第57話 不思議な感情(ティナ視点)
私は思わず衝動的に孤児院を飛び出して、今まさに後悔している真っ最中だ。給水器に向かうなんて言ったけど桶を持ってきてないし……さすがにあんなふうに飛び出して桶を忘れたなんて戻れない。
どうすれば良いのか分からずに、孤児院の玄関前で右往左往している。
「なんであんな態度を取っちゃったのかしら」
フィリップ様と子供達が仲良くなるのは良いことなのに、それを責めるような口調をしてしまった。フィリップ様を責めるなんてそんな権利は私にないのに……それに誰と誰が仲良くなったって良いじゃない。なんであんなにイライラしてたのか……自分で自分のことが分からない。
ああ、もう! こんな訳の分からない感情に振り回されるなんて、気合いが足りないんだわ。新しい仕事に対する真剣さがまだまだ足りていないのかもしれない。
私はそう結論づけて、自分の頬を両手でバチンッと叩いて気合いを入れ直した。
うぅ……涙が出るほど痛かった。でも気持ちは切り替わった気がする。さっきまでのよく分からない感情は、とりあえず薄れた。
それから数分間、深呼吸を繰り返して気持ちを整えた後で厨房に戻った。するとフィリップ様と他のお二方が、昼食の片付けを進めてくれているのが目に入る。今日はフィリップ様にいつも付いている従者の方はいないので、皆さんが直接片付けをされてるみたいだ……
私はその様子を見て、血の気が引くのを感じた。訳の分からない感情に振り回されて突然孤児院を飛び出しただけでなく、王太子殿下と貴族様に昼食の後片付けをさせていたなんて……!
「申し訳ございませんっ!」
さっきまでの困惑した気持ちなんて飛んでいき、跪く勢いで頭を下げて謝罪を口にした。するとフィリップ様がいつもの安心できる笑顔で、大丈夫だと仰って下さった。
「今日は手伝うために来たんだから気にしないで。それよりも、いくつかどこに片付ければ良いのか分からないものがあるんだけど」
フィリップ様は、なんて心が広いのか……この笑顔はどんな悪人でも改心させて、どんなに境遇が酷い人をも安心させる効果があるんじゃないだろうか。
そう考えるとソフィは見る目があるのかもしれないわね……
私はそんなことを考えながら厨房に入り、フィリップ様の片付けを手伝った。そして片付けを終える頃には子供達も部屋から戻ってきて、また食堂は騒がしくも楽しい雰囲気になる。
「ティナ姉ちゃん! 俺専用の寝床があったんだ! 葉っぱがたくさん敷き詰められてて、布まで掛かってた!」
ルイが興奮の面持ちで私のところに駆け寄ってくる。スラム街の子供達は基本的に硬い床の上で寝るしか選択肢がないから、ふかふかの葉っぱの上で寝られるなんて初めての子も多いだろう。
「すっごくね、ふかふかだよ」
「硬い床で寝なくていいなんて、最高だよな!」
「ねー、早く夜にならないかな」
嬉しそうな表情でそんな話をする子供達を見ていると、この子達の今までの境遇が嫌でも突きつけられて悲しくなってしまう。でも私がそんな顔をしてたら子供達を心配させるだけだ……これからこの子達は幸せになるのだから、そのための機会を与えられたのだから笑顔でいよう。
過去のことは思い出さないとまでは言わないけど、大変だったよねと笑って話せるほどに皆を幸せにしよう。
「ルイ、私のことはティナ先生よ」
「はーい、ティナ先生!」
ルイが笑顔でそう呼んでくれる声に元気をもらい、私も自然と笑みを浮かべた。
「ねぇ、ダミエン。この後は何するの?」
「そうだな……まだ時間があるから畑に行ってみるか?」
ダミエンも早速子供達に好かれているみたいだ。知己である私ばかりに子供達が懐かないか心配だったけど、大丈夫みたいで良かった。
「ダミエン、畑に行く前に明日からの仕事の分担を決めないと。それから孤児院の決まりは話した?」
「いや、まだ話してなかった。じゃあまた椅子に座ってもらうか」
「そうね。皆、さっきご飯を食べた椅子にまた座ってくれる? 先生達から話があるの」
私のその言葉に子供達が「はーい!」と元気に返事をして、席に座ってくれた。
「皆様も席に……座ってください」
後ろを振り返ってフィリップ様達にそう告げると、フィリップ様の隣にぴたりとくっついているソフィが視界に入った。私はその様子に一瞬動揺してしまったけれど、すぐに切り替えることができた。……さっき気合い入れた甲斐があったわ。
「うん、ありがとう」
フィリップ様が苦笑しつつ返事をして席に向かってくれたので、私も慌てて自分の席に向かう。そしてそれからは孤児院での決まり、毎日の食事当番、掃除当番などを決めていった。
今日で全部を覚えてもらうことはできないだろうから、明日から根気よく教えていくしかないわね。よく理解できてなさそうな子供達の顔を見回しながら、明日からの日常に想いを馳せた。大変だろうけど楽しみだわ。
そうして皆の顔を見回していると、こちらをじっと見つめている子供の存在が目に映る……ソフィだ。ソフィは他の子とは違う雰囲気があって、今まで存在は知っていたけどしっかりと話したことはない。
「ソフィ、何か質問がある?」
そう話しかけてみたけれど、首を横に振って視線を逸らされてしまった。フィリップ様への態度といい、何か不安なことでもあるのかしら……一度しっかりと話をした方が良いかもしれない。
「皆も何か質問はある?」
「大丈夫〜、それよりも畑に行かないか? 畑仕事って夢だったんだ!」
「私も行きたい! いっぱい作ればいっぱい食べられるんでしょ?」
「そうね……まだ陽が高かったし行きましょうか」
私のその言葉に子供達は一斉に立ち上がり、我先にと食堂を出て行った。子供達って本当に元気ね……教会では接することが少なかったから、久しぶりの騒がしさに少し疲れる。でも嫌な疲れじゃなくて、充実している達成感のある疲れだけれど。
「フィリップ、畑行こ」
勢いよく出ていく子供達とダミエンの背中を見送っていたら、ソフィのそんな声が聞こえてきた。フィリップ様は困ったように微笑みを浮かべて私に視線を向ける。
私を頼ってくださるのは嬉しいけど……正直私もどうしたら良いのか分からないのよね。でもこれから一緒に暮らすのだから、話し合わないと。
「ソフィ、先生と一緒に行きましょう?」
「やだ、フィリップが良い」
「フィリップ様は貴族様なのだから、困らせてはダメよ」
「フィリップ……私は嫌?」
ソフィは私から矛先をフィリップ様に向けて、首を傾げて上目遣いでそう聞いた。私はその様子を見て、また胸がざわつくのを感じる。
「嫌ではないんだけど……その、困るというか。ソフィはこの孤児院で暮らしていくんだから、たまにしか来ない俺じゃなくて他の子達と仲良くすべきだと思うよ」
ソフィはフィリップ様にやんわりと拒否されると、少しの間静かに考え込んでから頷いて席を立った。そしてそのまま外に行くのかと思ったら……
「他の子と仲良くしたら、フィリップは私と仲良くなってくれる?」
今度はそんな発言をして、フィリップ様をもっと困らせる。しかしフィリップ様は誠実に対応してくれた。
「うーん、それは分からない。約束できないことは言えないよ。でも孤児院に来た時に話をするぐらいはできるかな」
「……分かった。じゃあ他の子とも仲良くする」
ソフィは最終的にはそう言って、食堂から一人で出ていった。私はソフィの後ろ姿を呆然と見送ってしまったけれど、扉がバタンと閉まる音で我に返り、フィリップ様達に一言断ってソフィの後を追いかけた。ソフィとしっかり話をしなくては。
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