俺の恋心は実った。

 今日は人生最大のいい日になった気がする。

 そうして俺は今までお互いに名乗りもしていなかったことと、連絡先の交換について思い出して、その後現在家に帰りスマホの画面とにらめっこ中である。

『よろしくお願いします』

 ただそれだけ、簡潔に画面上に並んでいる。

『こちらこそよろしくお願いします!』

 少し元気に返したが、余計だっただろうか。不安に思っていると、画面が動いた。

『お名前、改めて伺ってもよろしいですか』

『浅緋昂輝、あさあけこうきって読みます』

『ありがとうございます』

『こちらももう一度名乗りますか?』

『いえ、大丈夫ですよ』

 これからも彼女のことは、お姉さんと呼ぶつもりだ。

 彼女にも素敵な名前があって、もちろんそれで呼んだ方がいいかもしれないけれど、俺はその名前よりも彼女には『お姉さん』という言葉の響きが合っていると勝手に思っているのだ。

 それに言ってもらわなくても、彼女のチャットの名前は律儀りちぎにフルネームで書かれているため困らない。

『そうですか、分かりました』

 彼女の返事はあっさりしていた。

 けれどこれがお姉さんの“いつも”なのだろうから、慣れなければならない。


 ある時の通知にはこうあった。

『浅緋って、色の名前ですよね』

 お姉さんが浅緋色を知っている。

 それだけでなんだかにやつきが止まらない。

『そうですそうです』

『よく知ってますね、普通なら出会いもしない名前なのに』

『いつだかに読んだ平安時代についての本に書かれていた気がして』

『調べたら案の定でした』

『ほんわかとあたたかい色ですね、浅緋色』

 なんだか自分があたたかいと褒められているような心地がして、こそばゆくなる。

 浅緋色というのは、薄めの朱色のようなものだ。気になったら調べてほしいが、なにとも形容しがたい絶妙な色をしている。

『浅緋さんに合っていると思います、この苗字』

『あたたかくて、優しい方ですし』

 とストレートに褒められ、ついスマホをまっすぐ投げそうになって思いとどまる。

 どう返そうか。

『そんなことないですよ、当たり前のことをしているだけです』

『当たり前が当たり前にできるのって素晴らしいと思いますよ』

 ……褒め上手である。

『ありがとうございます…ちょっと恥ずかしいです』

『私も褒めてて恥ずかしかったです』

 褒めるのが恥ずかしい、というのは初めて聞いたが、なんだか彼女らしいと思う。

 やっぱり可愛らしい人だなとニコニコしながら、俺は遅くなってしまった時間を確認してこう打ち込んだ。

『そろそろ遅い時間ですし、俺寝ますね』

『おやすみなさい』

『はい、おやすみなさい』

『明日も大学頑張ってくださいね』

 その言葉に、ぴょんぴょんと動きながら「ありがとう」の文字が並ぶスタンプを押してスマホの電源を落とした。


 次の日、俺は大きな迷惑をかけてしまった友人の匠実たくみと大学の前で落ち合った。

「おはよ匠実」

「おうおはよう、昨日はどうだったんだ」

「どうだったって何が」

「あのお姉さんのことだよ。お前あの人のこと好きだろ」

 なぜか知られていたその事実に変な声が出そうになる。

「なんで」

「お前顔と態度に出過ぎなんだよ」

 そんなに分かりやすかったのか、と我ながら呆れる。

 俺はニヤニヤとしている匠実の表情にため息をついて、昨日のことを話そうと口を開く。

「あの後、勢いで告白しちゃったんだ」

「ほほぉ? そうかそうか。それで?」

「……OKもらった」

「そうか。おめでと」

 匠実の反応は意外にもあっさりしていた。もっと大袈裟に驚いたり、冗談だろとか言ったりしそうだと思ったのに。

「……びっくりしないのか」

「びっくりしたに決まってんだろ。けど昨日の様子見てて、もし告ったらきっと付き合うんだろなってなんか感じたから、どっちかというとやっぱりって感じの心境」

「……そう、か」

「ほれ、こんなとこで立ち話してたら体は冷えるし授業遅れるぞ、行こうぜ」

「お、おう」

 顔に思っていることが出やすいとはよく言われたものだが、あんな一瞬で気づかれるまでとは思わなかった。

 けれどなんというか、付き合いそうなオーラが出ていたならまあ、それはいいと思う。

 今日も授業頑張ろうかな。


 それからしばらく経った日、家に帰って、一通りやることを済ませた後、この間お姉さんにおすすめしてもらった短編集を開いた。おすすめの本を教えてもらった時は、お姉さんの“好き”を共有してもらえてなんだか嬉しかった。

 しばらく読んでいて、ふと思い出す。そういえばお姉さんは、本の翻訳の仕事をしていると言っていた。どんな作品を翻訳したのだろうか。

 気になってしまい、唐突ではあるけれどチャットの画面を開き質問を打ち込む。

『そういえば前に「本の翻訳の仕事をしてる」って言ってましたよね』

『どんな本を翻訳したんですか?』

 きっとしばらく返信は来ないと思っていたけれど、通知はものの二分ほどで届いた。

『気になるのでしたら、今度お貸ししますよ』

『初版の1冊は取ってありますから』

『いいんですか?』

『もちろんですよ』

『自分で翻訳したものなので少し恥ずかしさはありますけれど、大好きな作品たちばかりだから、浅緋さんに読んでいただけるなら嬉しいです』

『じゃあ、ぜひ』

 そう送ると、サムズアップしたキャラクターのスタンプが送られてきた。

 お姉さんの本、どんな感じだろうか。きっと綺麗な言葉選びをしているのだろうなとか、いろいろと想像を膨らませて、その日は寝床についた。

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