第53話 話し合いと引っ越し(ティナ視点)

 私はフィリップ様がお帰りになるところを見送った状態のまま、いまだに呆然とその場に立ち尽くしていた。あまりにも予想外な話に、そしてこれからの私の人生の変化に驚いて……実感が湧かないのだ。


 孤児院で働けるなんて……あの夢のような場所で、辛い思いをしている子供達を救うことができる立場になれるなんて。信じられないけど……本当に嬉しい。嬉しくて嬉しくて、視界が滲んでしまう。


 私だけ運良く教会に入ることができて、ずっと罪悪感があったのだ。苦しんでいる子供達が沢山いるのに、暖かい布団を与えられて食事が取れないということもなくて……この幸せを享受しても良いのかと、ずっと心のどこかで引っかかっていた。

 これからはあの子達を助ける仕事ができて、その仕事でお金がもらえてご飯を食べさせていただけるなど、私の身に起こる幸運が大きすぎて怖くなる。


 ……フィリップ様は、本当にお優しくて優秀な方だわ。いずれ孤児院も作ると仰っていたけれど、それをこんなに早く実現してしまうなんて。さらに私が孤児院を夢のような場所だと言った言葉を覚えていてくださって、私に孤児院の仕事を紹介してくださるなんて。

 フィリップ様と出会えて良かった。そのことが私の人生最大の幸運かもしれない。



 私はそこまで考えたところで少しだけ落ち着きを取り戻し、やっと足を動かしてウジェーヌ大司教様のところに向かった。ウジェーヌ大司教様はフィリップ様が教会を去ってから、最低三十分は教会の入り口にいらっしゃるのでそこに向かう。


「ウジェーヌ大司教様」

「ん? ……ああ、君か。そういえばフィリップ様からどのようなお話があったのだ?」

「実はそのことも含めて大切なお話があります。お時間をいただけないでしょうか?」


 私のその言葉を聞いて、大司教様はくるりとこちらを振り返ってくださった。大司教様は少し変なお方だけど……下の者を見下すことはないし、身分を傘にきて威張り散らすこともない。私はこの方の下で働けて良かったと心から思っている。これからもこの教会には定期的に通いたいと思うほどには。


「分かった。では休憩室の一つで話をしよう」

「ありがとうございます」


 休憩室に移動して向かい合って座ると、大司教様に話の続きを促された。


「先程フィリップ様から、孤児院で働かないかと誘っていただきました。孤児院とはティータビア様からの知識にあった、親のいない子供達が安心して暮らせる場所のことです」

「まさか……もうそのような場所を作られたのか!」

「はい。そこでその孤児院の院長か副院長、どちらかにと」


 ウジェーヌ大司教様は感激の瞳で祈りの姿勢をとる。こういう時は祈りが終わるまで邪魔をしないのが鉄則だ。


「ティナ、そのお話受けたのか?」


 数分後に祈りを終えると真剣な表情でそう聞かれたので、私はそれにしっかりと頷きを返した。


「素晴らしい! ティナがその申し出を断るような者でなくて良かった。責任重大な仕事だ、神への信仰心を忘れずに、役に立てるよう頑張りなさい」

「ありがとうございます。少しでもお役に立てるよう全力を尽くす所存です」

「……私もその孤児院を訪れても良いだろうか。ティータビア様から授かった知識で、使徒様が作られた場所を見てみたいのだ」


 私はその問いかけに答えを窮する。特に問題はないと思うけど……フィリップ様はウジェーヌ大司教様が少し苦手みたいなのだ。確かにフィリップ様への態度は度が過ぎているから、苦手意識が芽生えてしまうのも仕方がないと頷ける。

 ウジェーヌ大司教様も不器用な方なのよね。


「フィリップ様に確認してみますが、たまにならば……例えば半年に一度程度ならば良いと思います」

「確かに子供達も私が行けば緊張してしまうか……分かった、あまり頻繁には訪れないよう気をつける」

「ありがとうございます」


 こうしてちゃんと話せば分かってくださる方なのだ。ただフィリップ様に対しては……少し特殊かもしれないけれど。


「孤児院での仕事はいつからなのだ?」

「こちらで問題がなければ、三日後からが希望です」

「三日後か……ならば問題はないな。本日はこのまま最後まで働き、明日の午前中で引き継ぎと皆への挨拶、そしてその後は準備をするように」

「かしこまりました。快く送り出してくださり感謝いたします」


 そうして私は孤児院で働くことを許された。これから私の人生は大きく変わるだろう。ただ不安はほとんどなく、変わるということにワクワクしている。三日後が楽しみだ。



 それからの三日間は忙しく過ぎていった。今までお世話になった教会への恩返しがしたくて掃除に精を出したり、私の仕事を引き継いでくださる方に必要な情報を伝えたり、教会で働く方々全員に挨拶に回ったり。

 本当はやる必要のないことにまで手を伸ばし、自分で忙しくしていた三日間だったけれど、とても清々しい気分で教会を出ることができたから後悔はしていない。


「大司教様、皆様、今まで本当にありがとうございました。神に仕える身ではなくなってしまいますが、こちらへは祈りに参ります」

「神への信仰心は忘れずに、神に誇れる人生を送るようにしなさい」

「かしこまりました。胸に刻みます」


 最後に教会の皆さんに挨拶をして、荷物を持って少し教会から離れた。するとちょうど迎えの馬車が遠くに見え、私の目の前に止まると馬車からフィリップ様が降りきて下さった。


「ティナおはよう」

「おはようございます。迎えに来てくださりありがとうございます」

「気にしなくて良いよ。じゃあ早速行こうか」

「はい」


 フィリップ様の従者の方が手を貸してくれて、すぐに荷物を馬車に運び終えることができた。そして馬車に乗り込みフィリップ様の向かいの席に腰掛ける。


「ティナ、そこにある手すりに捕まって口は開かない方が良いよ。かなり揺れるから」

「そんなにですか……っっ!」


 な、何これ。私は揺れでフィリップ様の方に倒れ込みそうになってしまい、なんとか耐えてすぐ手すりに捕まった。そして口を閉じて舌を噛まないようにする。

 馬車がこんなに揺れるものだったなんて……でもフィリップ様は結構普通に乗ってるし、従者の方もだわ。


「慣れると話をしても大丈夫になるから、今は口を開かないでね。俺の話を聞くだけ聞いててくれる?」


 口を開けないので首を縦に振って肯定の意を示すと、フィリップ様が笑顔になってくれた。私はその笑顔を見て心が温かくなるのを感じる。やっぱりフィリップ様の笑顔は太陽みたいだわ……


「ティナと一緒に働く男性だけど、俺の魔法陣魔法の一番弟子シリルの弟で、ダミエンって名前の人だよ。歳は二十歳。結婚はまだしてないみたい。シリルも結婚してなくて兄が結婚したら……と思ってたら全然しなくて、気づいたらこんな歳になっちゃったんだって。でも結婚にそこまでの興味はないみたいだったかな」


 教会に入ってるわけでもないのに二十歳で結婚してないのは珍しい。結婚に興味がないのなら、私と気が合いそうだわ。今まで私は結婚なんてできないものと思っていたから、急に結婚できると言われても困るもの。


「背の高さは一般的な男性より少し高い程度。基本的には笑顔で優しい人だよ。でも真面目な面もあって、特に危険なことや悪事には厳しいみたい。正義感が強いっていうのかな。それから礼儀作法や読み書きは一通りできるから、心配はいらない。……とりあえず、伝えておくのはこの程度にしておくね。このあと実際に会うし、あとはティナが本人に聞いてみて」


 私がその言葉にも頷くと、フィリップ様は満足そうに一つ頷いて馬車の外に顔を向けた。するとその横顔がどこか憂を帯びていて……私は思わず魅入ってしまった。フィリップ様はたまに大人っぽい表情を浮かべるのよね。


 それからしばらく馬車に揺られ、やっと揺れに慣れてきたという頃に馬車は孤児院に到着した。

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