#06 砂漠の社交場

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サラたちが調査現場で働いていると、視察に向かうリリアナとキファーフ殿下、そしてアシュラフの妹レイラーという女性がやってきた。レイラーはイギリス人と結婚しているが、やはりサウード家の人間としてさまざまな方面に影響力があるらしい。しかし気さくで気持ちの温かい人々にかこまれ幸せそうなリリアナを見て、サラも温かい気持ちになる。


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 アシュラフの別荘は野外調査地にも前のホテルより近く、砂漠を走るための四輪駆動の車も二台あり、移動ははるかに楽だった。そして帰れば熱いシャワーと温かい食事、そして寝心地のいいベッドがある。疲れを翌日に持ち越すこともなく、ふたたび調査に出かけられる。これはやはりアシュラフに感謝しなければならないだろうと、サラも思った。

けれども逆に考えれば、それだけこの調査がラフィーブという国にとっても、アシュラフの事業にとっても重要ということだ。これまでラフィーブで大規模な地質調査が行われたことはなかった。この二十年ほどの間にさまざまな機器が発達したおかげで、それまでわからなかったことが細かく調べられるようになり、長年、謎とされてきたことが次々と解明されている。その土地の大昔の天候や地形などの歴史を知るだけでなく、今後、資源開発を進めるうえでも、綿密な調査が欠かせなくなっているのだ。

 ラフィーブには、かつて海だった土地が存在していると言われる。砂漠のばらの存在も、それを示す証拠だ。それがなぜ砂漠の国となったのか、どこかにまだ水脈があるかどうか、調査によってヒントを得られるかもしれない。サラもそうした調査の一端に加わっていることがうれしくて、砂漠の強い日差しに耐えながら、こつこつと鉱物を集めていた。

 

 調査開始から四日目、もうすぐ昼になるというころ、らくだに乗った一団がやってきた。むき出しになった崖の地層の写真を撮っていたサラは、その一団の中にリリアナがいるのを見つけ、作業を中断して駆け寄っていった。

「リリアナ! 今日はどうしたの? 視察?」

 ヒジャブの巻き方もアバヤの着こなしも板についていて、らくだを乗りこなしている。まるで、ラフィーブに生まれ育った人のようだ。

「今日はキファーフのおともで、砂漠の民の視察へ行くの。少し回り道をして、ここを通ってもらったの」

「ありがとう。でも、らくだに長く乗っているのはつらくない?」

「だいぶ慣れたわよ」

 らくだの前にいた男性が強めに綱を引くと、らくだがゆっくりと肢を折って、からだをかがめた。男がすっとリリアナの横に寄り添って体を支えながらおろす。

「ありがとう。キファーフ」

 その言葉に、まわりにいた助手たちは思わずあとずさりした。

「キファーフ殿下!」

 一国の王族に対してどう対応すればいいのか、ざわめくアメリカ人を前に、キファーフは苦笑しながら軽くうなずくと、何かリリアナにささやいて、その場から離れて行った。ゆったりと大またで歩くキファーフを、サラたちはぼんやり見送ることしかできなかった。

「自分がいるとみなさんを緊張させてしまうから、先に行きますって。ゆっくり話して来ればいいと言っていたわ」

「え? それであなたは大丈夫なの?」

「ええ、従者を一人残してくれたわ。それにあとから来る人もいるし」

キファーフ殿下は容貌から冷たく見られることが多いが、妻にはやさしく、周囲に気遣いを見せる。夫婦仲がうまくいっているのは、リリアナが幸せそうなのを見れば一目瞭然だ。

 サラはあらためてリリアナをうらやましく思った。遠い異国に嫁いで苦労も多いだろうに、こうして幸せそうにしていられるのは、夫であるキファーフ殿下との間に強い絆があるからだ。

「リリアナ!」

 砂ぼこりをあげて車が近づき、中からパンツルックにヒジャブを巻いた女性が出てきた。

「あら、レイラー。今日は車なのね」

「ええ。あまりに日差しが強くなりそうなので。私はあまり砂漠に慣れているほうでもないし」

「そうね。今じゃすっかり私のほうがラフィーブ人みたいになってるわ」

 リリアナが笑って言う。

「サラ、紹介するわ。こちらレイラー・サウード・ロックウェル。ラフィーブ社交界の花であり、台風の目でもあるのよ」

「え……サウードって……」

「そう、サウード家の令嬢よ。イギリス人と結婚して、今はラフィーブとイギリスを行ったり来たりしてるわね。あなた、アシュラフには会ったかしら?」

「え、ええ」

「レイラーはアシュラフの妹よ。他にも兄弟は何人かいるけど、目立つという意味ではこの二人が抜きんでているかしら」

「兄は表で、私は裏ですけどね」

 私より少し年上だろうか。大人の余裕を感じさせる女性だ。

「ねえ、あなた。アシュラフのことどう思った?」

 単刀直入に尋ねられて、サラは絶句した。

「どうって……。ええと……」

「……あまりいい印象ではなさそうね」

「そんなことはありません!」

 思わず強く否定していた。

「ただなんというか、私とはまるで違っていて、雲の上の人という感じで。まったく違うところを見ているような気がしたんです。私が興味があるのは石や鉱物で、世間にはうといので」

「ああ。兄は世間を見るのが仕事のようなものね。人間関係ですら、ビジネスの糧としか思っていないんだから」

 胸がざわりとした。アシュラフが人当たりはいいけれど、どこか冷たい感じがするのは、相手が自分にとってどんな利益があるかしか見ていないからなのだろうか。

「アシュラフに限らず、この国の要職にある男性はそういう傾向が強いけどね。自分たちが国を背負っているという意識が強すぎて。キファーフもリリアナと出会う前はそうだったわ」

「そうなの?」

 リリアナの頬が赤く染まる。

「ええ、そうね。結婚はこの国のためになると国王夫妻が認めた相手とすると言っていたくらいだから」

 王族としての責任が言わせた言葉だろうか。アシュラフもまた、同じような責任を感じているのかもしれない。

「あら、噂をすればアシュラフが来たわよ」

 リリアナが言うのを聞いて、サラはぎくりとする。アシュラフはらくだに乗ってやってきた。周囲には数人の従者がついている。

 らくだの上からゆったりとまわりを眺めているアシュラフは、砂漠の空気に溶け込んでいる。これまで会ったときとはまるで雰囲気が違っていて、とても自然にリラックスしているように見えた。

「キファーフ殿下はよく視察にいらっしゃるのかしら?」

 サラはリリアナにたずねた。

「そうね。たいていは砂漠の民と話すために。国境警備を担っている部族もいるから、何かと情報を集めにね。もちろん今はメールだって電話だってあるけど、やはり人間同士、顔を合わせるのが一番だというのが、こちらの考え方なの」とリリアナが答えた。

「たしかに、顔を合わせたほうが深い話ができるわよね。それでレイラーさんたちも同行されるのね?」

「私?」

 レイラーがおもしろそうに言う。

「私はただ砂漠が好きなだけよ。こちらにいるときはできるだけ砂漠にいるわ。アシュラフは他にも理由があるかもしれないけど、本当は会社の役員室で政府の人間と会っているより、砂漠にいるほうが気楽なんじゃないかしら」

 意外に思えた。都会的で人の輪の中心にずっといる人だと思っていたのに。

「ラフィーブの土地を他の国の人が調べるプロジェクトは初めてだから、さまざまな方面から期待されているわ。だから何かと理由をつけて見に来る人が増えると思うけど、調査の邪魔にならないようにするから許してね」

 申し訳なさそうにレイラーが言った。

「そんな、邪魔だなんて」

 レイラーは若い研究者にも、敬意をもって接してくれる。

「ねえ、サラ、らくだに乗ったことはある?」

「らくだに? いいえ。まだそのチャンスはないわ」

「兄たちが乗ってきたらくだがあるから、ちょっと乗ってみない? まだしばらく出発しないみたいだし、あそこにつながれているわ」

 レイラーが指差した方を見ると、数頭のらくだが岩のそばで休んでいる。テキサスの高原を馬で走っていたことを思い出し、好奇心がむくむくとわいてきた。

「ええ、ぜひ乗ってみたいわ!」

 サラは思わずレイラーに向かって言った。

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