第18話 夫、落ち込む

 誰もいないリビングに取り残された幸人が、肩を落として、仕事用のブリーフケースを床に落とす。

 まさか家事ボイコットとは。

 妻に黙って給与振込口座を変更したのは、誰の金で生活しているのかをわからせるためだった。幸人が稼いでこなければ、暮らしていけないということを思い知らせてやりたかったのだ。

 それなのに、妻の梨央が家のことをしてくれないと、自分が困る。それを逆に思い知らされてしまった。

 この頃、つくづくうまく行かない。このままでは本当に梨央は、あの若い男と出ていってしまうのではないか。心配で気が気ではない。

 セックスレスの件で喧嘩したのが事の発端だったのは、さすがの幸人もわかっている。あれは、さすがに言い過ぎた、と後になってから後悔してけれど、後の祭りだ。

 別に梨央が嫌いになったとか別れたいとか思っていたわけじゃない。ただ、仕事でちょっと苛ついていて、疲れていた。面倒くさかった。妻を構う余裕が無かったので、つい酷い言い方になってしまったのだ。それにあれだけ酷いことを言えば、落ち込んで家の外に出たくなくなるだろうと思ったのだ。それなのに。

 本当は、仕事なんかさせたくなかった。専業主婦でよかったのだ。

 だから妻が働きだして、何か愚痴を言ったり、家事や育児が疎かになったりしたら、すぐに辞めろと言ってやるつもりでいた。ほらみろ、お前に仕事なんか無理だ、と。

 それなのに、梨央は仕事に行くようになってからはむしろ機嫌が良くなり。見た目も手入れするようになったのか綺麗になってきた。丈晴も寂しがるどころか、以前よりも妻と仲良く楽しそうにしている。家のことも今まで通りにやっていた。というか、余程のことがなければ、掃除が隅々まで行き届いてるかどうかとか、洗濯物がきちんと整理されてるかどうかとか、など、幸人にはわからない。家事などやったことがないからだ。不都合が生じなければ、文句の付け方もわからなかった。

 働く許可を得た時も、酷いことを口走ってしまった時も、梨央はきっちりと覚えていた。そんなこと言ってない、と突っぱねることも出来なかった。彼女はいつも録音していたからだ。その周到さには、頭が下がるし、そんなにも自分は信用されていないのだと知って落ち込んだ。


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