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 脳障害にはそれを補う代償機能が発現することが多い。人間で言うサヴァン症候群がまさにこれに当たる。ぼくの場合はそれが人並外れた……失礼、狐並外れた知能だった、というわけだ。


 ぼくの家族が住んでいるのはかつて人間の街だったところだが、今は人間は誰もいない。「居住制限区域」というらしい。おそらくその意味が分かるのは、家族の中でもぼくだけだ。


 何年も前に近くの発電所で事故が起こり、この地域は放射能に汚染された。だから人間はみな他の場所に避難してしまっている。で、その代わりにぼくらがここに住んでいる、というわけだ。


 居住制限区域でも電気は来ているらしい。なので、小さい頃からぼくは留守中の人間の家に入りこんで、テレビを見たり本を読んだりするのが好きだった。それでぼくは言葉を覚えた。もちろん声帯や口腔、咽頭、舌の構造が違うので人の言葉を話すことはできないが、人が話している言葉は理解できる。ぼくはこうして様々な人間の文化を学んでいった。もともと狐という動物は記憶力が良く好奇心も旺盛なのだ。


 だけど、人間じゃないのでよくわからないこともたくさんある。その一つが「恋愛」だ。これは様々な文学作品や映像作品のモチーフになっているが、早い話が「交尾がしたい」ってことじゃないか。それなのになんであんなまどろっこしいことをしなくちゃならないのか。バカバカしい、と人間は思わないんだろうか。


 それから、正義とか悪とかもよくわからない。そりゃ、狐だって獲物を殺して食べるし、猛禽類とかに捕まれば逆に自分たちが殺されて食われてしまう。人間的に考えれば、殺される側にとって殺す側は悪なのだろう。だけど、そうしなきゃ殺す側は生きていけないのだ。その自然の節理に正義も悪もない。


 しかもである。人間たちが正義の名の下に殺しているのは、得てして同胞であるはずの人間なのだ。全くもって理解できない。いったい、人間って奴は賢いのか愚かなのか。判断に苦しむところだ。


 だけど、そんな人間たちが生み出した文化や学問の中でも、自然科学はとても面白い。ぼくが一番興味を惹かれるのがそれだ。なぜ空は青いのか。なぜ昼があり夜があるのか。こんな風にぼくが不思議だと思ってたことに、自然科学は明快に答えてくれる。だからぼくは自然科学の学びにのめりこんでいた。狐が「化かす」メカニズムについてぼくがこれだけ詳細に分析できるのも、その知識のおかげだ。


 しかし。


 母親や他の兄弟姉妹は、人間の文化に見向きもしない。そもそも彼ら彼女らは言葉が理解できない。そりゃ、最小限のコミュニケーションはできる。鳴き声とか、アイコンタクトとか、スキンシップとかで。だけど連中はぼくみたいに言葉で抽象的な思考をしているようには見えない。一度、本当は言葉が分かっているんだけどそれを表現する方法がないだけなのか、と思っていろいろ試してみたが、全て徒労に終わった。おそらく「ぼく」みたいな一人称すら、連中は使いこなせないだろう。そもそも自我というものが確立しているのかどうかも怪しいのだから。


 時々思う。ひょっとしたらぼくは人間の生まれ変わりなのではないか、と。だったら、どうせなら人間の世界で今流行ってる小説みたいに、異世界に勇者として転生したかった。チート能力を発揮して無双してハーレムでメスをとっかえひっかえ……てな感じで。それなのに、なんで現実世界の、それも狐になんか転生してしまったんだろう。


 まあ、こんな風に疑問を組み立てられるこの知能がチートみたいなものなのかもしれないが……狐としての生活に何の役にも立たないチートなんか、あってもあまり意味がないよなあ……


 ちなみにぼくも異世界転生ものを3冊くらい読んだけど、それらは全部驚くほど内容が似ていて速攻で飽きてしまい、それ以来読んだことは無い。「ごんぎつね」を読んだときは号泣したというのに。


 それはともかく。


 というわけで、ぼくは兄弟姉妹の中でも比較的孤立した存在だった。それでも家族ということで、母親はぼくにそれなりに愛情を注いでくれた。そして、ぼくもそろそろ巣立ち、という時期のことだった。


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