#02 漆黒の目のシーク

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ラフィーブに到着するとすぐ、現地の研究者たちとの学術交流会が開かれた。サラが初めてのプレゼンテーションを終えて周囲を見回すと、ひときわ目を引く、光を放つような男性がいた。ついうっとりと彼を見つめてしまうサラ。それを会議の司会をしていた男性に指摘され、びっくりしてしまう。


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 ブライトン教授と調査旅行に行くと、助手たちは苦労すると同僚のアイリスが言っていたが、それが決して意地悪からの言葉ではないことがわかった。教授はよく言えばマイペース、悪く言えば自分勝手だ。学者としてすばらしい実績があるので、多少のわがままはしかたないと認められるが、フォローしなければならないまわりの人たちはたいへんだ。

 ラフィーブの国際空港に着くと、現地の地質協会から迎えが来ると言われていたのに、さっさとバスに乗ろうとする。車に乗ったら乗ったで、まわりに興味を引く物があれば止めさせようとする。アメリカにいるのなら放っておいて好きにしてもらうところだが、ラフィーブはまだ外国との交流が浅い国で、宗教的な制限もある。男性でも、変人に近い外国人に、あまり一人でふらふらしてほしくはないだろう。

 学術交流会の会場であり、サラたちの当面の宿泊場所である、外国人専用のガルフ・インターナショナル・ホテルに到着したときは、ラフィーブ側の迎えも、サラたちの研究班も安堵を隠せなかった。

「何とか落ち着けるところに到着してほっとしたよ」

 研究班の先輩格であるトニー・ライトが言った。研究所での勤続年数も一番長く、いわば教授のお目付け役だ。同行者は他に二人。中国系アメリカ人のチャールズ・リーと、サラより三歳年上の女性、マイア・レイノルズだ。マイアとはこれまであまり話したことはなかったが、これを機会に話しができればと思っている。

「しかしほっとしたのもつかの間、すぐラフィーブ研究班との顔合わせだろう? あいさつとプレゼンテーションが待ってるな」

 チャールズがおどけた口調で言う。

「この世界の権威なんだし、教授が一人でやってくれればいいものを、面倒だからって部下にふるんだもんなあ」

「教授にそういうことを期待しても無理よ。だいたい教授の話はだんだん難しくなっていくから、聞いてて退屈しちゃうわ」

 サラ以外はこれまでも教授の調査に同行した経験があるので、まだ気持ちに余裕があるのだろう。サラはテキサス時代、社交が目的のパーティーには慣れていたが、学会発表などの経験は少ない。特に小規模とはいえ、自分のキャリアに大事な意味を持ちそうな今回の調査旅行に、実はかなり緊張していた。

「大丈夫、大丈夫。調査はこれからよ。今日はただここに来た目的や、調査計画を話せばいいだけ。しかも英語で。外国語でしゃべるわけじゃないのよ」

 サラはそう自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせた。

 

 学術交流会の顔合わせは、それほど大々的なものではなかった。大きめの会議室にいたのは五十人ほど。ラフィーブの地質学研究所の調査員たちは、民族服ではなく野外調査用のサファリルックのような作業着に近い服装だった。女性はいなかったが、ラフィーブの研究者たちにも、ブライトン教授と同じ“匂い”を感じ、緊張が少し解けて、担当した調査計画の報告を無事に終えることができた。

 ほっとして椅子に座ると、さっきまでより周囲がよく見えてきた。それまで研究者以外にどんな人がいるのかさえ、あまり目に入っていなかったのだ。ゆっくりと出席者を見回してみる。

 するとうしろのほうに、ひときわ人目を引く人物がいた。純白の民族服、頭には白いグトラ。離れたところから見ても、はっきりとわかる漆黒の瞳。そこだけに光が集まっているように見えて、サラはついじっと見つめてしまった。するとその男性が視線をすっと自分に向け、まっすぐ目が合ってしまった。その瞬間、サラは心臓をぎゅっとつかまれたような衝撃を感じた。


 アシュラフは視線を感じ、目をそちらに向けた。するとアメリカの地質学研究所の研究員の女性が遠くから自分を見ているのに気づいた。女性に見られることには慣れている。ラフィーブ金融界の中心であるサウード家の跡取りとして育てられ、少年時代から国際センスを身につけ、外国人と接することも多かった。砂漠の宝剣と呼ばれる硬質な美貌の持ち主であるアシュラフに、西洋の女性はあからさまに賞賛の目を向けてくる。そして彼自身、それをおおいに利用していた。

 ラフィーブは小国ながらも石油産業で豊かだったが、これからは資源だけに頼ってはいられない。進取の気性に富む現国王シーク・マルルークが、企業の多角経営や観光業の誘致、次々と新しい政策を進めてきた。サウード家は資金面で、ラフィーブの経済的基礎を支えている。国の利益を追求するためには、あらゆる人間関係を利用することにためらいはなかった。女性との関係も例外ではない。

 アシュラフのすぐそばには、長い美しい金髪で、爪に派手なネイルをほどこした女性が笑みを浮かべて座っていた。この場にはまったくそぐわない。彼女はコリーナといって、ギリシャの船舶製造会社の社長令嬢だった。以前からアシュラフにぞっこんで、何かと理由をつけてはラフィーブに来ていた。アシュラフは彼女をだますようなことはしないが、ビジネス上のものに限って、好意のしるしとして提供されるものは素直に受け取っていた。それは物質には限らず、ヨーロッパ経済界へのコネクションなども含まれた。

 今回のこの学術交流会は、国の経済にすぐに結びつくものではない。しかし砂漠には石油の他に資源となりうるものがあるかもしれない。また国の歴史を知るためにも、詳しい地質調査も必要だ。

アシュラフ自身、地球や天体には興味があった。幼いころは砂漠で飽きることなく星空を眺めていたものだ。ビジネスの世界に生きるべく教育され、これまでも人並み以上の能力を発揮してきたが、砂漠や星は常にアシュラフを引きつけてやまなかった。だからこそ地質学協会の理事という職を引き受け、地味な学術交流会にも顔を出しているのだ。

 ここでは利害の一致する女性との出会いなど期待していない。目が合った女性はアメリカの地質学研究所の助手だった。世界的に有名なブライトン教授が連れてくるぐらいだから優秀な学者ではあるのだろう。しかしアシュラフの興味を引くようなタイプではまったくなかった。若いが化粧っ気もなく、地味なスーツ姿。地質学者などというものは、男であれ女であれ、世俗的なことには関心を持たない浮世離れしたタイプが多い。石や鉱物をいじり、空を眺めていれば幸せという人々だ。しかし秋波をおくるでもなく、ただ自分を見ている女性が新鮮で、しばらく目を合わせたままにしておくと、はっと気づいたように彼女が目を伏せた。アシュラフも再び会議室の前方に視線を戻した。


 アメリカとラフィーブ双方の発表が終わり、閉会が告げられると緊張した空気がゆるむ。もうホテルの部屋に戻ってかまわないのだが、教授のまわりをラフィーブの研究者や記者が取り囲み、サラたちも動けなくなってしまった。しかしそこに白いカンドゥーラをひるがえして、一人の男が近づいてくると、まわりにいた人たちがさっと道を開けた。サラはその男性を見てはっと息をのむ。まるでそこにだけ光があたっているようなオーラ。

 さっき目があったあの男性……。間近で見るとその堂々とした態度に気おされて、サラの目は釘付けとなった。

「ブライトン教授、お会いできて光栄です。私はアシュラフ・サクル・アル・サウード。研究者ではありませんが、ラフィーブの地質調査には、資源活用という面からとても興味があり、地質学協会の理事に名を連ねています。どうぞお見知りおきを」

 流れるようなキングズイングリッシュ。サウード家ならサラでも知っている。王族の遠縁にあたる家柄で、ラフィーブ金融界の中心的な一族だ。石油とその関連会社の役員もサウード一族が占めている。そして……この文化交流会最大のスポンサーでもあった。

 彼もシークの一人なのね。雲の上の人……。サラは心の中で思った。サラ自身、親は大企業の社長だが、彼とは住む世界自体が違う。サラは自分ががっかりしていることに気づき、驚いた。私は彼に何かを期待したの? いいえ、そんなわけはない。エキゾチックなハンサムな男性だから、ちょっと目を引かれただけよ。そう考えて小さく息をついた。

「彼は合理的思考を持つプレイボーイだから気を付けたほうがいいよ」

 耳元でささやかれて、サラは飛び上がるほど驚いた。振り向くとグレイのスーツを着た赤毛の男性が、親しげな笑みを浮かべている。

「あ、あなたいったい誰ですか?」

「あれ、さっきまで会議の司会というか、進行役やってたんだけど忘れちゃった? ショックだなあ」

 そう言われてはっと気づいた。たしかにさっきまでマイクを持って会議の進行をしていた人だ。でもこんな印象的な人だったかしら。艶のある赤毛に青い目。すらりとしたしなやかな体にぴったり合ったピンストライプを着こなしている。この人を忘れていたなんてよほど緊張していたのだろうとサラは思う。

「ご、ごめんなさい。いきなり話しかけられたからびっくりして」

「ああ。それもそうだね。ごめんごめん。あんまりアシュラフにみとれてたから、ちょっと心配になっちゃってね」

「みとれてた、ですって?」

「気づいてなかった? 他のものは何も目に入りませんて感じだったよ」

「そんな、まさか!」

 サラは頬が熱くなった。きっと真っ赤になっているに違いない。

「でもさっき言ったとおり、彼は一筋縄じゃいかない相手だからね。君みたいな世間ずれしてないタイプはほんと気を付けないと」

「しょ、初対面の人になんでそこまで言われなければいけないのかしら。よけいなお世話だわ」

 小声で話していても、女性の高い声が耳に入ったのだろうか。アシュラフがちらりとサラのほうを見た。その視線と合ったとき、またサラは体を射抜かれたような気がして動けなくなってしまった。

「ほら、やっぱり気を付けなくちゃ」

 赤毛の男性の言葉も頭の中を素通りしてしまう。いったい、私は本当にどうしてしまったのだろう……。

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