第5話 ある土曜日

「おかあさん、今日、いつもと違うね。かわいいね。」

「ありがとう丈晴。そう言ってくれて。嬉しいな。今日も良い子で幼稚園に行ってね。」

 勤務は平日の昼間と土曜日の午前中。別料金にはなるが、土曜日も保育をしてくれるという幼稚園なので、丈晴を預けて働くことにしたのだ。

 丈晴は友達がたくさんいる幼稚園が大好きである。入園したばかりの頃の、泣きわめいて梨央から離れなかった日々が嘘のようだ。無理もないと思った。父親はほとんど家にいないし、いても遊んでくれるわけじゃない。幼稚園方が楽しいし、園の教諭の中には若い男性もいて、男子園児たちの人気者だ。密かにお母様がたの人気者でもある。

 幸人が出勤してから梨央と丈晴は出かける生活だから、夫にもほとんど影響はないのだろう。幸人は働きはじめた梨央に、特になにか言うことは無かった。

 きっと関心もないのだろう。そう思うと本当に悲しかったけれど、それでも反対されるよりはいい。

 丈晴のお弁当を持って、母子でかけようと準備をしていると、あくびをしながら起きてきた夫が目ざとくこちらを見つけた。

「・・・土曜日なのに、何処へ行くんだ。幼稚園の遠足か?」

 そして、梨央の格好がいつもと違うことに気付いたのか、眼鏡を一度掛け直してからもう一度こちらを見る。

「・・・なんだ、その格好。」

「仕事着。わたしは仕事に、丈晴は土曜保育に行くの。お昼は冷蔵庫に入っているから、食べるのなら電子レンジで温めてどうぞ。それじゃ、行ってきます。」

「はあ!?なんだそれ!聞いてないぞ!」

「わたしはちゃんと伝えました。仕事始めるって言ったし貴方も了承したわ。」

「俺が休みの土日まで行くのかよ!?」

「何か不都合でも?あなたはいつも外出か、在宅でも寝てるかゲームしてるかのどっちかでしょ?わたしや丈晴が家にいなくちゃいけない理由ある?」

「なんだと!?馬鹿にしてんの!?」

 幸人が、パジャマ姿でずかずかと近寄ってきて、梨央の襟元を摑んだ。

 二日酔いなのだろう、近づくと酒臭い。それに、かすかに、だが妙な匂いがした。

 梨央は、顔をしかめて夫の手を振り払う。

「馬鹿になんかしてない。極めて合理的な事を言ってるだけよ。いいじゃない、あなたはあなたの好きな休日を過ごして。私達は私達で、有意義な土曜日を過ごすから。家事を手伝って、とか、子守をして、とか言われたくないんでしょ?」

 少しの間、幸人は払われた手を震わせながら梨央を睨んでいた。それから、ふと目線を落として丈晴の方を見る。丈晴は視線が合った瞬間に、母親の足にしがみついた。

「勝手にしろ。」

 はー、とため息をついてから低く呟く。それから彼が再び寝室へ戻っていったのを見送って、ようやく梨央と丈晴は出かけられた。

 

 

 

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