第52話 ティナの決意
俺はティナの言葉に頷き肯定の意を示してから、詳しく説明するために口を開いた。
「ほとんど正解かな。実際には畑だけじゃなくて、その畑を耕す人が住む家は残してある。それからいくつかの孤児院も設置する予定なんだ。スラム街に住んでた子供達の住居とするために」
「それならばあの子達も、これからは安心して日々を生きていけるようになるのですね……」
ティナはそう呟くと、瞳から大粒の涙を流した。俺はまさか泣かれるとは思ってなくて、なんて声を掛ければ良いのか分からず狼狽えてしまう。
「な、泣かないで……は違うか、ごめんね……も違うし」
「……ふふっ、フィリップ様でも狼狽えることがあるのですね」
俺の狼狽えぶりが面白かったのか、ティナが涙を拭って笑顔を浮かべてくれた。俺はその笑顔を見てやっと落ち着くことができた。
「なんて声をかければ良いか分からなくて……気が利かなくてごめん」
「フィリップ様の歳で気を遣われる方が驚いてしまいます。これから自然に身に付きますよ」
ティナはフォローしようと思ってそう言ったのだろうけど、その言葉は俺の心にグサッと深い傷を作った。俺は既に二十七歳まで生きた記憶があるんです……そんなに生きてたのに何をしてたのか。ハインツの時に付き合ってた女性全員に謝罪したい気分だ。
「あ、あの……何か失礼なことを言ってしまったでしょうか?」
「ううん、大丈夫。気にしないで」
こんなことで落ち込んでティナに心配をかけてたらダメだ。せめてさっきの失敗をカバーできるようにちゃんとしないと。
「それよりも話を戻すけど、さっき話した孤児院で働いてくれる人を探してるんだ。院長と副院長になってくれる人を。そこでティナがこの仕事を引き受けてくれないかなと思って今日は話をしたんだけど……どう?」
俺のその問いかけにティナはまた瞳を見開いた。そして少しだけ俯いて考え込んでしまう。人生を左右するかもしれない決断だし、悩むのは当然だろう。
「ゆっくり悩んで良いよ。もし何か疑問があるなら何でも聞いて」
「ありがとうございます。――あの、給与や食事、仕事の形態を聞いても良いでしょうか?」
「もちろん」
給与は王宮で働く文官よりも少しだけ少ない程度、平民の中ならばかなり多いほどに設定した。食事は子供達と三食しっかり食べてもらう。ただ食料が足りない時は、二食になったり量が減ったりはする。仕事は基本的に休みなしだけど、もう一人の職員と話し合って休みも取れるようにするつもり。
そんな条件をティナにしっかりと説明した。するとティナは最後まで話を聞いて、迷うような仕草をみせる。絶対に教会から抜けたくはないってことではないみたいだ。
「悩むことがある?」
「とても良い条件ですし、私が教会に入っていなかったらすぐに頷いていたと思います。しかし……、やはり還俗するのは、神に背くようで踏み切れないと言いますか」
やっぱり還俗に抵抗があるのか……それは俺ではどうしようもない。でも還俗するからと言って、神に背くことになるのは違うと思う。
「これは俺の意見だけど、孤児院で働くのも神への奉仕になるんじゃないかな。孤児院はティータビア様から賜った知識で造られたものだから、そこを守るのも大切なことだと思うよ」
俺のその言葉にティナはハッと何かに気づいたような表情を浮かべる。そしてしばらく悩み続け、最後には決意を込めた瞳で頷いてくれた。
「フィリップ様、私を孤児院で雇っていただきたいです。孤児院という夢の場所を守るお手伝いをさせてください」
「もちろん。ティナが働いてくれたら子供達も喜ぶよ」
「皆と会うのが楽しみです」
そう言いながら浮かべた微笑みは、神の如き輝きを放っていた。最近思うけど……ティナこそ使徒様に相応しいんじゃないだろうか。
「いつから仕事ができる?」
「そうですね……基本的に教会は個人の意志を尊重する風潮ですので、引き止められることはないと思います。私はただの助祭で私がいなければ回らない仕事などはありませんし、引き継ぎ等もほとんどないでしょう。ですので、三日後には引っ越せるかと」
そんなに早いのか。でも子供達のためにもできる限り早い方がありがたい。三日後なら俺は仕事中だけど……特別急ぎの仕事はないはずだ。孤児院も仕事の一環だし、ティナの引っ越しを手伝えるかな。
「じゃあ三日後に引っ越しの予定でよろしくね。王家の馬車で迎えにくるよ」
「いえ、歩いて向かいますので場所だけ教えていただければ」
「大丈夫、気にしないで。孤児院をちゃんと運営することは俺の仕事で、馬車もその一環だから」
俺のその言葉にもティナは困惑していたけれど、少しして小さく頷いてくれた。
「かしこまりました。では、よろしくお願いいたします」
「うん。馬車だから荷物はたくさんあっても大丈夫だし、それ前提で準備をしてね」
これであとは三日後から孤児院が運営できる。子供達はティナが孤児院に入った次の日から入ってもらうことにしよう。一日ぐらいは子供なしで慣れる時間も大切だろうし。
「私の他に職員はいるのですか?」
「もう一人いるよ。でもまだそっちも声をかけてるだけだから、完全には決まってないんだ。男の子もいるから、もう一人の職員は男性になると思う」
「確かに男の子は私に話せないこともあるでしょう。男性がいてくださればありがたいです。住む部屋は別でしょうか?」
「それはもちろん。あっ……でも鍵があるかは分からないかも。内側から掛けられる鍵もつけておくから心配しないで」
男女が一緒に住むんだから部屋の鍵は必要だ。職員の部屋は内側からのみ掛けられる鍵で、子供達の部屋は外側からも開けられるようにして、鍵は院長だけ持つようにしようかな。
部屋割りは考えたのに鍵にまで考えが及ばなかった。明日すぐ二人に相談しないと。
「ありがとうございます。鍵をつけていただけるのはありがたいです」
「当然だよ。……じゃあ今日はこの辺で帰るね。また三日後に迎えに来るよ」
「かしこまりました。三日後にお待ちしております」
そう言って華やかな笑顔を浮かべてくれたティナに俺も笑みを返し、足取り軽く中庭を後にした。そしてウジェーヌ大司教様に挨拶をして、教会から屋敷に戻った。
ティナが還俗して孤児院で働いてくれる……俺はその事実が自分で思っていたよりも嬉しくて、頬が緩むのを止められなかった。
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