第6話 現状把握

 俺の部屋は二階建ての屋敷の二階にあったので、階段を降りて一階に向かう。一階には食堂や厨房、それから応接室や執務室などがある。それから水浴び場とトイレも一階だ。


 驚くことにこの国ではお風呂がないのだ。そもそも水が貴重なものらしく、水浴びも数日に一度でそれ以外の日は布で体を拭くだけ。トイレは驚くことに下水がないみたいで、排泄物は溜められていて定期的に回収に来るらしい。

 貴族の屋敷でこの状態だと、平民街ではどうなっているのかかなり怖い。フィリップはあまりその辺に興味を持っていなかったし、まだ学んでなかったんだ。


「ニルス、僕達が飲む水は井戸から汲んでるんだよね?」


 俺の突然の質問にもニルスは変な顔をせずに応えてくれた。多分子供特有の、色々なものに興味が湧く年頃だと思われてるんだろう。


「そうでございます」

「平民街でも井戸があるの?」

「そうですね……井戸もございますが数はそこまで多くなく、街の外に行き川の水を汲んでくる仕事をしている者がいます。井戸水は飲み水に、川の水は生活用水に使うのが一般的です」


 川の水を汲んでくるのか。やっぱり魔法陣魔法と魔道具がないと本当に大変だ……前の世界では水なんて魔法でいくらでも手に入ったし、魔力の少ない平民でも魔道具でいくらでも作り出せた。


 そういえば魔力量の分布も前の世界と同じかもしれない。前の世界では貴族は魔力量が多くて平民は魔力量が少ない人が多かったけど、それはこの世界でも変わらないみたいだ。魔力量は極たまに突然多い人が生まれる以外は基本的に遺伝だから、貴族の魔力が多くなるのも必然なんだろう。


「水が足りないってことはないの?」

「川の水を汲んでくることで問題はないようです。しかし日照りが続き近くの川の水量が減ると、少し厳しいかと」

「そんなに大きな川じゃないってこと?」

「はい。天候によって水量がかなり変わるらしいです」

「そっか……あのさ、僕達のトイレは回収に来てくれる人がいるでしょ? 平民街ではどうなってるのかな?」


 無邪気な子供が疑問に思ったことを何となく聞いてみたかのように、首を傾げてニルスを見上げた。するとニルスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、少し躊躇った後に口を開いた。


「……平民街では地区ごとに排泄物を溜める場所があります。各家ごとに桶などに溜めてそこに捨てるようになっているのですが、あまり守られていない決まりでして……その、近くの道路に捨てられてることも多いのです。平民として生きていた時にはその環境も当たり前でしたが、今思えばあの環境は酷いものでした……」


 …………マジか。それやばいよ。そんな街に住みたくない。それに病気が蔓延してるんじゃないのかな。

 魔法陣魔法も使えなくて薬草で熱を下げる程度しかできないのに病気が蔓延したら……どんどん人が死んじゃうよね。ローナネス病が治せるようになったとしても、他の理由で結局死に至るようになるだけな気がしてきた。

 聞けば聞くほどこの国はやばい。それにフィリップの記憶では魔物の脅威も深刻らしい。



 ――この国って本気でそのうち滅ぶんじゃない? それを阻止するために、俺がティータビア様によってフィリップとして生まれ変わったのだろうか。もしそうならば全力でこの国の改革をしないとだめだ。少しずつなんて言ってる場合じゃない気がする。


「……そうなんだね。そうだニルス、庭も散歩して良い?」

「はい。この時間ならば暖かいので問題はないでしょう」

「じゃあ行こうか」


 外に出ると少し暑いぐらいの気温だった。昼間は暑いぐらいで夜はかなり冷え込む。この気候も前の世界と同じだな。あとそうだ、一日が二十四時間だったり一年という区切りがあったり、さらに一年が三十日ごと十二ヶ月に区切られていたりも前の世界と全く同じだ。

 それに太陽もハインツで見ていた時と何も変わらない。


「ちょっと暑いね」

「昼前の時間ですから結構暑くなっておりますね。短い時間で屋敷に戻りましょう」

「うん。じゃあ畑まで行ってみる」


 前の世界で貴族の屋敷の庭と言ったら美しい花が咲き乱れた庭園というのが定番だったけど、この国では花なんてものはほとんど咲いていなく、何もない空間か畑かの二択だ。何もない空間では剣術の鍛錬をするみたい。そして畑ではさまざまな植物が植えられている。


「フィリップ様、こんなところまでお越しだったのですね」


 畑に行くと三人の庭師が、汗水垂らして必死に野菜を育てていた。


「こんなに広い畑を三人で世話するのは大変だね」

「いえいえ、私達はとても恵まれていますよ。多くの者は城壁の中に畑を持てずに外で畑を耕し、魔物に襲われてしまうことも多いですから」

「そうなんだ……」

「ああ、こんな話をしてしまってすみません。仕方がないことです。私達はお屋敷で雇っていただけて安全に畑仕事ができて、とても感謝しています」


 この国では城壁の外にも畑があって、そこで仕事をしてる平民が襲われることもあるのか……街の近くまで魔物が来るなんて相当ヤバいな。

 前の世界では基本的に魔物は森の中にいるものだった。たまに街にも近づいてきていたけど、騎士や兵士が巡回してすぐに対処していたから問題になることはほとんどなかったのだ。

 この国では巡回ができていないのか、それをしても取りこぼすほどに魔物が多いのか。後者であるならば状況は厳しい。


「これは何の野菜?」

「これはジャモでございます」


 ジャモってことは、あの食事に出ていた美味しくない芋か。こんなふうに生えてるんだね。


「ジャモはよく育つの?」

「日照りが続いても余程のことがない限り枯れることはなく大きく育ちます。さらに土の状態が悪くても育つのです。ジャモは私達の命綱ですね」

「そっか。ありがたいね」


 ジャモがなかったらもう人間はこの世界にいないぐらいの感じだよね……美味しくないとか言ってる場合じゃないよ。


「僕達のために頑張ってくれてありがとう。これからもよろしくね」


 俺はにっこりと笑いながらそう告げて畑から離れた。フィリップの記憶と少し話を聞いただけでこの国の厳しさが伝わってくる。

 まずは水が足りないことだ。日照りが続いただけで飲み水の確保さえも厳しくなる。さらに食料にも問題がある。皆が必死に畑仕事をして育ちやすい作物を育ててるんだろうけど、それでも貴族でさえ一日三食食べられるだけで贅沢だと言われる。俺の食事には肉が出てたけど、多分あれも平民ではほとんど食べられないものなんだろう。


 この国では畜産が行われてはいるけど少数で、出回ってるのは冒険者という職業の人が採ってくる魔物の肉らしい。騎士や兵士が魔物の脅威から街を守る存在なら、冒険者は魔物を罠にかけたりと知恵を絞り、魔物の素材を持ち帰る仕事みたいだ。フィリップは一時期憧れていたようで、冒険者についてはいろんな知識がある。


 前の世界でも魔物の肉は食べたけど、それは交配させて人間が美味しく食べられるように改良した肉だった。さっき食べた時も思ったけど、手が加えられてない肉は良くいえば野性の味がして、凄く美味しいとは言えなかったな。でも食べられるだけありがたいのだろう。


「フィリップ様、お体は大丈夫でしょうか?」

「うん。もう問題ないみたい」

「それは良かったです。しかしまだ無理は禁物です。そろそろ屋敷に戻りましょう」

「そうだね。じゃあ少し部屋で休むよ」

「かしこまりました」


 そうして屋敷の中や庭を巡って、その日の午前中は過ぎていった。そして朝ご飯から肉がなくなった昼食を食べて、午後には今度は厨房に顔を出して調味料などを見せてもらい、その日は終わった。父上は結局夜になっても帰ってこなかった。

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