#05 砂漠の中の大邸宅

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調査の間は砂漠の中の小さな山小屋のようなホテルに泊まることになっていた。不自由さに慣れている助手たちにとってさえ窮屈で不便きわまりない。ところがそこへアシュラフがやってきて、自分の砂漠の別荘を提供してくれるという。そこは驚くほど豪華で水もたっぷり使える大邸宅だった。サラが部屋にいるとボーイのような少年がアシュラフからの花を届けてくれた。


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 パーティーの翌日。チームは野外調査を行う土地へと移動した。ラフィーブは砂漠の国でもあるが、今回の調査場は乾いた荒野に近い。ひび割れた地面にところどころ砂漠の植物が生えている。景色としては味気ないが、安全性や効率を考えるとはるかに条件がいい。そして、調査する場所によって条件が大きく違うのは宿泊所だ。地質学者は野営に慣れているとはいえ、マイアはやはりうんざりしているようだ。

「これからしばらくシャワーともお別れね。今日はゆっくりホットバスに浸かっておくわ」

 移動の前日、マイアはガルフ・インターナショナル・ホテルのエステで体を磨き上げ、本当に一時間以上バスに浸かっていた。サラは本格的な砂漠での野外調査は初めてで、むしろわくわくする気持ちのほうが強かった。けれども油断してはいけない。アメリカとは気候も違うし、空気の濃度からして違う気がする。一日の大半を外で過ごすのだから、ちょっとした判断ミスが命取りになりかねない。

 調査の本拠地となるのは、山小屋に毛が生えた程度の小さなホテルだった。朝、出かけて昼間は外で過ごし、夕方に戻ってくる。砂漠には旅人や現地の調査員のために、休憩用の小屋が散在しているということだったので、昼食はそこでとる。気温差が大きく、砂漠の民さえ住まない場所なので、毎日、移動に時間はかかってもホテルに戻るほうがよいというのが、ラフィーブ研究者からのアドバイスだった。

 一日目の調査が終わってホテルに戻ったとき、サラはくたくただった。初めてという緊張感もあったが、小さな古い車に発掘機材を積んで舗装されていない道を移動するのは思った以上に体力が必要だった。

「三週間ばかりの滞在だが体力を温存して、あまり遊び歩かないでくれよ」

 リーダーのトニーが冗談めかして言う。遊び歩くところなどあるわけがない。それでも水分と食事はきちんととらなくてはと、サラは思った。

 遅い夕食のあとチームのメンバーでロビーでくつろいでいると、カンドゥーラを着た男たちが四、五人入ってきた。ふつうの客とは見えない緊張感をともなっていて、サラは思わず身構えた。王族でもやってくるのだろうかと思ったほどだ。男たちの一人がホテル内部をぐるりと見回し、うしろに合図を送る。するとさらにもう一人、ホテルに入ってきた男を見て、サラは飛び上がりそうになった。

「アシュラフ……」

 なぜ彼がこんなところにいるの? 疑問を口にする間もなく、男の一人がブライトン教授と話をしたいと言う。フロント係があわてて教授を呼びに行った。

 カジュアルなセーターにパンツという姿の教授は、臆することなくアシュラフの前に立った。彼らも教授には礼をつくした態度をとる。サラたちは少し離れたところから、耳をそばだてて、彼らの会話を聞いていた。

「野外調査は三週間ほどの予定ですね。このホテルでは移動が大変だし、何かと不自由でしょう。私の別荘が砂漠地帯の中にありますので、そちらを使っていただくというのはどうでしょう。私はいないことが多いですが、万事こころえた使用人が何人かおります。移動用の車もご自由にお使いください」

 助手たちは目を見合わせた。財界の大物の別荘……。今回の調査は、とてつもない幸運に恵まれたのではないだろうか。

 教授はそうした好意を当然のように受けとるタイプなので、すぐに承諾した。助手たちは小さくガッツポーズをする。しかしサラは手放しに喜べなかった。

 アシュラフの別荘なんて……。まだ会ったばかりだけれど、なぜか彼の顔を見ると冷静ではいられなかった。彼が興味を持っているのは、自分のバックグラウンド、実家の石油会社だとわかっている。これまでにもそんな人はおおぜいいたが、アシュラフも同じだと思うのはつらかった。彼は危険だ。できるだけ離れていたいのに。

 話が終わると、アシュラフは従者を引き連れて出て行った。サラはほっと息をつき、初めて自分が息を止めていたことに気づいた。

「みんな、聞いたとおりだ。今からすぐに移動する。すぐ荷物をまとめてくれ」

「え? これからですか?」トニーが驚いたように声をあげる。

「ああ。車を持ってきてくれたそうだ。ここから二時間ほどで着くらしい。今夜、ふかふかのベッドで寝たければ、急いで用意することだな」

 

 荷物をまとめるといっても機材は車に積んだままだし、調査に必要のない荷物は、元のホテルに預けてある。だからすぐに用意はできたが、あまりのあわただしさのせいで、車に乗り込んだときには、教授以外はみんなうんざりして、移動は翌日でもよかったのではないかと、内心では思っていた。

 しかしアシュラフの別荘に着いたとたん、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。別荘という素朴な響きとはほど遠く、アメリカ人の感覚からすれば大邸宅だ。アラブ風の丸屋根。中もアーチ状の曲線が強調されたデザインで、細かなレリーフが柱を飾っている。

 もう夜も遅いので、そのまま一人一人の部屋に案内される。いったい部屋がいくつあるのか、想像もつかなかった。サラが通された客間は、それほど広くはなかったものの、調度品は豪華で、ラフィーブの名産であるゴールドの装飾が施されていた。バスルームに入ってシャワーのコックをひねると、すぐに熱い湯が出てきた。砂漠で水がこれほど不自由なく使えるのは、たいへんなぜいたくだ。サラは目をみはり、ため息をつく。今度は感嘆のため息だ。

 サラはそれほどぜいたくにはこだわりはない。むしろ成金趣味には反感をおぼえるほうだ。だがこの屋敷は豪華なりに抑制がきいていて、決して下品ではない。どこかにほっとする温かみがあり、ここでならよく眠れそうだ。

 ベッドに腰をかけると、ドアにノックの音がした。サラは眉根を寄せる。こんな時間にいったい誰? 返事をしてドアを開けると、華やかな明るい彩りが目に飛び込んできた。

「サラ・トランセル様に、贈り物です」

立っていたのは色が浅黒く若い男性だった。まだ十代に見えるが、ホテルマンのような制服を着ているので、この別荘の使用人なのだろう。彼が抱えていたのは、何種類もの珍しい花を集めた花束だった。

「私に?」

「はい。こちらがメッセージカードです」

「ありがとう」

 男性は軽く会釈をして、すぐに立ち去った。サラは呆然として花を見つめた。もう一度、ベッドに腰を下ろして、メッセージカードを開く。


〝先日はたいへん失礼いたしました。

 私のお詫びの気持ちをお受け取りください。兄上とは無事に連絡が取れました。

 私どもの友情が互いの社の発展の礎となることを祈ります。

 この屋敷での滞在があなたがたにとって快適なものとなりますよう。不足がありましたら、なんなりとお知らせください〟


 そして最後に直筆で、アシュラフの署名があった。

 サラはカードをじっと見つめた。彼にとってはごく自然で当たり前のことなのだろう。だからこそ世界中から女性が彼を追いかけてくる。マイケルに聞いたところでは、そうやって広げた人脈を、彼はおおいに利用して会社を発展させているらしい。たしかに彼のためなら、何でもやってあげたいという女性もいるにちがいない。たとえそれが報われなかったとしても。

 そう考えている自分に気づき、はっとする。

 彼はやはり危険だ……。幸い、兄と直接、連絡が取れたらしいし、それが目的だったのだろうから、もう私には近づかないだろう。この花ですべて終わり。彼自身はこの屋敷にはあまりいないと言っていたし、調査期間中に人が集まる機会と言えば、おそらく帰国前のパーティーくらい。それまでは調査に没頭できるはずだ。

 サラはサイドボードにあった花瓶に、届けられた花をさしてじっくりと眺めた。もうそれほど顔を合わすことはないと思うと、ほっとした。その一方で、さびしいという思いもぬぐいきれなかった。

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