#04 シークを取り巻くもの

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パーティーは思った以上に華やかだった。特にサウード家のアシュラフのまわりには、若い女性が集まっている。マイケルがサラに彼を引き合わせてくれるが、学術交流会議に彼女がいたことをおぼえていなかったことにサラは腹を立て、実家の連絡先を渡して離れてしまう。


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 リリアナが用意してくれたターコイズ色のドレスに身を包んだサラがバンケットルームに入ると、トニーとチャールズが目を丸くして近づいてきた。

「やあ、サラ。見違えたよ。すばらしくよく似合ってるじゃないか」

リーダーのトニーが言う。ふだんから穏やかで愛想のよい人だが、心からそう思っているのがわかる口調だ。ドレスだけでなく、メイクもアラブ風に目のまわりをくっきりと縁取り、明るい色の口紅で口元も強調している。調査で外に出ることが多く日焼けして健康的な色の肌には、思った以上に似合っていた。女性の容姿になどあまり関心を持たない研究者仲間に褒めてもらうと、サラとしても悪い気はしない。

「ありがとう。ラフィーブの民族衣装はふだん見られないものね」

「ああ。空港にいた現地の女性はみんな黒いアバヤだから、その下にどんな服を着てるかわからないものな」

「ええ。でも女性同士の席ではとても華やからしいわ。パーティーはふつう、男女別にやるんですって」

「ふうん。ここは外国人専用ホテルだからラフィーブの女性もアバヤをつけていないというわけか」

 トニーとチャールズはまわりをぐるりと見回した。女性の出席者たちは明るいピンク、オレンジ、目の覚めるようなグリーンと、まるで花畑のようだ。自分が持ってきたドレスではあまりにも地味すぎただろう。あらためてリリアナの気遣いに感謝した。マイアも民族衣装を着て、サラと同じようにアラブ風のメイクをしてもらってご満悦のようだ。同僚たちとしばらく話をしているうちに、興奮が少しおさまり、まわりを見る余裕も出てきた。

 教授のまわりには相変わらず人が取りまいている。やはり一流の学者と話をしたいという人は多いのだと、サラは感心する。

 バンケットルームの入り口近くには、ひときわ華やかな集団があった。色とりどりの花のような女性たちの中心には、純白のカンドゥーラをまとった男性。サラはぎくりとした。会議中、見とれていたことをマイケルに指摘された、あの男性だった。サラはあわてて目をそらしたが、どうしても気になってしまう。ときどき高い女性の声で「アシュラフ」と呼ぶのが聞こえる。

 サラは息を整えて、顔を上げた。するとアシュラフがふっと顔をサラのほうに向け、目が合ってしまった。彼の強い視線に縛られたように、サラはまた動けなくなってしまった。


 アシュラフの目に、明るいターコイズ・ブルーの民族衣装が飛び込んできた。襟元や袖口に小さな真珠がいくつも縫い付けられた豪華なものだ。相当な資産家の令嬢だろうか。欧米人だがラフィーブの民族衣装を着ているということは、国内の有力者の知り合いかもしれない。そう考えて視線を上げると、星のように光るグレイの瞳に目を奪われた。アラブ風のメイクをした明るい色のふっくらとした唇が、誘うように開いた。アシュラフは女性たちの集団から抜け出すと、近くにいた見覚えのあるアメリカ人男性に声をかけた。

「失礼ですが、あのターコイズ・ブルーのドレスを着た令嬢はどなたかご存知ですか? ラフィーブ国内の招待客ではないし、学術交流会議でもお見かけしなかったようですが」

 声をかけられた赤毛の男性は、ちょっとびっくりしたような顔でアシュラフを見たが、彼があごで示した女性のほうをちらりと見ると、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「ああ……。あのかたはリリアナ妃の大学時代の友人ですよ。テキサスのトランセル石油をご存知ですか」

「もちろん」

「その社長令嬢です」

「ほう。それではリリアナ妃のご招待ですか」

「さあ、そのへんの詳しいことはわかりませんが、よろしければ紹介しましょうか」

「それはありがたい。ああ、私はアシュラフ……」

 赤毛の男が途中で言葉をさえぎる。

「あなたを知らない人はいませんよ。ラフィーブ金融界を牛耳るサウード家の跡取りだ」

 アシュラフは苦笑した。

「まあ、それだけ知っておいていただければ十分か。ではお願いしたい」

 アシュラフは赤毛の男性と並んで、彼女のほうへ向かった。


 アシュラフがマイケルとともにまっすぐ自分のほうへ近づいてくるのに気付いて、サラの心臓が止まりそうになった。光をまとった雲が迫ってくるようだ。ただぼうっと見ていると、二人が彼女の前で足を止め、マイケルがにこやかに彼を紹介する。

「サラ、こちらはアシュラフ・サウード。ラフィーブ金融界、石油業界の中心的存在、あのサウード家の跡取りだ」

「はじめまして。お会いできて光栄ですわ」

 頭が真っ白になったが、サラは社交上の笑顔を思い出してにっこりとほほ笑み、なんとか礼儀にかなう言葉をさがしだした。正確には「はじめまして」ではないけれど。学術交流会議で直接あいさつをかわしたのは教授だけだったので、正式に紹介されたのは今回が初めてということになる。

「こちらはミス・サラ・トランセル。リリアナ妃の大学のご学友で、アメリカでも五指に入るトランセル石油の社長令嬢です」

「はじめまして。私のほうこそお会いできて光栄です。リリアナ妃はなかなかアメリカに戻ることも難しいだろうから、旧友のご訪問はうれしいことでしょう。何日くらいご滞在の予定ですか? 観光の合間にぜひ私どもの石油採掘場も見学されませんか? ご案内させていただきます」

 え、何を言っているの? 

 石油採掘場の見学なら、研究チームの行動予定に入っている。サラの頭に大きな疑問符が生まれる。横を見るとマイケルが笑いをかみ殺していて、はっと気が付いた。

 この人……私が会議のとき発表した研究員だと気づいていないんだわ。ただリリアナの友人が観光に来たのだと思っている。そしてたまたま親が石油会社の社長だから興味を持ったにすぎない……。つまり会議中の私は、まったく眼中になかったのだ。

 サラは落胆した心を隠して、顔を上げた。

「石油採掘場の見学なら、ブライトン教授のチームでうかがうことになっています。周囲の地質について、今回は三週間かけて綿密な調査を行うことになっていますので、結果がお知りになりたければ喜んでお教えしますわ。ラフィーブ地質学研究所に連絡なさったほうが簡単でしょうけれど」

 アシュラフの顔に驚きの表情が浮かんでいるのを見て、サラは少しだけ満足した。

「飲み物を取ってきたいので失礼します。お話しできて楽しかったですわ」

 そう言い捨てると、サラは踵を返してビュッフェテーブルへと向かった。しかしそこにたどり着く前に肘を引かれた。振り返るとアシュラフが申し訳なさそうな顔を向けていた。さっきまではなかったその翳りに、不本意にもまた胸がときめく。

「失礼しました。あなたはブライトン教授の助手だったんですね。会議のときに報告していらしたのを思い出しました。しかしあまりにも見違えてしまって……」

「ええ。リリアナの好意でこちらの民族衣装を着せていただいてますの。お化粧もそれに合わせたので、印象がとても違うでしょうね」

「そうですね。しかしとてもよくお似合いです。たいへん美しい」

 アシュラフは、ためらうことなく賞賛のまなざしを向けて来た。

「ふだんの私は作業着を着た、地味な研究員です。野外調査に出たり、採集した鉱物の分析をしたりするのが好きなんです。こういう華やかな場所での社交は、本当は苦手なんです」

「ブライトン教授にとっては優秀な助手というわけですね。石油会社の社長令嬢が地質学者とは、お父様にしても頼もしいのではないですか」

 やっぱり父の会社の話! 経済界や財界の人が私に興味を持つのは、社長令嬢という立場だけだ。

「父の会社と私は関係ありません。私には兄が五人いて、それぞれしっかり会社を支える立場にあります。あなたが興味があるのは父の会社のほうでしょう?」

 そう言ってバッグから一枚のカードを取り出す。

「これが中東渉外担当部長をしている兄の連絡先です。ドバイに本部を置いているので、ここからはそれほど遠くないはずだわ。私の名前を出してけっこうですので、直接、連絡してください。ラフィーブのサウード家といえば、きっとすぐに反応するでしょう」

 そう言うとサラはアシュラフの手にカードを押しつけてむりやり離れ、人ごみの中に紛れた。アシュラフも今度は追いかけなかった。


「ふられるなんて珍しいこと」

 アシュラフがうしろを振り返ると、長いつややかな黒髪の美女が立っていた。

「ジャネットか。いつ来たんだ?」

「午後遅くよ。学術交流会議になんか興味ないもの。このパーティーだけでじゅうぶん。今の娘、トランセル石油の社長令嬢なんですって。まるであか抜けないのね。まあ、名家と言ってもテキサスの田舎じゃ、あの程度かもしれないけど」

「相変わらず辛辣だな」

「それにアメリカの石油会社じゃ、言ってみれば競争相手じゃないの。彼女に近づいても、なにか利益があるとは思えないけど」

「僕が利益だけが目的で女性に近づく男だと思ってるのかい?」

「あら、違うの? むしろラフィーブ金融界を背負って立つ男性にしたら当然かと思うけど。恋に溺れて国事やビジネスをないがしろにするような人には、上に立ってほしくないわね」

 ジャネットは香港の財閥の名家の令嬢で、人間関係にはとてもドライだ。自分や家族、国家にとって益のあるもの以外は切り捨てる。そして今のところ、アシュラフとの付き合いが、最も利益が大きいと思っているらしい。

「もちろん愛や恋はすてきなことよ。でもそれ以上に大事なことがあるのも事実だわ」

「ああ、そうだな。君のそういう冷静なところは大きな魅力だ」

 ジャネットは以前からアシュラフに、パートナーシップとしての結婚を迫っていた。国際化を目指すラフィーブにとっては、アメリカばかりでなく中国との関係は将来、重要になる。市場としても有望だ。香港を本拠地として、中国ビジネスに大きな力を持つジャネットの実家、ラウ財閥と関わりができれば、双方に大きな利益をもたらすだろう。

 もちろんそればかりではない。ジャネットはたいへんな美貌の持ち主だし、自分の立場も理解してくれている。彼女の提案も悪くないと思っていた。しかし彼女との結婚を決意させる決め手は今のところなかった。

「まあ、まだ私もあなたも若いし、急ぐ話ではないわ。でもいつまでも煮え切らない態度でいると、せっかくのチャンスを逃すかもしれないわよ」

「その言葉、胸に刻んでおこう」

 ジャネットは華やかな笑みを浮かべると、堂々とした足取りで部屋の真ん中へ向かっていった。

 ジャネットの後ろ姿を見送っていると、さきほどのサラ・トランセルが目に入った。会議中とはあまりに違っていたとはいえ、忘れてしまっていたのを悟られたのは失態だった。しかしそれでもたいていの女性は、アシュラフと近づきになれるのを喜ぶ。ところが彼女はアシュラフの本当の目当てがトランセル石油にあることをすぐに見抜いて、望むものを与えて突き放した。

 アシュラフを見上げたとき、グレイの目が天井のライトを受けて、まるで星のように銀色の輝きを放った。自分では地味な研究員だと言っていたが、隠れたプライドの高さがうかがえた。これまで会った女性たちとはどこか違う。利益とか下心をまるで感じさせない率直さが、逆に新鮮だった。

 彼女はさっきの赤毛の男と話していた。不満そうに何か訴えているのを、男は笑ってあしらっているように見える。彼はたしかスターテレビの社員で、コーディネーターという肩書だった。地質学チームにとっては相談相手でもあるのだろう。気さくな性格のようで、さっきもアシュラフがサラに興味を示すと、すぐ紹介してくれた。しかし親しげにサラの肩を抱いているのを見ると、腹の底にじわりとした不快感が広がった。彼はあまり信用しないほうがいいかもしれない。根拠のない直感のような気もするが、なぜそのような反応が起こったのか、アシュラフにはわからなかった。


「マイケル、人が悪いわ。どうして最初から、昼間の学術交流会に出ていた研究員だって紹介してくれないの? できるだけ親の仕事とは無関係でいたいのに」

「あとでわかったらもっと面倒になるかもしれないよ。あまり知られたくないことは、最初からオープンにしておいたほうが、みんな気にしないのさ」

 説得力はあるものの、どこか納得がいかなかった。砂漠で調査を始められれば、こんな面倒なことから離れていられるのに。以前は地質学者に社交性など必要ないと思っていたけれど、ブライトン教授を見ていると決してそうでない。教授は社交性もあり、意外にもてるのだ。四十代までに二度結婚をしているが、今は独り身だ。パーティーでは女性に囲まれたりもする。もっとも研究所の職員を女性として見ることはないし、職員のほうも、有能だがわがままなボスという認識で、教授を男性として見る人もいないだろう。今、教授のとなりには、白いドレスを着た金髪の美女がいる。教授が何かを言うと、大げさなほど反応して笑っている。昼間の学術交流会議にも出ていた。場違いに華やかな女性だったので、サラも覚えていたのだ。

「あの人は誰?」

 サラはマイケルに尋ねる。

「コリーナ・バシナスかい? ギリシャの造船会社、〈バシナス〉を知ってるだろう? そこの社長の一人娘だ」

「ええ。大企業だわ。そのお譲さんがなんで学術交流会に出ていたのかしら。こう言っては失礼だけど、あまり地質学に興味があるようには見えないけれど」

「それは正しいな。彼女が興味あるのはアシュラフ・サウードだよ。それで彼がいるところならどこでも、なんとか理由をつけてあらわれる」

「まあ……」

「国際的な追っかけというところかな。以前はそういう女性が狙っていたのはキファーフ殿下だったが、リリアナと結婚しちゃったからね。いまだ独身で超ハンサムなアシュラフ・サウードが、もっか一番人気というわけ」

 サラは心の中でため息をついた。

「それにしても、とても人間関係に詳しいのね。これも取材の一環なのかしら」

 タブロイド紙に似合いそうな話題が、すらすらと出てくるマイケルを少し皮肉ったつもりだが、彼は悪びれもせず答える。

「これでも一応テレビマンよ。ラフィーブにはいい男が山ほどいるからね。それをめぐる女性たちにも詳しくなるの」

 口調を変えて小声でそう言うと、彼はウィンクをした。サラは心の中で、もう一度ため息をついた。ラフィーブ社交界もいろいろと複雑なようだ。

 早く調査に行きたいというサラの気持ちは、よけいに強くなった。

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