第10話 私的な謁見 前編

 次の日の朝。俺はニルスに起こされる前に自分から目が覚めて、まだ日が登り始めたぐらいの時間にベッドから下りていた。

 やっぱり緊張していて、いつもより眠りが浅かったみたいだ。ふぅ……ゆっくりと深呼吸をして、ドキドキとうるさい胸をなんとか鎮める。


「フィリップ様? もう起きられたのですか?」


 俺がベッドから起きた物音に気付いたのか、ニルスがすぐ部屋に来てくれた。


「うん。緊張しちゃって早くに目が覚めたんだ」

「そうでしたか。では少し早いですがお召し替えをいたしましょう」

「ありがとう」


 そうして服を着替えてその他の身だしなみも整え、俺は朝食の時間までソファーに座ってお茶を飲みながら過ごした。しかし各部屋には時計がないので一時間ごとに鳴る鐘の音を待つしかなく、あと何分で朝食なのかが分からずにやきもきした。


 この国にはかなり貴重なものだけど時計は存在している。しかし相当大きなサイズのものしかないようで、うちの屋敷にもエントランスホールに一つあるだけなのだ。

 よって基本的には、日が昇っている間は一時間ごとに鳴り響く、王宮や広場にある時計塔の鐘の音で時間を判断する。八時と十二時、十八時の鐘の音は他の時間と少し変わるので判断しやすく、この国の人達は不自由なく暮らしているようだ。


 でも俺は腕時計が一人一台あるのが普通の国で暮らしてきた。だからこの鐘の音で時間を判断するというのには全く慣れない。前の時の癖でつい腕時計を確認しそうになるんだよね……


 ……さすがに腕時計は作り方なんて分からない。ちゃんと本を読んでおけばこの国でも作れた可能性はあったのかな。腕時計も魔道具だったから魔法陣を刻んであったのだろうことは分かるんだけど、それがどんな魔法陣だったのかは見当もつかない。それに時計の構造ありきで魔法陣が補助の場合は、魔法陣だけでは絶対に成功しないだろう。


 俺は前の世界で王宮魔導師であったので、王宮にある図書館に出入り自由だった。昔から読書が好きだったこともあり、これ幸いと休みの日や仕事終わりには図書館に通い詰めて様々な分野の本を読み漁った。だから幅広い知識は持っているんだけど……さすがに腕時計の作り方は分からない。


 まあ仕方ないか。この国で腕時計なんて高望みもいいところだ。その前に改善すべきところがたくさんある。それに作らないといけないものもたくさんだ。


 ――ボンボーン、ボーン


 腕時計について考えていたら鐘の音が聞こえてきた。朝食の時間になったらしい。俺はソファーから立ち上がり、ニルスを連れて食堂に向かった。



 いつもと同じメニューの質素な朝食を終え、食休みもほどほどに父上と馬車に乗った。そして早速王宮へ向かう。


 うぅ……こんなに揺れるなんて思わなかった。馬車の中で優雅に話すことなんて全くできないほどだ。口を開いたら舌を噛みそう。それに座面がただの木だからお尻が痛すぎる。

 フィリップとしては何度か馬車に乗ったことがあるのに、ハインツの記憶があることによって逆に戸惑ってしまう。


「フィリップが馬車に乗るのは久しぶりだったか?」

「は、はいっ」

「そこの手すりに捕まると良い。体を固定できる」


 父上が示した手すりに捕まって力を入れると、さっきまでよりはマシになった。そういえばこの世界の馬車では、手すりに捕まらないといけないんだったな……誰かもっと揺れない馬車を作ってほしい。


 この国で馬車がとても貴重なもので、貴族でさえ持っていない人がほとんどだってことは分かってるんだけど、それにしても酷い作りだ。前の世界の馬車なんて魔道具で揺れが軽減されていたから、馬車の中でお茶を飲めるほどだった。

 それに近年馬車は下火になっていて、魔道自動車が主流だったのだ。魔道自動車懐かしいな……馬車より何倍も速いし快適だし、最高の乗り物だった。開発した人は爵位と莫大なお金をもらってたけど、それも当然と思えるほどの発明だった。


 この国で魔道自動車が開発されることは……当分ないだろうな。まず魔法陣を広めることからやらないとだし、魔法陣って一通り学んだ上で色々と試行錯誤して新たな魔法陣を作り出すものだから、新しい魔法陣ができるまでには相当な時間がかかる。

 俺は魔道自動車の魔法陣を知らないし、さらに本体の構造も知らないし……うん、多分俺が生きてるうちには出来上がらないだろう。


 でもせめて馬車の改良はしたい。街中で比較的道が均してあるところでこの揺れなんだから、街の外なんて揺れすぎて怪我するんじゃないかな。



 それからしばらく揺れに耐えていると、馬車が少しずつ減速して止まった。ふぅ……やっと休める。

 そう思って安堵して体の力を抜いたところで、突然馬車がまた前進し始めた。俺は完全に油断していたため、頭を思いっきり壁にぶつけてしまう。すっごい鈍い音した……


「フィリップ大丈夫か!?」

「は、はい。なんとか……もう着いたのかと思ってしまって」

「さっきの場所は王宮に入る門だ。もう敷地内に入ったからすぐに着くぞ」

「分かりました。もう少し頑張ります」


 俺は窓から景色を見る余裕もなく、また馬車の揺れになんとか耐えていると、今度こそしっかりと馬車が停止して馬車のドアが開かれた。やっと着いたよ……。

 馬車から降りると目の前にあったのは、公爵家の屋敷とさほど変わらない程度の建物だった。


「父上、ここが王宮なのですか?」

「そうだ。ここは後宮だな」


 後宮なのか……改めてこの国の貧しさを思い知った気がする。後宮にさえもお金をかけられないってことだよね。相当やばいな……


「謁見の間などがある建物も、同じような作りなのですか?」

「いや、中央宮殿はもっと豪華で大きな作りだ。他国の者に自国の裕福さをアピールする意味もあるからな。しかし最近は、中央宮殿の維持にお金をかけるのはもったいないという話になっている」

「そうなのですね……」


 中央宮殿にすらお金をかけられないなんて、やっぱり予想以上にこの国は滅亡しかけてる気がする。トップが有能だからなんとか耐えてるってだけだよね。


「ライストナー公爵様、フィリップ様、ようこそお越しくださいました。陛下がお待ちですのでご案内させていただきます」


 後宮の使用人に案内されて建物の中を進み、すぐに目的の場所に辿り着いた。使用人の方がノックをすると、中から声が聞こえてドアが開けられる。


「失礼いたします」

「よく来たな。長々しい挨拶はいらないから座ってくれ」


 陛下は金髪に近い茶髪に青の瞳の美丈夫だ。確かに何もかもを見透かすような鋭い視線がちょっと怖い。相手が嘘をついてるのを見極められるっていうのも、あながち嘘じゃないのかも。


「お前がフィリップか。大きくなったな」

「ありがとうございます。皆様のおかげで大きく成長できております」

「それは頼もしいことだ」


 陛下はそう言って少しだけ顔を緩める。おおっ、笑うと怖い印象がなくなるな。


「では早速だが本題に入っても良いか?」

「もちろんです」

「ティータビア様から知識をいただいたそうだな」

「はい。ティータビア様からであると断定はできないのですが、ほぼ確実かと。このような世の理を超えたことをできる存在が、他に思い当たりませんので。また私はティータビア様を信仰してきましたので、他の神からというのも考えづらいかと」


 前の世界とこの世界はどちらもティータビア教が浸透しているけれど、このティータビア教には主神である光の神ティータビア様の他に、四柱の神が存在する。闇の神、緑の神、炎の神、水の神だ。人によってはティータビア様と他の神の二柱を信仰している人もいたけれど、俺はティータビア様だけだ。

 だからこの事態を引き起こしていると考えられるのは、ティータビア様しか考えられない。

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