに着られる、立て襟のジャケットをすっきり着こなしている。場慣れた印象だ。
「やあ、マイケル。さっきはどうも」
トニーの言葉に、マイケルは笑顔で応えた。二人の間に、前とは違う親密そうな空気が流れる。
いったいいつのまに……。リリアナとホテルの部屋で話していたとき、彼がトニーにちょっと興味を持っているようなことを言っていたけれど、当然、冗談だと思っていた。けれどもそうでもないのだろうか……。
「みなさんに一人ご紹介しておこうと思いまして。学術交流会の日のパーティーには出席されていなかったので、初対面でしょう」
マイケルのうしろには、つややかな黒髪の女性が立っている。
「こちらはジャネット・ラウ嬢。香港を拠点としてビジネスを行なっているラウ財閥の総裁令嬢です」
「ラウ財閥の? それはすごい。ラフィーブにはよくおいでですか?」
チャールズが目を輝かせて尋ねる。中国系の彼は、やはりアジアの動向には興味があるようだ。
「そうね。父が石油開発のビジネスにも関わっているので、そのおともで以前からよく来ていましたの。まだ直接の取引はないけれど、サウード家とは親しくさせていただいているわ」
そう言いながら、ジャネットがちらりとサラを見た。
「サウード家はラフィーブのビジネスの要ですからね」
「ええ、そうね」
「おや、あなたはサウード家というより、アシュラフと個人的に親しいのかと思ってました。ラフィーブ社交界では、彼とあなたをお似合いのカップルだと見ている人たちもいるようですし」
マイケルの言葉にサラがぎくりとする。アシュラフとお似合いのカップル? この美しい女性が……。黒く長い睫毛に縁取られた目を見ながら、サラはなぜか胸がギュッとしめつけられた。
「お似合いのカップル?」ジャネットはマイケルの言葉を繰り返した。「そうね。私もそう思っているわ。彼はラフィーブ金融界を牛耳るサウード家の人間。私の父は香港ビジネス界ではかなりの影響力を持っているわ。ラフィーブは今後、アメリカだけでなく、アジアとの関係も重要になってくる。私と彼が結婚すれば、お互いの家だけでなく、国に利益をもたらすことでしょう」
アシュラフと結婚という言葉に、サラの心は凍りついた。もちろん、彼のような立場にいれば、いずれ結婚しないわけにいかないだろう。けれどもジャネットがクールすぎるのに違和感を感じる。アシュラフを好きだという気持ちがまったく感じられない。お互いに利益があるから結婚したいと言っているような……。
しかし――サラは思い直す。アシュラフ自身、人間関係をビジネスに役立てようとするタイプだ。そこに国を豊かにしたいという理想があるのはわかっている。そう思うとジャネットのような女性と一緒になるのが一番いいという判断になるのではないか。けれども一人の人間として、愛情は二の次という結婚はさびしすぎる……。自信にあふれたジャネットの態度に気圧されながら、サラはそう思った。
マイケルのまわりに人が集まってきたので、サラは化粧室に行くふりをして、そっとその場を離れた。
バンケットホールから中庭に出ると、冷たい空気が肌を刺す。サラはショールを引き上げて肩を隠した。ぐるりとまわりを見回すと、砂と岩が月明かりを浴びている。砂漠の風景にサラは思わず目を細めた。空港などには安心感を与えるためか、屋内で育てた緑を置くところが多いが、ここは荒涼たる砂漠の美しさを模した庭がつくられている。この国特有の乾いた黄色い岩のオブジェ。砂漠でも育つ植物。鉱物好きのサラにとって、夢のような光景だ。ふだん調査を行なっている場所とは、また違った石がありそうだ。ここはおそらく私有地だから、調査の手は入らないだろう。
サラは石の形を生かしてつくられたベンチにそっと腰を下ろした。不思議なことに、石に直接座っても、あまりひんやりとしない。手すりになっている部分をじっと見つめると、小さな孔が空いていて軽石のように見える。これはいったいなんなのかしら……。ふと目を上げると、砂地のところどころに、こんもりと盛り上がっている石がいくつもあるのに気づく。サラは立ち上がって、引き寄せられるようにそちらに向かって歩き始めた。
そのとき、うしろから肘を引かれてはっとした。
「どこへ行く気だ?」
サラが振り返ると、白い民族服が目に入り、心臓が飛び出しそうになった。
「アシュラフ……私はただ岩が見たくて……」
「岩?」
アシュラフがけげんそうにサラを見て、彼女の指さすほうを向いた。
「ああ……君は地質学研究者だったな。しかしそれは昼間だけにしたほうがいい。ここからは近く見えるが、あの石がたくさんあるところは、意外に離れている。この庭は外との仕切りをつくっていないので、明かりが見えないところまで歩いてしまったら戻れなくなる。砂漠の夜を甘く見てはいけない」
サラははっとした。ここはアメリカのテキサスではない。どれだけ豪奢な屋敷であっても、ここは砂漠の真ん中なのだ。
「アメリカ人の感覚だと、敷地にはきちんと境界を示しておかなければいけないのだろうが、ここではそんなことは無意味だ。それに夜にふらふらと外に行く人間はいない」
「ご、ごめんなさい。珍しい岩だったものだから、つい」
「珍しい? そうか?」
「ええ……まるで軽石みたいな……。座ってもあまり冷たくないから気づいたの」
「ほう。鉱物学的に詳しいことはわからないが、専門家から見ると興味深いもののようだな」
「専門家というよりは……私の悪い癖よ。それがどんな成分でできているのか、もともとここに何があったのかを知りたくなるのは。お屋敷の美しさとか、庭全体のすばらしさとか、見るものはたくさんあるのに」
「そういう女性は新鮮だ。西欧人は砂漠にあこがれはあっても、そこまで興味は持たないし、その厳しさも知ろうとしない。むしろ屋敷の中のものに関心を持つ人が多い」
「ええ、屋敷の中もすばらしいと思うわ。ただ私は……」
「非難しているわけではない。ラフィーブの本質的な部分に関心を持ってくれてうれしいと思っている。ラフィーブは国王の主導で近代化を進めているが、もともとは砂漠の国だ。その中で培われてきた伝統も文化もある。それを忘れて西欧のまねをしているだけでは、本当に豊かにはなれないし、国としてのアイデンティティも失ってしまう」
ラフィーブのビジネス界の要の家柄で、伝統とは相いれないのかと思っていたのに……。サラはアシュラフの言葉を意外に感じた。
「ビジネスのことしか考えていないくせに……という顔だな」
「そんなことは……」
心の中をのぞかれた気がして、サラは顔が熱くなった。おろおろして何を言えばわからなくなり、少し気持ちを落ち着けようとさっきのベンチに腰かけた。それをアシュラフは笑みを浮かべながら見ていた。意地の悪い顔ではない。愛しいものを見るような、温かい笑顔だったので、サラはもっとどぎまぎした。
「ここは石ではなく、星を見るのにいい場所だ。下を向くより上を向いたほうがいい」
アシュラフはそう言って、自分もベンチに腰を下ろした。服の生地から体温がつたわってきそうで、サラの熱も上がる。それを振り切るように、顔をぐっと上に向けた。するとそこには、降るような星空が広がっていた。
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