紫苑の追憶

香依

紫苑の追憶

ー これは、僕の好きな人の話 ー



とある日の放課後。

図書当番である僕は、1人溜まった大量の書籍の返却作業を進めていた。

司書の先生も帰ってしまい、僕以外に生徒は1人だけ。

元図書委員長の先輩が、僕の作業をただぼんやり眺めている。


「ね、この間の作文さ、なんて書いた?」


僕ら以外誰もいない図書室に、先輩の声が静寂を破る。


「…先輩、飽きたなら帰ったらどうですか?」


「帰っても暇だもん。で、全クラス対象の作文コンクールのやつ、何書いた?」


「適当に書いたんで、中身まで覚えてないですよ。」



『自分の将来について』

小中学生が書くようなありきたりなテーマ。

自分の今後の将来なんて全然想像できなくて、当たり障りなく適当に書いて提出したような気がするけれど、何を書いたのか本当に覚えていない。


「なぁんだ、つまんないのー。」


返却本のページを適当に捲りながら呟く彼女に、


「そういう先輩は何書いたんですか?」


揶揄うように聞き返した。


「いっぱい書いたよ。本好きだからお仕事は司書の仕事がしたいとか、大きなワンちゃん飼ってみたいとか、世界中を旅してみたいとか色々詰め込んだ。」


「ふは、欲張りっすね。」


指折り数えながら、なりたいことやしたいことを楽しげに一通り語った先輩は

ほんの少しだけ憂いを帯びた表情をして、


「でもね、一番の夢は別にあるんだ。」


なんて呟いた。


「そう、なんですか?」


初めて見る先輩の顔に少し動揺して、声が詰まってしまったけれど

気づかれなかっただろうか。


「うん。でもね、内緒なの。」


「そこまで話して、教えてくれないんですか?」


「内緒は内緒。…私が卒業した後、君が私を忘れなかったら、いつかの機会に教えてあげてもいいよ。」


「それ、絶対教えてくれないやつじゃないですか。」


苦笑する僕に先輩は、


「女の子はね、少しでも秘密があった方がいいんだって。」


と口元に人差し指を当てて綺麗に笑った。


これが、先輩が卒業する1ヶ月くらい前の話。

年度が変わり先輩が卒業した後の校舎はどこか寂しくて、気づけばいつも姿を探していて、きっと僕は先輩が好きだったんだろうな、なんて似合わない感傷に少しだけ浸った。







それから季節が巡り真夏の暑さが落ち着いてきた頃、自宅に1通の手紙が届いた。

真っ白な便箋に書かれた差出人に見覚えがなく、

読まずに捨ててしまおうかとも思ったけれど、

なんとなく読まなければいけないようなそんな気がして、恐る恐る封を切る。

中には手紙が1枚と、先輩の字で僕の名前が書かれた封筒が入っていた。

先に手紙を開けば、差出人は先輩のお母さんから。



流れるような美しい文字で、先輩が亡くなっていた旨が書かれていた。



先輩は、在学中から心臓に病気を抱えていたそうだ。


『卒業してすぐ体調が悪くなり長期入院をしていました。

 懸命に治療を続けていましたが、2週間ほど前に眠るように

 息を引き取りました。

 娘の遺品から、あなた宛の手紙を見つけましたので、同封いたします。

 是非読んであげてください。』


読み終えた僕はきっと酷い顔をしているのだろう。

突然の知らせに思考が止まり、覚束ない足取りでベッドに座り

事実を確認するようにもう一度手紙に目を通す。

何度目読み返しても変わらない事実に自分の体から血の気が失せていく。

震える手で、同封されていた薄紫色の封筒に手を伸ばし、封を切った。


『はろー。元気してる?

 君がこの手紙を読んでいるってことは、

 私はきっと死んでるってことだね。

 

 実はね、私、心臓に病気持ってたんだ。

 秘密にしてて、ごめんね。


 …君は覚えてるかな。

 あの日図書室で話した私の1番の夢の話。

 

 私はね、君の好きな人になりたかったの。

 ずっと好きだったの、知らなかったでしょ。

 君の隣で生きていきたかった。


 でもね、最初から分かりきってたの。私の未来のこと。

 

 どんなに高度な治療をしても進行は抑えられなくて、

 余命まで宣告されちゃってさ。

 …そう遠くない未来、私は死んじゃうんだって覚悟してた。

 でもね、君と出会って、一緒に委員会のお仕事して

 くだらない話をして…それがすごく楽しくて心地よくて、

 初めて、死にたくないって思っちゃった。

  

 柊翔くん

 私と一緒の時間を過ごしてくれてありがとう。

 私の最期の思い出になってくれてありがとう。

 私に、初めての恋を教えてくれてありがとう。


 さようなら、私の好きな人。


 


P.S.

 もしも、生まれ変われて君とまた巡り会えたら、

 その時は君の隣で生きたいなぁ。』



所々、滲んだ後が残る見慣れた先輩の丸くて可愛らしい文字。

視界がぼやけて、あぁ泣いてるんだなって気がついた時には

1人きりの部屋の中に嗚咽だけが響いた。


どのくらい時間が経ったかわからない。

けれど、ようやく涙が落ち着いてきた頃、

部屋中をひっくり返してようやく見つけた便箋に知らせてくれたことのお礼と、

お線香を上げに伺いたい旨と連絡先を綴り投函した。





とあるよく晴れた日の午後、僕は先輩のお墓の前に立った。

海とその奥の地平線が綺麗に見える小高い丘の上で、吹き抜ける風が心地いい場所だった。


「先輩、すごく景色の良いところ選びましたね。独り占めじゃないですか。」


彼女と同じ名前の花束を手向け、その眠る場所と同じ目線にしゃがむ。


「手紙、狡いですよ。先輩がもういないってこと、嫌でも実感しなくちゃいけないじゃないですか。」


恨み言のように語ると、返事をするかのように風が優しく頬を撫でる。

まるで、先輩が悪戯っ子のように笑って『ごめんね』って言ってるみたいだ。

なんとなく想像できて、思わず笑ってしまう。

優しく墓石を撫でて、僕は手紙の返事を口にする。





「僕も初恋でした。好きです、紫苑先輩。」

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紫苑の追憶 香依 @kae1219h

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