第24話 平民街へ視察

 平民街へ視察に行くことを決めてから二日後、俺達はそれぞれの従者と護衛の他に、騎士を数名連れて平民街に向かった。


 この国の王都の作りは王宮を中心とした円形で、王宮の周りは四つの地区に分かれている。北区が通称貴族街で、東区、西区、南区が平民街と呼ばれている。その中でも南区はスラム街とも呼ばれ、平民街の中で一番治安が悪く住環境も悪いらしい。

 それぞれの区画の間には壁があって、いくつかある門からしか出入りできないようになっている。しかしその門が閉じられているのは貴族街との間のみで、平民街はどの区画も行き来は自由にできるらしい。


 そして王宮は中心にあることから、どの区画とも接していてどの区画にも直接行ける門がある。しかし貴族街と繋がる門以外は、ほとんど開くことはないようだ。

 今回も王宮と平民街を繋ぐ門を開くのではなくて、貴族街と西区の間にある門までやってきていた。


「ここからは歩きで向かう。二人とも、勝手に動き回ることはしないように」

「もちろんです」

「気をつけます」


 王宮からここまでは馬車で来たけれど、平民街は道路もガタガタだし馬車が通れない細い道も多いことから、歩きで向かうことが決まった。


「皆、護衛を頼むぞ。あまり民を怖がらせぬように気をつけてくれ」


 ファビアン様が凄く難しい注文をしたところで、門番によって門が開かれる。まずは騎士達が数名先に向かい、その後で俺達も平民街に足を踏み入れた。

 初めての平民街だ…………うわぁ、もう既に引き返したくなる匂いがする。ハインツの時に下水管が破裂した場面に遭遇したことが一度だけあるんだけど、あの時と同じ匂いだ。気持ち悪くなりそう……


 俺はすぐに我慢できなくなり、ニルスが準備してくれていた布を口と鼻を覆うように巻きつけた。そこで暮らす民がいるのだからできる限りやりたくなかったけど、このままだと前に進めないから仕方がない。

 他の皆もすぐに従者から布を受け取ったようだ。


「正直ここまで酷いとは予想していなかった」

「特に最近は酷くなっているみたいです」


 こういうのって一度汚れると皆がいい加減になるんだよね。うぅ……今だけ鼻を取りたい。

 強烈な匂いに心が挫けそうになりつつ、門から入ってすぐのところから平民街を見回してみると、そこかしこの建物の外に汚物が捨てられている以外は貴族街とそこまで変わりはない。


 建物の大きさは違うけど、木製で今にも壊れそうなボロい家ばかりということもなく、石とコンリュトで作られた頑丈そうな建物が多く立ち並んでいる。しかし人影は見当たらない。貴族街へと続く門なんて開くこともないから、かなり寂れたところにあるみたいだ。


「まず大通りに向かおう」

「そうですね」


 それからは無言でとにかく足を動かし、裏路地を通って大通りまで歩いた。そして大通りに出ると……そこは大勢の人々で賑わう市場のような場所だった。もっと荒んだ雰囲気で人もまばらにいるぐらいかと思っていたけれど、この場所は意外と賑やかだ。


 それにここはさっきほど匂いもキツくないみたい。多分街の端に行くほど、汚物の処理が適当になっているのだろう。


「ここは息がしやすいな」

「はい。布がなくてもなんとかなりそうです」

「民達と話をするためにも布を取りましょうか」


 本当に匂いがしないのか鼻が馬鹿になったのかは分からないけれど、とりあえず大丈夫そうなので布を取り、俺達は市場へと足を踏み入れた。

 すると綺麗な服を着た三人とその周りにいる従者と騎士という構図に、すぐに辺りは騒然となる。


「もしかして貴族様かい? こんなところにお越しなんて初めて見たよ」

「何の用だろうか。うちのジャモを買ってくれるかね」


 そんな会話がそこかしこから聞こえてくるけれど、貴族に対する悪感情のようなものはあまり感じられない。純粋に不思議に思っているだけみたいだ。


 やっぱり貴族は魔力を使って魔物を倒したり、危険を冒しながらも領地を経営しているからか、平民からは基本的に敬われているみたいだな。

 この国の現状で領地を経営するのは本当に大変なのだ。まず領地に移動するのがいつも命懸け。領地への移動は王家から馬車が貸し出されて護衛も付けるけど、やっぱり危険だし道中もほぼ休みなく移動するので体力的にもキツい。


 しかしいざという時に国単位で、それぞれの街同士で助け合うためにほとんどの貴族は奮闘しているのだ。そしてそのおかげで街の間で細々と交易なんかも続いている。


「まずは民に話を聞いてみるか?」

「そうですね。では僕が声をかけても良いでしょうか?」

「もちろんだ」


 マティアス様は近くでジャモを売っている男性に近づき、にこやかに話しかけた。


「こんにちは。少しお話を聞いても良いでしょうか?」

「ああ、別に良いけど……俺は礼儀なんか分からねぇぞ」

「気にしないでください。あっ、僕も敬語を使わない方が理解しやすい?」

「その方がありがたいな。綺麗な言葉遣いはイマイチ何を言ってるのか分からねぇ」


 男性の困惑したようなその言葉を聞き、マティアス様は親しみやすいような無邪気な笑みを浮かべて一歩近づき、敬語は使わずに返事をした。


「分かった。じゃあ普通に話すね。それで聞きたいことなんだけど、まずはどんな生活をしてるのか聞いても良い?」

「俺の生活か?」

「そう。朝起きてから寝るところまでを大体で」

「そうだな……朝起きたらジャモを一つ食べる。それで女房が井戸に水を汲みに行って、俺は川に水を汲みに行く。それでその後は、川の水を半分持って畑に行くんだ。畑に水あげて草むしって虫を取って、その後は収穫できるものがあれば収穫してこうしてここで売る。で、家帰ったら水飲んで寝るか、余裕がある時はジャモを食べて寝る」


 本当にジャモしか食べてないのか……栄養が偏って病気になる人も絶対いるんだろうな。


「ジャモ以外を食べられることはある?」

「まあ、たまにはあるな。俺は畑を持っててそこで他の野菜も育ててるから、収穫できた時は少し家族で食べるぞ」

「その畑ってどこにあるの?」


 マティアス様のその質問に、男性は途端に誇らしげな表情を浮かべる。


「それが城壁の中にある畑なんだよ! 俺は恵まれてるよなぁ、安全な場所で畑仕事できるんだからよ」


 この人が平民の中で恵まれてる部類なのか……それでも一日一食の日もあって、ほとんどジャモしか食べられない。こうしてこの国の実情に直面すると、驚くを通り越して心配になる。


「それは幸運だね」

「おうっ、そうだろ?」

「このお店は個人の所有物なの?」


 男性がジャモを並べているのは、不揃いな木材をなんとか組み合わせて作られた屋台のような建物だ。……建物というよりも、ただの台って感じだけど。


「いや、これはこの通りにいくつもある共用の屋台で、誰でも空いてるところを使って良いんだ。畑やってるやつは収穫物とか、他にも籠や布製品なんかを売ってるやつもいるぞ」


 誰でも自由に売れるのか。そういえばこの国って貨幣制度はあるけれど、税金とかどうなってるんだろ。……多分この感じだと厳密には徴収できてないんだろうな。

 それとも売買に税はかからないのだろうか。もしかしたら人頭税もあるのかも。後は大きな商家……があるのか分からないけど、あるのならそこだけには課税してるとかもありそうだ。

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