翠雨
私たちが出会ってから、もうすぐ一年が経とうとしているだろうか。また雨が降り出す時期になった。
雨が降ると、いつも浅緋さんとの出会いを思い出してしまう。あの時は、あんな風に突然出会った相手が恋人になるなんて思っていなかったけれど。
今も彼は私の隣にいてくれている。定期的に連絡は取っているし、ふらっとあの本屋に立ち寄ると彼がいたりもする。そうやって会った時は、一緒におしゃべりしながら浅緋さんが家まで送ってくれるのだ。
二人の時間は本当に幸せで、楽しい。まだあの心臓の高鳴りには慣れなくて、彼といるとすぐに首周りが火照って暑くなってしまうのだけれど、それもなぜだか愛せるような、そんな風に思えてくるようになった。これで、恋に慣れたと言えるのだろうか。
今日は確か、朝から雨だった。そんな日だけれどなんとなく、あの本屋に行きたくなった。だから頑張って仕事を早く切り上げて、ご機嫌なまま会社を出て、水色の傘をばっと開いて本屋への道を歩き出した。なんとなく今日は、いい本に出会えそうな、そんな気がしたのだ。
本屋に着いて、傘を傘立てに置いて中へ入る。そういえば最近、あまり来れていなかったなと思いながらゆっくり店内を回る。なんとなく気になった表紙や帯の本を手に取りながらパラパラとページをめくる。
ふと手を伸ばした本に、横から別の手が伸びていた。あ、と呟きながら手を引っ込める。
「す、すみません」
「──あれ、お姉さん?」
「……へ? 浅緋さん?」
「奇遇ですね、また会った」
「お久しぶりです」
声が思わず大きくなってしまう。はっとして口を押さえると、浅緋さんが笑った。
「笑わないでくださいよ」
「はは、すみません。嬉しそうだなって、微笑ましくて」
「……そんなことより、今日はどうして?」
「なんとなく、いい本が買えそうな気がして」
「私も思いました、それ」
「以心伝心ですね」
「びっくりしました」
「一緒にいて、結構長いですもんね」
なんとなく一年前より、浅緋さんの表情は大人びた気がした。なぜだろうか。
「今日も送っていきますね」
「はい。いつもありがとうございます」
本屋から出る時、浅緋さんに呼び止められた。
「あの、お姉さん」
「はい?」
「ちょっと、プレゼントがあって」
「プレゼントですか?」
肩に掛けていたバッグから、なにか手のひらに載るくらいの小さいものを取り出す。
「……あ、豆本、ですか?」
「はい。その……今日が俺たちが最初に会った日なんです、だから」
「中、見てみてもいいですか?」
「どうぞ」
ページを開くと、細かいけれどしっかり読める文字が並んでいる。挿絵もある。
「これ、どうしたんですか?」
「……実は俺が作ったんです、それ」
「えっ、浅緋さんが!」
「恥ずかしながら、中身も自分で……」
「書いたんですか!」
つい驚いて叫んでしまう。驚きしかない。物語をイチから作り出すのは本当に大変なことだし、私だってそれがちゃんとできたことはない。いつも素敵な作品の力を借りて本を書いているのだ。
「その……告白した時に、お姉さんが『浅緋さんなら短編も書ける』って言ってくれたのを、未だにずっと覚えていて。書いてみようと思って、頑張ったんです」
「豆本も、ひとりで?」
「さすがに難しかったんで、手先器用な友達に手伝ってもらいました」
「……でも、すごい」
とても嬉しかった。そんな風に何気ない言葉を覚えていてくれて、それをきっかけにこんな素敵なことをしてくれるなんて。
「ありがとうございます」
「あ、えっとその、まだあって」
いつもより歯切れの悪い言い方だなと思いながら私は首を傾げる。
「裏表紙の内側、ポケットがあって。見てみてくれませんか」
「……?」
見てみると言った通りポケットがついており、中には何かが入っている。
「取り出してもいいですか?」
「──はい」
* * *
なんとなく、今日本屋に行ったらお姉さんに会えそうな気がして、俺は傘を持っていつもの本屋へ向かった。プレゼントも一緒だ。
初めて書いた小説。桜を見に行った日のことをなんとなく書いてみた。あの日見た色や景色を文字にする作業は特別なものに思えた。
奇しくも本当にお姉さんと会えてしまい、帰り際にプレゼントを渡した。お姉さんは目をキラキラさせて、興奮ぎみに嬉しがってくれた。頑張ってよかったなと思いつつ、まだあるサプライズを伝える。
「裏表紙の内側、ポケットがあって。見てみてくれませんか」
そう言うとお姉さんは不思議がりながらもそこを見てくれる。
「……取り出してもいいですか?」
「はい」
お姉さんの細い指がポケットの蓋を開け、中身をころんと手のひらにのせる。それは丸く、鈍く光を反射している。
「……これ、って」
「───指輪です」
お姉さんは目をゆっくりと見開いて、すっと息を吸い込んだ。驚いているのだろうか。
「わ、私でいいんですか」
「お姉さんじゃなきゃ嫌です。ずっと、隣にいさせてください」
そう俺が言い切ると、お姉さんは安心したように顔を綻ばせて大きく頷いた。
「それなら、私もずっと、浅緋さんの隣にいたいです」
俺が指輪をお姉さんの左の薬指にはめていると、お姉さんがなにかを思い出したようにあ、と呟いた。
「どうしてここに指輪をはめるか、浅緋さんは知ってますか?」
「……いや、知らないです」
「ここが一番、指の中で心臓に近いからなんだそうです」
そう聞いて、なんとなくどきっと鼓動が跳ねた。お姉さんの心臓まで、全てを委ねられたような気がした。
彼女は嬉しそうに薬指の指輪を優しく撫でながら、花が綻ぶように笑った。
「嬉しいです、ありがとうございます」
「……これから末永く、よろしくお願いしますね」
「はい。ずっと一緒にいましょう」
雪月花の間に、言の葉を。 水神鈴衣菜 @riina
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます